私の意見「陳壽の見た後漢書」サイト記事批判 謝承後漢書談義 ・補追 2/5
2016/03/22 追記 2018/05/05 2020/02/15 2020/03/31 2020/07/27
私の見立て ★★★☆☆ 誤解、誤読の反面教材
再追記 (2020/07/27) コメント回答
*謝承後漢書「東夷列傳」の当否 承前
因みに、「謝承後漢書」輯佚巻八は未公開なので、確認不可能である。『七家後漢書』には、下記佚文が見られるが、「東夷列傳」の由来は不明である。「謝承後漢書」自体の記事であれば、単に「又」でよいとも思える。
察するに「文選」の付注で触れられている程度のようである。
その点も含めて、同コメントの指摘内容が、上記「追記」の当否について検討すべき資料であるかどうか、史料批判、資料審査を進める。
因みに、御覧の全文検索では、当該部分は、謝承後漢所記事とは別記事と解釈されて表示されないのである。
*史料解釈批判
正直なところ、当件は「謝承東夷列傳」と書かれているわけではないので、記事の出典が不明確である。
御覧は、断片的記事を整列して記載しているが、記事が引き続いて「又」と証していても、同資料を参照していると限らないと見られる。
「東夷列傳」は、范曄後漢書以外の何れかの後漢書の列伝の可能性が高いが、謝承「後漢書」の列伝かどうかは、確認しようがない。
同内容記事が汪文台「七家後漢書」に「東夷列傳」を出典として引用されているが、「謝承東夷列傳」と書かれているわけではない。ただし、そのように解釈するのが有力と見られて、謝承後漢書の東夷列傳佚文と見られた可能性はある。遡って、「謝承後漢書」輯佚巻八に収容され、ポツンと「東夷列傳」が成立しているのかも知れない。
文選勤進表注東夷列傳~韓俗以臘曰家家祭祀俗云臘鼓鳴春草生也柵罪一禮儀心
因みに、同書は、類書などに引用されている記事を拾い集めているので、御覧、ないしは、御覧依拠史料の引用である可能性が極めて高い。つまり、御覧所引記事が謝承後漢書の佚文であるという推定の裏付けとはならない可能性が高い。
遡って、御覧は、編纂時点に健在であった諸史料の善本から引用したわけではなく、かなりの部分が先行類書の引用と見られている。先行類書の編纂時点に、「謝承後漢書」の善本を参照したのか、佚文の子引き、孫引きなのかは、今となっては不明である。
別記事で確認したように、謝承は、三国東呉領域の人であり、東呉に仕官したことは記録されているが、洛陽で中原政権に属し、後漢東夷文書に触れたと推定できる記録はない。他書に、謝承後漢書東夷列傳由来の引用も見当たらない。
結論として、指摘記事に基づいて「謝承後漢書」が「東夷列傳」を備えていたとする意見は、根拠不十分と見ざるを得ない。
*魏略西戎伝観の是正
ちなみに、魚豢「魏略」について当記事では「散佚」と速断したが、魏書末尾に補追された「魏略西戎伝」は、劉宋史官であった裴松之が、帝室書庫に継承されていた魏略善本の「西戎伝」を正確に補追したものであり、以後、三国志の一部として、適確に写本、刻本されたものであるので、部分的とは言え、至上の善本と見るべきである。ここに早計な意見を訂正する。
未完
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