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2020年8月

2020年8月11日 (火)

今日の躓き石 揺れ動くNHKの見識と失調 『進化し続ける女王、石川佳純 1000日の記録』 

                             2020/08/11

 題材は、タイトル通りのドキュメンタリーである。放送は、8/10の夜であるが、祝日特別枠の拡大版なので再放送予定はよくわからない。なお、当記事の主たる批判の的は、後で出てくるので、ここでは、まずは、番組タイトルの下品さとサイトでの紹介の品格を語る。

「進化し続ける女王」批判
 崖っぷちに立たされ、もがきながらも東京オリンピックの切符をつかみ取った
石川佳純さん。変化を続けながら挑んだ勝負の軌跡をどうぞお楽しみに!

 ここに引用した番組サイトの紹介文は、何と言うことのない番組紹介のようだが、まずは「女王」などと、ケバケバしい冗語が見えないのはありがたい。心あるなら、まずは「女王」と囲んで、毒消しを図るものではないか。当人にとって、大変迷惑な言いがかりだと思うのである。

 また、世上、本来の意味を遠く、遠く離れて悪用、誤用されている「進化」が見えないのもありがたい。
 科学の世界、つまり、中学などで学ぶダーウィンの進化論では、「進化」とは遺伝継承の失敗で生まれた変種が、生存競争で母体種を滅ぼして取って代わることを言うのであり、母体種が変種に生まれ変わるのではない。冷酷なものなのである。つまり、個人が進化することなど、「絶対にない」のである。

 また、当然ながら、ドキュメンタリーが描くのは「過去」の1000日であり、それは、現在でもなければ、未来でもないから、「進化し続ける女王」とは、かくのごとく罪深い失言なのである。

 いや、先に挙げた下線の紹介は、取材され表現された一連の出来事の要約として、簡潔にして抑制が効いていて、一言で言えば絶妙のプロの技であり、品格ある文章はかくあるべきと思うのである。これこそ、公共放送たるNHKの神髄と見えるので、まずは、口切りである。素人にもわかる愚言には、毒消し程度の配慮は必要ではないかと思う。

 メディアの愚劣さは、別に昨日今日始まったことではないし、ここで一私人が厳しく言っても、到底聞き届けられるとも思えず、まして、世間全体の悪習が癒えることはないことは、十分承知しているのだが、当ブログの芸風なので、「進化」も「変化」もしないのである。

○忍び寄る「リベンジ」感染
 以下が、本題である。
 この番組の取材対象者は、石川佳純選手で(全農)である。実名を出すと、そのたびに余計な感情を巻き起こして、議論がそれる恐れがあるので、実名は控える。

 要は、番組全体に表現された、密着取材を通じて感じ取れたであろう当人の発言、行動が、そろって、敵愾心依存のスポーツ根性と一線を画すものであり、すがすがしい好感を抱かせるものなのだが、中盤を過ぎたところで、突如、陰の声として、番組主題に反する「リベンジ」が乱入してぶち壊しなのである。

 制作担当者の脳が在来のスポ根ものに毒されていて、この番組では無理矢理自制していたから、突然禁断症状が出たのだろうか。一人で台本を書いたわけではないだろうから、どこかでチェックの赤鉛筆が入るべきである。

 もちろん、取材対象者が、オフレコの場で、「やられたからにはやり返す」と発言したのかもしれないが、そのように「記録されていない」会話をここに取り上げるとしたら、それは、密着取材に応じた対象者の信頼を裏切るものである。
 オリンピック出場をかけた決戦を勝ち取った後、ひょっこり、ポルトガルのトーナメントに出場した点を、当人は、わずかなポイントでも確実に取り込みたいとする意思に加えて、リオ・オリンピックで苦杯をなめた、下位ランキングの選手と再戦した意図する気持ちもあったかのように描かれているが、どこまで、どんな思い入れがあったかは、当人の内面の問題であり、当人でもなければ「同業者」でもない、単なる野次馬が、当人の思いを踏みつけにして賢そうに解釈すべきではないと思うものである。

 まして、「リベンジ」などと、キリスト教世界では背徳の禁句を言い立てるべきではないのである。ずいぶん、遙かな高みに立って、選手の内面を見くびったものである。まるで、野次馬コメントである。

 加えて言うなら、この暴言は、視聴者に対しても不誠実である。普通の言葉で言えば、「最低」、「ぶち壊し」である。NHKは、次代を担う子供たちのためにも、罰当たりな暴言の感染拡大を阻止すべきなのである。NHKの番組制作の方針を信じるから、ここに批判を書き残す。

