今日の躓き石 口に出せない「シッター」 情けない「うんち屋」ネーミング
2020/11/22
今回の題材は、どこの誰がいつという話では。世間全般の「情けない」風潮です。
つまり、「シッター」と言う、とても人前では口に出せない言葉です。つまり、このカタカナを日本人が発音すると、それは、「Shitter」、つまり、排便する人「うんち屋」であり、大変な醜態です。
しかし、公共放送や全国紙はじめ、最高の知性も教養もあり、国際感覚豊かな人たちが、平然と口にしているのです。当方は、地位も権威も無い、一介の私人で、何を言っても聞いてもらえないのでしょうが、ハーラン・エリソン(Harlan Ellison 米国の小説家 「世界の中心で愛を叫」んだ小説を書いた人)が書いたように、口が無くても大声で叫ばなければならないのです。
いや、子供のお守り役は、日本でも古代以来ありふれていたのですが、なぜか、その職業を「ベビーシッター」と呼んだところから、この職業は、あぶない橋を渡ったのです。つまり、聞きようによっては、子供にうんちをさせる役と取られかねないのですが、おぞましい者達が、肝心の「ベビー」をゴミ箱に遺棄して「シッター」と呼んだので、今日の恥ずかしい事態になったのです。
欧米語でも、子守りには、ナニーという奥ゆかしい言葉があって、うるさく言うと意味に違いはあっても、「うんち屋」に聞き間違えられる恐れがないので、うまく使いこなせば、今日のような恥ずかしい事態にはならなかったでしょう。知る限り、欧州系の教養の人は、米国流の即物的「ベビーシッター」とは言いたがらないように見受けます。
それにしても、国内事情を眺めても、ここへ来るまで「シッター」にならないで済む賢明な策があったと思うのです。
私見では、これ以上深入りしないうちに、「うんち屋」「シッター」は、厄介払いしたいものです。いや、当方には、何の権威も権限もないのですが、バカを承知で声を上げるのです。
以上