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2020年8月30日 (日)

新・私の本棚 御覧所収 謝承「後漢書」佚文 史料批判の試み  2/2

                       2020/07/25 2020/08/30
〇書かれなかった後漢東夷伝
 後漢書原史料として、後漢東夷管理記録(公文書)が存在していたとは思えません。(個人の感想です。念のため)

 半島南部の荒地を領分とする帯方郡創設時期は、曹操が君臨していた献帝建安九年(204)頃とされますが、当時、遼東公孫氏は、後漢に臣従しつつ自立して、帯方郡の東夷管理を報告していなかったので、東夷に関する後漢公文書は整備されていなかったと見られます。

 いろいろ考えあわせましたが、謝承後漢書は「東夷列伝」を持たず、従って、各書は、東夷伝を語る場合、別史料を引用したとみる解釈が、一番据わりが良いようです。

 魏志によれば、景初二年の司馬懿の遼東討滅で、郡公文書は焼却され、郡官人は全滅しましたが、それ以前に、先だって無血開放されたと見える帯方郡に、公孫氏東夷管理記録が存在し、新任太守によって、以後の東夷管理に活用されたようです。

〇范曄「後漢書」東夷伝の由来
 一々考証内容は書きませんが、范曄後漢書は、東夷伝を語るに際して、魚豢「魏略」西戎・東夷伝と陳寿魏書東夷伝の使えそうな記事を、後漢代に時点をずらして採用していると見られます。
 つまり、史料の欠落を、時代ずらし、記事補填などの曲芸で埋めたのです。別稿で、西域伝に対して行った曲芸を考証しています。
 後漢書東夷伝は、ここまでに書いたように、ほぼ欠落していた史料を「美文」で造作したと見えるので、よほど丁寧に考証を加えない限り、史料として採用できないと考えられます。何しろ、欠落していたわけですから、本来の後漢書東夷伝、中でも倭伝は存在せず、范曄後漢書と対照して校正することはできないのです。

 思うに、論議している「東夷列傳」は、謝承後漢書編纂時に、後漢公文書から編纂された「東夷列傳」なる列伝、つまり、銘々伝として存在したようであり、魚豢魏略も、陳寿魏書も、そのような「東夷列傳」を承知していたかも知れませんが、史書として公認されなかったため継承されず、早期に散佚したようです。

〇佚文の扱い
 佚文をもって、謝承後漢書に東夷列傳があったとするのは、余りに軽率です。
 正史解釈にあたって、外部資料を参照する際には、まずは、厳密な史料批判の上で、考慮に値する資料かどうか判断すべきです。当然至極の原則ですが、国内視点の古代史学では大抵無視されているので、素人考えで指摘するものです。

 具体的に云うと、謝承後漢書自体の写本断簡が提示されたのならともかく、一片の佚文で史料解釈を撓めるべきではありません。

〇『七家後漢書』の解釈
 汪文台『七家後漢書』は、当時残存していた諸所から各後漢書佚文を広く収集した労作であり、下記佚文が収録されていますが、依然として「東夷列傳」を謝承「後漢書」の一伝とする根拠とはならないと見えます。あるいは、太平御覧から用例を収集したものかと見えます。

 《東夷列傳》一(曰):一 (三)韓俗以臘曰(日)家家祭祀。俗云:臘鼓鳴、春草生也

〇結論
 結論として、氏の意見は、史料批判も史料考証が不十分であり、当方の意見を変えるには及びません。
 『七家後漢書』は、悪く言えば、低質の残滓をかき集めたものであり、その努力に感謝するものの、史料として採用するには、まずは厳重な史料批判が必要という事に変わりはありません。

〇念押し
 そもそも、類書である太平御覧の記事には、正史の記事を覆すに足るだけの信頼は置けないと見るものです。信頼を置けない資料に引用された佚文は、悪材料が重責、山積しているので、一切参照すべきではありません。

                                以上

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コメント

尾関郁さん
 コメントを頂き感謝します。
 大変貴重なご意見ですが、ここで書き募っている素人の知識で読み解こうとすると、色々辻褄が合わないのです。
 まず、ものの理屈として、議論を東夷伝に限定するとして、随分後世に編纂された後漢書が、魏志倭人伝の原典を示すとの主張は、どうも不合理のように思えます。後世史書の記事が先行史書の記事に多少なりとも似ていたら、ここでは、范曄が陳寿に対する敬意をもって、踏襲していると見るものではないでしょうか。
 続いて書かれている「史記」と「袁宏後漢紀」の関わりは、全く理解できません。そもそも、史記の良好な原本が残っていないのは当然としても、各種後漢書は、原本も写本も残っていないのです。(范曄後漢書は、唐代校訂本が継承されていますが)
 お説に従い、謝承が東夷について関心を持ったとしても、後漢公文書は、西晋末の帝国壊滅までは、洛陽の帝国書庫に厳重保管されていたので、東呉の私人(孫権の史官は、後漢/魏の史官ではないので「私人」扱いです)が閲覧し、史書を編纂することは厳罰(死刑)必至です。史料がなくては、史書は書けません。
 「西洋」、「シルクロード」というのは、古代史論では時代錯誤で、禁句としたいものです。魏晋代までの古代史で、「文化」とは、四書五経に書かれた華夏文明だけなので、皮革に横書きする西域(安息、波斯)から渡来するはずがないのです。将来されるのは「物」だけです。そして、東夷には文字がないので、「文化」はなく、何も齎されないのです。
 東夷は、古典に示されている大禹(夏后禹)の母体であり、中原人が東夷に関心がないはずはないのです。現に、孔子は、東夷の美点に触れています。
 魏が、明帝曹叡が指示した下賜物を届けなかったというのは初耳ですから、「じゃないですか」と馴れ馴れしくもたれかかられても、根拠を見ないことには同意できないのです。
 以上、貴重な提言に感謝しますが、よほどの論証/批判/試錬がないと採用しがたいと思います。
 恐懼頓首死罪死罪
 
>
>范曄後漢書と三国志倭人の節を各文対比しますと多少脚色・調整があるものの極めて似ています。(中略御免)魏もほぼ優勢が確保されるとあげると約束した倭への金印紫綬や銀印青壽、それ以外に真珠・鉛丹もくれなかったじゃないですか。

范曄後漢書と三国志倭人の節を各文対比しますと多少脚色・調整があるものの極めて似ています。私は従って後漢書が三国志の原典を示していると考えています。ほかに史記が、そして袁宏の後漢記からちょっぴり取り込んでいると考えます。謝承は孫権の妻の弟で公孫とのやり取りをした経過から他の撰者より東夷に関心があった可能性は高いでしょう。東大社研の図書館にあるとされる他の後漢書には東夷がないことが示唆しています。牧魏の後漢書はちょろっと引用されているだけで分かりませんし、他の五名の撰者の書は皆目わかりません。もし謝承の作に東夷伝があったら西域伝ぐらいに引用されているはずという意見には賛成できません。西域はシルクロードに沿って西洋の文化が齎されたので関心の強さが違います。東夷なんて黄河辺りの人にとってほとんど魅力がないじゃないですか。魏もほぼ優勢が確保されるとあげると約束した倭への金印紫綬や銀印青壽、それ以外に真珠・鉛丹もくれなかったじゃないですか。

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