 繰り返しになるが、この番組は、現代に生きる一人の選手が大人として生きる姿を克明に描いていて、大勢のスポーツ選手のお手本になるものである。だからこそ、暴言が刻む傷は、単なる瑕瑾でなく、番組の趣旨を切り崩す、深刻な亀裂となるのである。

 世間では、敵愾心を糧にがむしゃらに戦い続ける選手が高く評価されるが、「屈辱」や「汚名」に根ざした不屈の闘争心ばかり目については、興ざめなのである。そのような悪しき伝統が育てた指導方針のせいで、高校野球の選手まで、自分の個人的な、低次元の屈辱を晴らすために戦い続けているなどと、絶対言ってはいけない「リベンジ」を口に出して全国紙に報道される醜態を招いていて、残念な事態になっている。

 このような言葉は、なんとかして、撲滅したい、せめて、忘却の淵に沈めたいと思っているのだが、全国紙や公共放送が堂々と言い立てていては、感染は拡大するだけである。

 当番組を手がけるほどの有力な制作者は、ご自分の影響力を、もっと大事にしてほしいものである。多分、誰も、当番組プロデューサーの台本にダメ出ししていないのではないかと危惧するのである。
 校閲部門があるはずの全国紙でも、紙面に出てくるのだから、重度の蔓延と思う次第である。

以上 

 

2020年8月 9日 (日)

今日の躓き石 NHKBSでのさばる「同級生」アナ

                    2020/08/09
 本日の題材は、日曜朝のNHK BS1「エンジェルス vs. レンジャーズ」の実況放送である。

 いや、中継放送などで、解説の元選手が、ぼんやりしていて呟くのなら時にあることである。解説者は、元々、野球以外眼中にない職業だったから、引退してから、多少訓練を受けても、普段の無頓着な物言いが飛びだして、無造作に出来の悪いコメントを口に出すことはある。

 現に、最近の「ワースぽMLB」でも、NHK側が、折角「同学年」とお手本を示しているのに、解説者が無神経に「同級生」と口に出して、ぶち壊していたのに気づいたことがある。いくら、局側が丁寧に悪いガキ言葉に蓋をしても、解説者が一言言えば、何の効果も無いので、大変嘆かわしいのだが、素人にお説教しても、次回の出番では忘れているだろうし、局からきつい注意があったろうという事で、記事にせず、飛ばしたのだった。
 今回は、アナウンサーが切り出して、その後も、蒸し返しているのが重症と思うのである。ほとんど放送事故ではないだろうか。

 つまり、最初は、両チームの先発投手が、加州のオレンジカウンティの同学年で、地域のハイスクールチームで対決していたとしている。つまり、同じハイスクールでなかったのだから、同じクラスで共に学んだことは無いのである。と言うところまで、事実確認した上で、次に口にするときは「同級生」と言ってのけるのだから、これは、病的な誤用癖である。至急、治療すべきだろう。

 NHKのアナウンサーは、最高の訓練を受けていて、今回のような「同級生」については、念入りに言い換え、訂正を用意しているはずである。それが、自分から誤用の泥沼に乗り入れて、子供達を含む多くの視聴者に誤用を蔓延させるというのは、どういうことなのだろうか。
 善良な納税者、ならぬ受信料支払者は、高額なBS受信料を、このようなたわごとを聞くために支払っているのではない。「金返せ」と言いたいところである。
 今回は、高名なNHKアナが相手であるので、遠慮しないのである。

 余談であるが、引き合いに出すとき、変な書き方をした「ワースぽ MLB」であるが、毎回聞いていて、「ワースポ」の語尾を呑み込んでいるために、何を言っているのか聞き取れないのである。

 耳慣れない新造語であるから、全文字きっちり発音して欲しいものである。

 端折られた4文字目であるが、母音がOであることは辛うじて聞き取れるが、子音がうまく聞き取れないので、ひょっとして時に会話に出て来る「ワースト」かと聞いてしまうのである。ちなみに、本職の局アナの番組紹介では、「ポ」の発音、特に、子音の破裂音に微かに力が入っていて、母音も時間的に微かに引き延ばされて、「ワールドスポーツ」の略称かな、と連想させるから、何を言っているのか聞き取れるのである。
 素人は、勝手にそう思うのである。

