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2020年11月 9日 (月)

倭人伝随想 3 倭人への道はるか 数の話 3/3 改

                             2018/11/25 追記 2020/11/09
*戸数計算談義
 戸数計算の成り行きは、ぼんやりしています。

 投馬国記事の「可五万」は、四万数千から五万数千程度の一万の範囲と限らず、四万から六万強の間の二万余りの範囲を包含するとも思えるのです。到達に二十日を要する遠隔地で指導が及ばず、正確な戸数集計ができていない可能性が高いと思われるのです。

 これに対して、奴国記事の「有二万」は、一万五千から二万五千程度の一万の範囲とされ範囲が狭いのです。伊都国の近傍で、適切な集計ができていると思われ、「有」と言い切ることから精度が高いと見るものです。

 戸数集計は七割程度を占める投馬国戸数が不確かで、万単位の加算の結果である「可七万」も、五万五千から八万五千程度の三万の範囲にあると見られるので、その他千単位の戸数、家数も、書いてない多くの小国の戸数を想定しても、「可七万」は変わらないのです。
 端数を積み上げても端数であり、総計を変えられないという概数計算の原理が生きているのです。

 あるいは、名のみ登場する諸国は、複雑な計算をこなす官人がいない上に、戸籍制度も備わっていないので、「戸数」は申告しようが無かったのかも知れません。

*戸数の起源考 (追記 2020/11/09)
 「倭人」は、そんな世界ですから、全国戸数七万戸というのは、何れかの段階で郡に提出された、架空の数字の可能性も否定できません。
 何しろ、「戸」というのは、何世帯住んでいるかとか、家が何軒あるかという事ではないのです。その国の農業生産力、農地面積や動員可能兵力を知る重大な指標なのです。

 と言うわけで、全国戸数七万戸は、全道里一万二千里と同じように、倭人が、最初に公孫氏の遼東郡に接触した際に要求されて、無理矢理捻り出した、あるいは、押しつけられた「数字」であって、何しろ国の実態を離れた虚構であった可能性が否定できないのです。
 遼東郡から追いかけて明細を求められたあげく、どうにも説明のつかない五万戸を、遠隔の投馬国に押しつけたのかも知れません。何しろ、行程が、片道水行二十日ですから、郡から倭に監査が来ても、ごまかし通せると見たのでしょう。
 仮に、郡から派兵指示があっても、交通不便をもって固辞できるだろうと、腹をくくったのかも知れません。なにしろ一万二千里の彼方ですから。
 と言う事で、全国戸数七万戸は、「誇張」そのものでは無いかというのが、この場の思い付きです。

*伏せられた王治
 また、王治たる邪馬壹国の戸数は伏せられていますが、王治独特の事情で、戸数が僅少だったため、あえて開示しなかったものと推定します。

 総じて、倭人伝の後段の王治描写は、引き写しのように紋切り型で、時に場違いであり、おそらく、関係者こぞってのフィクションと見えます。女王制度自体が、中国文化に反する野蛮極まりないものであり、それ以上、中原文化人の神経を逆なですることはできなかったものと思われます。

*多桁計算の世界
 因みに、帯方郡自体は後漢・魏晋朝の地方機関として管轄下の住民の戸籍を完備し、戸数も人口数字と思われる口数も、一の単位まで集計しています。一円単位を追究する経理処理にも似た高精度多桁計算は、中国では、太古以来確実に運用されていたのです。
 但し、厖大な計算労力を要する上に、高度な計算能力を有する官人を必要とするので、滅多に実施されなかったのです。

*原文交錯
 里程記事の末尾で、本来、全体日数や全国戸数を全体里数と共に書くべきところが、国名列記などに割り込まれて乱れているため、原著者の意図が読み取りがたくなり、後世、種々の解釈が交錯したようですが、入れ違いを整理すると、随分明解になるように思います。

 倭人伝の草稿編纂は、おそらく、竹簡を紐綴じした「原稿用紙」で行ったでしょうから、そのような入れ違いはわざとではなく、物の弾みの綴じ違いでしょう。何か目的があって差し替えたとも思えないのでそう推定します。

*終わりに
 三国志全体どころか、魏国志全体すら読み通していないので、大所高所の議論はお受け出来ないのですが、倭人伝の世界で、以上の絵解きにご不満があれば、コメント頂いて結構です。

                                              完

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