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2020年10月31日 (土)

新・私の本棚 古田武彦 「倭人伝を徹底して読む」 里程・戸数論 5/5

大塚書籍 1987年11月 ミネルヴァ書房 2010年12月 2020/10/30

 私の見立て ★★★★★ 必読書 批判するなら、まず読むべし

〇渡海水行道里の意義~私見
 ついでながら、狗邪韓国から末羅国までの「狗末」渡海「水行」道里は、「実道里でなく見立てに過ぎない」事は自明と思いますので論議しません。
 実測できない「見立て里数」を書いているのは、道里の目的は行程の道のりでなく所要日数であるから、三回の渡海で計十日を要するとわかれば良いということなのです。倭人伝独特の渡海特例に限らず、およそ、「水行」は、急ぎの場合でも船上を駿馬疾駆して日程を短縮することはできないので、陸上の街道を行く「陸行」とは、別種の交通手段なのです。

 唐六典などで、両者が並記されているのは、全国統一で適用される荷物輸送の用語であって、定速定量定額の輸送の確立が規定公布の目的だからです。

〇最終区間の「謎」に明解な「解」~私見
 倭人伝道里解釈で肝心なのは、記述された道里に、そのような容易な推定を重ねて、最終残された倭地内では、末羅国から倭まで、残り行程二千里(概算の極み)と見ることができるということです。

 洛陽からは天地の果てでも、現地に着けば案内に不足はないし、日数に余裕を見ているから、多少の遅れは全体日程厳守には影響しないのです。とは言うものの、官制の行程道里規定ですから、末羅で上陸し「陸行」に復帰してからは、ひたすら、脇道に道草せず、最短の行程を規定しているはずです。
 脇道行程は、参考までに追記したのであり、諸国への道草が必須の規定ではないのです。

 因みに、行程の最後に到達するのは、女王の所、王治(城)であって、「王都」ではありません。王の所在を「都」と最高に尊称するのは、中原の帝都、ないしは、副都であり、夷蕃の王の住み処を「都」と崇めたてまつることはないのです。(当ブログの既出分は、極力訂正しましたが、取りこぼしがあれば、ご容赦いただきたいものです。なお、西域伝に一件例外がありますが、それなりに理由があってのことです)

 ここは、郡に発して倭に至る全行程が、すべて(都)水行行程十日、陸行行程一月、即ち三十日、合わせて、四十日を要すると総括し、皇帝以下の読者に、行程道里記事全体に対して、明快な「解」を提示しているのです。(都の解釈は、古賀達也氏の提言に触発されたもみのです)

 以上は、古田氏の見解では無く、当ブログ記事著者の意見ですから、当記事は、古田氏の著書をサカナに、自説提示している物でもあります。誤解される向きはないと思いますが、この部分は、特に私見が多く含まれているので付記しました。他の部分に私見を書いていないわけでは無い事は了解ください。

〇大局的考察の意義
 私見では、資料探索や語句解釈無しに、大局的考察で末羅国に到達します。
 陳寿設定の課題は、大局的考察で到達できる解を備えたはずです。
 それが、当方の持論なので、それに異論はあっても、このブログの記事では、最後まで従っていただくしかありません。異論があれば、全体を理解した上で提示いただきたいものです。いや、何にしろ途中退席は随時自由です。

〇最終行程の推定
 末羅国以降は、二千里程度なので、どこをどう通るかは些末です。従って、ここでは論じないつもりでしたが、最低限の推定は書き残します。

〇道里の帳尻
 行程道里の残りは、かなり大雑把な概数で二千里であり、千から三千里までを含んで緩やかであり、精密な比定はできないと見ています。
 要は、万二千(余)里に確たる基準はなく、概数と見ると万里から万五千里で、七千(余)里は、五千里から万里で、共に大まかなものです。
 想定の三千里キッチリを引いた概数計算で、残り、(マイナスはありませんから)零から五千里であり。先の千から三千里が辛く見える程です。
 陳寿は、全万二千里という「公文書」記事に縛られていたのです。

*切りのいい奇数数列
 このあたりは、切りの良い概数数字、千,三千,五千,七千,万,万二千と並ぶ、飛び飛びの(奇数優位の)数列を使うと、こうなります。数字に強い史官などには自明でも、(皇帝以下の)読者諸氏に、何のことかわからないから、後難を避けて詳しく書かなかったのです。

*ほんの余談
 因みに奇数の奇は、「奇瑞」「奇蹟」に残っている本来、古来の意味です。将棋で「奇手」は、本来、「至高」、「絶妙」の絶賛調でしたが、明治の文明開化で、「正義」が失われて誤解され、もっともらしい同音の「鬼手」に化けたのです。時には、知らない方が強いのです。

*積み残し雑談
 「概数加算の誤解を招くので避けるべき」直進行程を描き出したのは、多分、数字に弱い方の筆でしょう。数字に強い陳寿も、細事に手を加えなかったと見ます。
 行程外傍路国は詳細不明と逃げ、枠外諸国の風聞は埋め草です。西域伝は、古来西の果てに、かくかくの名所があるとの風聞列挙で締めています。
 夷蕃伝では、「隅から隅まで中原記事と同様の厳密さ」は維持できないのです。映画の遠景のように、遠隔の事象は、微少に見え、しかも霞んでいたり揺らいでいたりするので、強力な望遠レンズと頑固な三脚を駆使しても見定められないのです。

〇まとめ
 再確認すると、当方は、古田氏諸著作を熟読、吟味した上で、本書の細瑾、誤謬を指摘しているものです。よろしく趣旨ご了解いただきたいものです。

〇謝辞
 当記事は、藤井滋氏の提言を参考にしていますが、注目されていないようなので、特に明記します。
 藤井滋「『魏志』倭人伝の科学」『東アジアの古代文化』1983年春号
 *別途紹介記事を公開しています。
                                以上

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