 いや、事は、NHKだから、ことさら言い立てているだけであって、しかも、プロのアナウンサーを念頭に置いているので、点がからいのである。NHK内部では、誰もこうした事項を指導しないのだろうか。

以上

2020年8月 3日 (月)

倭人伝随想 再考 倭人伝行程記事の前提とすべき考察

                                                  2020/08/03 (脱字訂正 2020/08/04
〇はじめに
 本記事は、当議論の中級者以上に、従来と異なった視点を供しようとするだけで従来諸説を駆逐する意図ではないので、まずは一読いただきたい。

 なお、談じるのは、景初初期に魏朝鴻廬が最初に申告した事項であり、魏帝は当該申告を欣然裁可し、帯方を指嗾して当該東夷を招請するよう厳命したと思われる。かくて、以降訂正があっても裁可文書は改竄不可能であった。

 概して、当記事は、あくまで思考実験による推定であり、意見有用、議論無用である。

〇倭人伝の足取り
倭人在帯方東南中依山島 (脱字訂正 2020/08/04
 「倭人」談義は別記事に譲り、当記事では、「在帯方東南」云々の解釈を審議する。
 魏書は、当時の洛陽官人、「中国人」を読者と想定し、読者は私蔵書から、「帯方」が遼東郡の陸続きの南方、当然陸地と知っていたことになる。「倭人伝」は、魏書巻末の些事として実務家の奏した文書であり、読解に要求される教養は、それに相応したものである。

*「海中」の意義
 「倭人」は、帯方東南の「海中」だが、塩っぱくて飲めない海水(salt water)の深みには住めず「山島」は「山」の島と知る。ただし、中国人の地理知識で「山島」の実例は、南海の「海南島」だけだが、この島は沖合で、四周は「海」と知れていた。

 「海中」用例に漢書西域伝、魏略西戎伝の條支国がある。其国(国王治所)は、西海「裏海」(塩水)西岸の岬だが、「海中」とされる。三方臨海だが、一方陸道で、食糧、飲料水に窮しない。

*初期地理観の推定
 倭人伝の「海中」山島の地理を『帯方東南の海に「九州島」(倭)があり其の周囲は「海洋」なので海中』と見立てようにも、倭の南岸が見えない。

 とすると、「朝鮮半島」が引き続き南下し、そこから大海に向け東方に突きだした岬が山島との理解(誤解)かもわからない
 中国は、「海洋国家」でなく巨大陸封国家で、所詮井の中の蛙である。して見ると、極東に過ぎない帯方郡東南は、漠たる関心・理解しか得られない。
 そして、韓伝が云う「南は倭に接する」は、関心・理解のさらなる最果てであり、よくわからない「海」の入り組んだ地理は、無駄に面倒くさいから、あっさり陸続き解釈としたかも知れない。
 史書は、寡黙極まりないから、わからないことは、わからない。

*改竄不可能な初見記事
 敢えて補うと、当記事以降、魏、西晋代、交信と派遣者報告により地理認識は是正されても、皇帝裁可公文書は不可侵である。洛陽政権の史官は後漢伝統に縛られ、後世知識による史料改竄はできなかったと見る。そして、魏書編纂に際して、史官が、勝手に公文書を改竄することは不可能である。
 晋書などで窺えるように、少なくとも西晋代まで、洛陽官界には、活発な論客/批評家が存在したから、史官は行いを正さねばならなかったのである。

*あり得ない迂回路
 因みに、俗説の非が強く唱えられる代表例である「帯方郡・狗邪韓国行程」(郡狗)だが、当初、半島地続きの(誤)認識なら、大迂回の沿岸行は、全く想定外となる。郡狗に続く渡海三度の狗邪から末羅行程は、後日の補筆だろうが、国内官道の渡河同様に、大海の洲島経由の渡船であり、末羅を岬と見た上で、以下「陸行」としたのではないかと推定される。
 ついでながら、さらに続く末羅以降の行程記事は、一段と後世であり、明帝逝去で景初が終わり「初見記事」との整合は乏しくなったが、それでも破綻させなかったのは史官の筆の冴えと思われるが、当記事欄外であるので筆を止める。

 狗邪に至る経路の西方は、官道に関係無いので、倭人伝は触れていないが、そうでなくても、急務に供すべき官道が、お天気まかせの海上経路の筈がないのは、自明である。中国官制に無い無法な行程は、皇帝に報告されないのではなから論外である。

