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2020年7月 7日 (火)

新・私の本棚 岡田 英弘 「倭国~東アジア世界の中で」 「倭国の時代」

中公新書 482 1977年10月 ちくま文庫 2009年2月
私の見立て ★★★★☆ 知見に根ざした大局観 2020/01/15 追記 2020/07/07

〇総評
 全体として、一貫した史観に貫かれていて、良い意味でも悪い意味でも、巨匠の芸です。但し、追従者は、岡田氏の識見を受け継がずに、単に、その提言の字面で追従するから、単なる独善史観に陥る傾向が見られます。

□大局と明細~堂々たる見識
 岡田氏は、魏志の記述が、客観的な史実記述を逸れていると見ますが、その由来として、陳寿が編纂時の晋朝皇帝に阿ったなどと安易な決めつけをしません。説かれているのは、晋朝高官張華への義理立てです。
 私見では、史官が「正史」編纂にあたって、後世の指弾を回避するため、皇帝への阿りは、命がけで排除します。また、自分が魏志編纂の大任を与えられたのは、政権の泰斗張華の推薦によるものであり、この恩義は排除できません。
 ただし、張華は、明らかに自分に阿る曲筆は望まないから、陳寿は、あからさまな追従はしていません。この大要は、ご指摘の通りです。

*行程/道里の誤認~俗説加担
 岡田氏の見識が、具体的な考察に届いていない例が、倭人伝の郡から倭に至る行程/道里解釈、特に、半島内行程の誤断に現れています。

 岡田氏は、半島内地理の知識が深いのでしょう。半島詳図を掲載し、半島中部帯方郡から東南部狗邪韓国への街道順路として、賢明にも、南漢江街道~洛東江街道を提示し、途中に「鳥嶺」(竹嶺か)越えの難路を上げています。街道は、官制に基づき、所定の道里毎に宿駅を備えた整然たるものであり、駅送りの公用文書往来は当然として、兵事の兵馬移動以外にも、市糴財物の運搬に供され、弁辰産鉄の両郡への納入にも供用されたものと見えます。当然だからことさら倭人伝行程/道里に書いていないだけであり、「あって当然」のもののように思うます。

 従って、「官制に基づく街道が存在しなかった」という証拠がない限り、帯方郡から狗邪韓国までは、この街道順路を往来したと見なければなりませんが、岡田氏は、倭人伝行程/道里論議に至ると、なぜか、官制街道を放念して、俗説に染まった沿岸航行を採用しています。

 氏が、ご自身の見識を無造作に放棄して、無法な俗説に加担するのは、とてつもなく不出来だと思うのです。

*大月氏虚構/虚報に加担
 俗説では、魏代、西域大月氏からの使節入朝の大功が曹真に帰せられ、司馬懿に倭人入朝が擬せられ、倭使記事に粉飾が施されたと言いますが、魏朝にさしたる西域功績はないと見えます。
 当時の三国形勢図には、時に、魏の領域が遥か西域に伸びているように書かれていますが、これは、魏が後漢の西域経営をそっくり継承したという名分が「見える」化されているのですが、この手の図示に良くあるように実態のない虚構なのです。

 当時、西域への入り口にあたる涼州には、魏に激しく反抗し、蜀漢に提携していた勢力が強力な軍事力を持っていて、魏は、後漢の旧都長安を含む関中地域すら、把握できていなかったのです。いわば、西域への入り口が固く閉じられていて、まして、その西域の西の果てにある大月氏に百人が定番の使節団を送り込むことなどできなかったのです。

 大月氏は、交易商人に偽装して、涼州勢力の監視をすり抜けて、はるか東方の洛陽に辿り着いたのでしょう。魏朝にしてみれば、長年絶えていた万里の「遠絶」の地からの来貢は、漢代以来の定則で金印下賜に値しますが、前世武帝以来の「古狸」が、小ずるく馳せ参じたのは、別に曹真の功績ではなかったのです。

 現に、魏書三十巻末尾に裴松之が魏志西域伝稿に擬して補注した魚豢「魏略西戎伝」全文に、大月氏来朝で曹真を称揚する記事はありません。俗説は、根拠のない言いがかりと見えます。

 そして、岡田氏は、この俗説に安易に加担して感心しません。

*「創作」と「虚偽」の混同
 道里説について、氏は「ウソ」と決め付けましたが、「創作」と「虚偽」の区別がつかないのは勿体ないと思います。不合理な俗説に加担した上で、一転「ウソ」呼ばわりは泥沼論議であり、善良な読者は付いていけません。

 「偽」という漢字は、歴史的には、人の意思を為すという、肯定的な意味もあるので、あえて、「ウソ」と仮名書きしたものです。

*史官の筆の軽視
 史官は、「述べて作らず」と言うように、史実を適確に伝えるために記事に演出なり創作を加えますが、それは史実を偽るのとは全く異なります。この点を弁えた方は、古代史学界にまことに少なく、敢えて苦言を呈します。原史料の混乱をむき出しにせず、「史実」を伝える創作の「盛り付け」は史官の極上の手際と思います。

 勿体ぶって言わなくても、ウロコのある海魚をはらわたごと食膳に供する料理人があり得ないのと同様、混沌たる史実を、無編集で取り上げて「編纂」などと言う史家はないのです。

〇結論
 岡田氏は、広範な知識と深い考察をもとに、倭人伝解釈に大なたを振るいましたが、追従者が、事態を掘り下げず表面的に追従したため、倭人伝論に無用の波風を立てたことをいたましいと見ます。

                                以上

 

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