倭人伝随想 3 倭人への道はるか 数の話 1/3 改
□倭人への道はるか 数の話
*始めに
ここまで当ブログサイトで展開した議論のまとめを随想としています。
*地方規格の話
中原王朝にとって、倭人は新顔の外夷であったため、その全貌は把握しがたく、折衝窓口となった帯方郡が、倭人伝として簡にして要を得た小伝を企図したもののうまく行かなかった点が諸処に見られるようです。
帯方郡は、長く、遼東公孫氏支配下で中原育ちの官員を揃えられず、中国人の基本教養に欠けた地方語(郡語)入り記事を書いたようです。魏朝官人魚豢や西晋史官陳寿のような教養人が、難解な倭人伝原文を損なわない編纂に努めた結果、今日伝わる出色、異色の倭人伝が出来上がったようです。
*独特の概数記法
倭人伝冒頭の里数、戸数関係記事は次表に総括できると思われます。表中数字は、ほぼ全てが「餘」付きで、端数は全ての例で切り捨てされたとしていますが、ここでは上下合わせた「約」と見て、「餘」を省略して、普通の表現にしたのです。
*総括の考え方
1 里数、戸数は、ほぼ全て「餘」概数であり、上下両様と見ます。
2 狗邪韓国は、倭人(倭国)に属しない通過点で戸数等情報はありません。
3 伊都国が当時、交易物資集散地であったため、伊都国を扇の要として、各国への専用街道が敷かれ、以下行程は「放射状」であると解します。
4 倭人伝である以上、行程記事末尾に、本来、全里数、全所要日数と全戸数が書かれているべきなので、復原を図りました。一方、伊都から王治にいたる里数、及び、邪馬壹国の戸数等は伏せられたとの解釈です。
未完
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