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2020年11月18日 (水)

新・私の本棚 季刊「邪馬台国」第12号 「邪馬台国の里程」 白崎 昭一郎 改 3/5

                  2018/09/18 追記2020/11/18 2022/01/27

*余里の使命
 素人考えを率直に言わして頂くと、倭人伝道里の主行程で見られる千「余」里は、千里に届かない端数を「丸めた」中心値を示したものであり、プラスもマイナスもあると理解すれば、加算を重ねても端数の累積を免れます。また、千里に満たない端数里数は、概数加算で無視できるのです。
 もちろん、末羅国以降の百里単位の里程は、この原則に合わないようなので、別の背景で書き込まれたと見るものです。
 くれぐれも、文献解釈では、文脈を冷静に観察しなければなりません、

*新説の無礼ご免
 白崎氏は、世上に溢れる新説の大半が「山積する先賢の論考を無視する新説」であり「無礼」と断じ、およそ新説の提示に載しては、先賢所説を論破、克服した上で行うべきだとしています。これは、まことにもっともですが、現実には、倭人伝行程道里論に限っても、明確な検証が重ねられているわけではなく、世上見られる論考が、そうした正統的な論議の過程なのか、単なる思い付きなのか、素人目には、確認しがたいのです。つまり、先行論文の指摘と克服は、実行不可能な難業です。

 そのため、ここに述べた所説は、季刊「邪馬台国誌」という学術的な基盤に掲載された論考を批判した上に書かれたものであり、示した解釈は、力の及ぶ限り原典に密着した文献解釈から得たものですが、先賢諸氏は、原典解釈の段階で早々に異なった道を選択していることを指摘しています。
 当方には、遙か別の道を行く論考を論破するすべがなく失礼するのです。

*郡志論 方針
 ということで、倭人伝道里行程記事の使命は、従来不明の「倭」(倭人)の所在、つまり、国王治の位置を記録し、最寄りの帯方郡を起点とした方位、所要日数、道里、城数、並びに戸数、口数を記した報告書「帯方郡志」の作成であり、「倭」の来歴、国王の実名と出自を述べて正史「志」篇と夷蕃伝としての「倭人伝」の要件を整えたと考えるものです。

・里数
 国王治までの「萬二千餘里」は、景初二年六月の倭使帯方郡参上以前に、皇帝への報告に、早々と明記されていたものと思われます。

・日数
 海上移動及び内部道里の所要日数は、魏の国内基準では明確ではないので、「水行」と「陸行」に大別し。最後に「都水行十日陸行一月」と総括されていて、つまり、「都」(総じて)40日と見えます。
 この表記は、余り見かけないでしょうが、倭人伝を正直に読み進めると、こうした世界が見えてくるのです。
 ここで、「水行」日数は、海上移動の道里が不確定のため、三度の渡海で十日あれは十分としたものと見えます。

 中国国内では、街道整備が、全国でほぼ完備しているので、「道里」、つまり、道の里数を言えば、簡単な計算で所要日数が出て来るのですが、街道未整備の上に、一回ごとに一日がかりの長丁場の渡船が三度入っていると、道里の意味はあまりなくて、所要日数が肝心、というか、必須なのです。郡から何日で倭人の王城に達するかの規定は、皇帝の威令が、最短期間で到達し、応答されることを保証するものであり、国政の基幹です。

・城数

 城数は、構成諸国王治三十ヵ所と判断できます。

・戸数/口数

 戸数は、総戸数明記と見ますが、口数は、調べが付かなかったのでしょう。というものの、戸数は、現代風に言うと「世帯」を論じるものであり、つまり、「戸籍」の整備が前提であり、また、各戸に、所定の耕作地が供されていて、収穫物の一部を税として上納する制度ですから、そのような土地制度が異なっていると、戸数の意義は怪しいのです。つまり、帯方郡は、口数の意義が内のは承知の上で計上しているのです。

 世上誤解がありますが、「倭人」が魏皇帝に忠誠を誓う以上、傘下諸国の合計戸数が、明解に示されるべきです。明解というのは、倭人伝を読みながら、戸数を書き留めて、加算して得るもので無く、明記されているべきだという事です。因みに、倭人伝の戸数は、100戸台で始まっているので、読者は、対海国に始まる諸国戸数をすべて書き留めなければならないのですが、最後に、二万戸、五万戸と桁違いの戸数が提示され、千戸台の戸数は無意味と知れるので、まことに不意打ちで、腹立たしいものになったはずです。
 その意味でも、読者の怒りを買わないように、総戸数七万戸は明記しておかねばならないのです。

 このように、重要情報と言っても、それぞれ優先度があり、口数のように、遂に報告できなかったものもあるのです。
 因みに、帯方郡の戸数、口数は、楽浪郡と共に、後漢書、晋書に報告されていて、正式の戸数集計がされたときは、一戸、一人単位の数字が計上されているのです。数字に弱い官人のできることではないのです。

 以上、史料に根拠のない思いつきと批判されないように倭人伝の「方針」を論じたものです。

                               未完

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