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2020年10月31日 (土)

新・私の本棚 古田武彦 「倭人伝を徹底して読む」 里程・戸数論 1/5

大塚書籍 1987年11月 ミネルヴァ書房 2010年12月 2020/10/30

 私の見立て ★★★★★ 必読書 批判するなら、まず読むべし

〇本書の意義
 前置きを怠らないで言うと、氏が、倭人伝が提示し過去の先賢が読み損なっていた「課題」に新たな視点から明解な「解」を与えた偉業に絶賛を惜しみません。そして、「解」に至る論証過程を明記した事に絶賛を重ねます。後生のものには、氏の論証を追試、検証する務めが与えられているのです。

*本書の由来
 本書は論文集でなく、古田氏の大阪の朝日カルチャーセンターでの連続講義を、主催者事務局が席上収録、文字起こしした記録を底本として起こしたものであり、論文集と異なり日常表現に近い成り行きで、多少、メリハリがついています。ただし、古田氏が、責任を持った著作と感じるので、ここに、率直な批判を加えたのです。事実、書かれている論旨は、氏のものです。

*当記事の意義~第五章 里程論、第七章 戸数問題の部分書評
 つまり、本書の追試過程で、個々の論証、つまり、解の階梯に瑕瑾があって、是正が必要だと感じたら、率直に提示するのが、其の務めのもたらす、派生的課題なのです。以下は、そうした派生的課題の解であり、古田氏の提示した最終的、総合的な解を揺るがしているのではありません。

*誤謬の意味
 世間には、素人考えで、氏の個々の論証に誤謬を見つけて指摘する論者があり、それが、氏の解を全否定する根拠と見る言者があるようですが、それは、ものの筋道を解しない、浅薄な思い付きに過ぎません。
 いや、論者は、あくまで、階梯を論考し、自身の「解」の優越を称しているだけですが、言者は、ひたすら、階梯が誤れば解が誤りと断言します。
 本来厳密なはずの論争が混迷を極め、誇大表現大安売りとなっています。

*部分的批判のはなし
 と言う事で、既に、古田氏の提唱した「魏晋朝短里説」の当否を論じ、史料考察から、同説は「不成立」と断じました。既に、一つの務めを果たしましたが、氏の里程、戸数論を更に追試して誤謬の起源を探るものです。
 学問論議では、未開の荒野に針路を見出すために時に、先人の轍を辿りますが、無批判に辿るのでなく、地に足の着いた論考が、どこで道を外したか、先人の過ちを知る事が有益と考えたものです。

〇「魏晋朝短里説」の起承転結
 古田氏は、第一書から本書までに「短里説」を修正しています。
 まず、氏は、倭人伝が、晋朝史官陳寿が、参照した原史料に対し適確な考察を加えた著作との前提で、その真意を探るところから始めています。

*批判事始め~私見の形成
 当ブログ筆者は、本書で氏の論考を辿った上で、郡から狗邪韓国(郡狗)まで七千里の部分道里と倭に至る(郡倭)一万二千里の全道里に対して、当記事は「郡狗」が七千里となる独特の「里」を物差しに「郡倭」道里を定めたと理解したものです。ここまでは、さほどの飛躍は要しないと思います。

*「普通里」~不滅不朽の制度
 因みに、「里」は、中国で太古以来連綿として施行されていたものであり、「普通里」は、四百五十㍍程度と見られ、私見では、秦代に一歩六尺、一里三百歩の原則で「普通里」が全土に施行され、その際土地制度に刻み込まれた「里」が、尺の変動に関わりなく継承されたと感じているのです。
                                未完

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