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2020年10月 9日 (金)

新・私の本棚 邪馬台国の会第381回講演「邪馬台国」論争 再 8/10

 安本 美典            記2019/09/17 追記2020/10/06

私の見立て ★★★☆☆ 古典的卓見の現状確認

〇「原文」考 歴史観の清掃
 案ずるに、そのようにして新作されたでっち上げ史料は、現代人の著作物であり、陳寿の編纂した著作物ではありませんから、かくなるでっち上げ史料を陳寿の著作物として、その良否、正邪を議論するのは、当の陳寿に対して、大変無礼かと思われます。

 例えば、当方は、一介の素人ですが、自身の著作物を、別人が盗用改竄して、当方の名で論じられるとしたら、とんでもない不法行為です。(現代風に言うと、著作権および著作人格権の侵害ですが、年月を経て著作権が消滅しても、剽窃、盗用は、許されません)

 ということで、ここまで読んだ限りでは、安本氏が堂々と論陣を展開した論拠は、ことごとく不適格ないしは不適当と思われます。つまり、論証の要諦を失していると思うものであるがどうでしょうか。

〇安本氏見解の総括
 本稿では、論議の総括として、以下のように表明されています。本題に関する主旨に変化はないものと思うので、当記事を論評します。

 個別項目に追記としてコメントを入れたことに対して、ご不快の方がいれば、申し訳なく思いますが、これが当ブログの芸風です。

**引用と追記**
 私の考えをまとめると、次のようになる。
(1)三世紀『三国志』原本をみた人はだれもいない。三世紀の原本は、存在していないのである。

コメント:失礼ながら、素人目にも、隙だらけの主張と見えます。
 氏が論拠とされている諸史料もまた、原本は存在せず、現存の「人」は誰も見ていません。(みた人はだれもいない、というのは、軽率な言いそこないと思われます。少なくとも、陳寿自身は見ているはずです)
 あら探しは置くとして、本項は、氏ほどの論客が、重大な議論の冒頭に掲げる論拠として有効とは思えません。本来、冒頭には、本項だけで論議を終結できるような決定的事項が掲げられるべきではないでしょうか。年月で熟成したはずの議論なので、万人がそのように期待して聞き入ったはずです。

(2)現存『三国志』の版本は、十二世紀以後のものである。『三国志』の成立から、十二世紀まで、およそ、九百年の歳月が流れている。

コメント:衆知、自明の客観的事実の表明であり、特に意見はありません。一項を建てる意義も無いと見えます。全ての史料は、世に出た時点から、経時変化(加齢)を避けられないのです。加齢劣化の質と量が大事なのです。

(3)十一世紀よりまえの史料で、女王国の名を、「邪馬壹(壱)国」と記すものは、一切ない。

コメント:「十一世紀よりまえの史料」とは、原文がその時代に涸れたと言うだけであり、その原文が確実に伝わってないので、無意味です。それとも、当時の正本が、たまたま、まだ見つかってないと言うことでしょうか。神がかりになりますね。

                                未完

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