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2020年10月 9日 (金)

新・私の本棚 邪馬台国の会第381回講演「邪馬台国」論争 再 2/10

 安本 美典            記2019/09/17 追記2020/10/06 

私の見立て ★★★☆☆ 古典的卓見の現状確認

〇張明澄事例
 最後に登場した張明澄氏は、当誌に倭人伝解釈議を延々連載し、編集長安本氏の意向を忖度したと感じられて、証人資格に疑義があると思われます。

 また、誌上で展開された長広舌は、論考ならぬ雑情報や根拠不明の私見を権威めかしたものに過ぎず、論考はごく一般論に過ぎないと感じられます。疑わしければ実読いただきたいのです。記事の最後に時に披瀝される本音らしきものは、事態の真相をえぐって貴重な啓示となっているからです。

 ということで、氏の意見は、本件論証には寄与しないと推定されます。事実確認ですが、経歴から、日本統治下の台湾で、少なくとも、今日の小学校時代まで皇民教育を刷り込まれ、その世界観に染まっているので「中国人史学者」として信を置くことが困難です。別に非難しているわけではありません。執筆時は日本在住で「本場中国人」とどう意見交換したか不明です。

 その厖大な連載記事には、本件課題の「邪馬壹国」解明に寄与する議論は示されてないと思われます。全文照合はしていませんが、安本氏が引用していない以上、そのような有意義な論議はされていないと見るものです。

〇ひとくくりのスズメたち
 安本氏は、意味ありげに「中国人学者たちの、筆をそろえての批判」と言いますが、僅か三人限りで、それぞれ学識も境遇(住居国/地域は、中国、台湾、日本混在で交流不自由)も論調も三者三様ですから、童謡の「スズメのがっこう」でもあるまいに「おくち」ならぬ「ふでをそろえて」と書かれると、センセイがムチをふったかなと思うのです。考えすぎでしょうか。

〇「芸風批判」の弊害
 以下でも言及するかも知れませんが、小生の意見では、本記事(掲載当時)で安本氏に求められているのは、本件の課題である「邪馬壹国」の純粋に論理的解明であり、少なくとも、敵手古田氏の芸風批判ではなかったのです。

 いや、張氏が、当時、若い世代に猛烈に人気の某タレントの芸風を、世界に通用しない日本だけの人気と批判し、古田氏はその同類と揶揄する意味不明の「芸風」批判を垂れ流したので、そう言わされるのです。

 以下、古代史に無縁の芸風批判にあきれかえったころ、ようよう史学論めいた論議になるので、冗長、散漫の印象を招いたのは勿体ないと思うのです。

〇大家の誤字ご託宣
 そのあげく、当分野で定番化している倭人伝誤記例に関する論議が掲示されています。どうも、ここまで誤記がある以上、「壹」もまた誤記に決まっているという主張らしいのですが、まことにうさん臭い論法で同感できないのです。そこに、二書の誤記論が表形式で対照して引用されています。

①藤堂明保監修『倭国伝』(『中国の古典17』学習研究社昭和60年10月15日刊)

②森浩一編『日本の古代1倭人の登場』(杉本憲司、森博達(ひろみち)訳注、中央公論社、昭和60年11月10日刊)

                                未完

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