 再説すると、三十巻に亘る大著魏書講読の掉尾を締める倭人伝の一東夷の道里に些事を詰め込んで、読者の精力を浪費してはならないのである。

〇結語
 以上の論議は、冒頭のほんの僅かな字数の掘下げであるが、後世人が、早計な浅慮に駆り立てられて「倭人伝問題」の文章読解、題意解読を最初から取り違えると、倭人伝論の進路を大きく撓めるので、ことさらくどくどと述べたものである。

 「問題」は、出題者が、想定される読者の解答欲を刺激する知的「解」を用意した上で示すものであり、文意を順当に読み取れば、さほど困難な解とはならないはずである。

 二千年余(1800年程度)の以前同時代最高の知識人が設定し、同時代知識人読者が非を鳴らしていないのに、現代読者が、古典的な問題を解けないのは、大抵、出題者が責められるべきでなく、読者の非力、不勉強、心得違いの結果である。

 何人寄って出題文の不備を非難しようが、二千年以前の出題者には、一切聞こえないのであるが。

                                以上

2020年8月 2日 (日)

今日の躓き石 高校野球に根強い「リベンジ」蔓延を助長する毎日新聞の罪科

                          2020/08/02

 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊14版スポーツ面、高校野球甲子園交流試合第5日第2試合記事の左側の出場校紹介である。当の高校、発言した選手の実名は、直接挙げない。全ては、毎日新聞担当記者の暴挙だからである。

◎二重の大罪
 いきなり「リベンジだ」で始まるが、見出しは、「敗戦の雪辱 晴れ舞台で」と前世紀の遺物の「檄」を飛ばしているのだから、辻褄が合わないのである。むしろ、失笑を禁じ得ない、素っ頓狂な物語である。

〇身の丈に合わない無様な意見
 昨年夏の地元の練習試合で失敗した屈辱がどんなものか、当人でないから知ることはできないが。世間の眼で見れば、随分ちっぽけなものに過ぎないのである。高校野球は、厖大な負け試合の山、また山である。個人的な負けの「屈辱」を、個人の心の糧にするのは勝手だが、大抵は、自分の非力や失敗を、向上心の糧にするものである。それを、屈辱だけ捉えて、全国紙で全国読者にぶちまけ、担当記者にでかでかと書かせるのは随分自己中心である。
 右の高校は、見たことも聞いたことも無い、相手校地元相手の「恨み」を投げつけられて迷惑に違いない。仇討ちというなら、相手を取り違えるなと言うところである。親の敵と言われるのも困るが、なんで、相手の投手のつまらない負け経験を言い立てられるのか。自分たちだって、どこかでだれかに負けているが、つまらない恨み、辛みを言っていないのである。いや、部員の中には、屈辱とか、飽託とか言う者がいたかも知れないが、担当記者は、そんなことを書き残して、当の選手の恥を全国にさらさないのである。
 左の高校は、よほどの不運だったのだろうか。
 毎日新聞スポーツ面には、編集責任者がいないのだろうか。

 いや、こうした暴言、妄想は、人生経験の無い高校生なら、内心に点しそうだが、まずは、身辺の指導者が考え違いをただしてやるべきである。高校野球は、高校教育の一環であって、野蛮な闘争心を掻き立てるのが目的では無いはずである。

 最後に出て来るのが、担当記者の心かけである。いつまで、明治、大正の遺物である「雪辱」を担ぎ出すのか、まして、全国多数の高校の全ては、優勝チームを唯一の例外として、皆、敗退するのである。敗戦に対処する心構えを育てるのを優先すべきではないのだろうか。全国紙の記者は、英雄崇拝、つまり、男性崇拝の悪しき伝統を断ちきって、新たな気概を育てるべきではないだろうか。

 毎日新聞では、高校野球報道のあり方、特に高校生の育成のあり方などについて議論しないのだろうか。
 読者は、記者の失敗を、無編集のまま自宅に届けられて、返品のすべがないのでいいのだろうか。
 この記事は、多くの若者達が読むものではないのだろうか。

〇断固排斥すべき言葉
 元に戻って、やり玉に挙がっている「リベンジ」は、単なる不出来な新語ではなく、中東を発生源として世界に立ちこめている血の復讐、「テロ」を支持するものである。全国紙の記者として、厳に戒めるべき、忌まわしい言葉であるから、断じて、紙面から排除すべきだと信じていて、わざわざ、ここに記事を興したのである。

以上

 

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