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2020年11月11日 (水)

新・私の本棚 古田武彦 『「邪馬台国」はなかった』 道里論批判 5/7 再掲

 ミネルヴァ書房 古田武彦古代史・コレクション版 2010年1月 初刊 1971年 朝日新聞社刊

 私の見立て ★★★★★ 必読、不朽の名著  2019/02/13 2020/04/30 改定 2020/11/11

*「餘」表記談義
 ここで、ひと息入れて、倭人伝の「餘」表記について見解を示します。

 一般的に、これは、端数を切り捨てたものと見られていて、例えば、一万二千餘里は、例えば、思いつきの一例ですが、13,352里と一里単位まできっちり出ていて、実数の残りの端数、1,352里は切り捨てたと見るようですが、そうすると、倭人伝に見られる里数、戸数が、軒並み「餘」付きでは、端数が累積して計算がずれてくるように見えるのです。
 これらの「餘」は、「前後」の意味であり、示されているのは、推定の中心値と見るものです。これは、筋が通った見方と感じています。

 通常、「餘」と書かなくても概数と承知されているので「餘」抜きで書き進めています。これは、以前の記事でも、しばしば指摘していたのですが、当記事の「餘」抜きが初対面の方は戸惑うと思うので、ここに書き留めます。

 また、当方が書いたのは、倭人伝「餘」であり、東夷伝全体すら確認できていないので、あくまで、倭人伝限定地域限定です。帯方郡で作成した史料の表記がそのまま採用されているとみれば、陳寿は介入の仕様がなかったと見ることができますが、あるいは、断片的な史料の寄せ集めで、最善の辻褄合わせをしたかもわかりません。

*渡海談義
 さて、倭人伝道里記事で、次に登場するのが、渡海里数の計三千里です。これは、明らかに実測でなく、単に、こんなものにしておこうという「当てはめ」に過ぎないので、地図上で測量したり、海流を加味したりするのは、全く無意味です。

 「渡」は、中原語法で河水(黄河)などの橋の架けられない川を渡し舟などで渡ることをいい、本来、道里、日数には入らないのです。
 倭人伝に限っては、一度の渡海に、必ず一日を要するので、里数を一律一千里と明記したのです。

 当然、渡海の水行日程は、待機や休養の日数を見込んだものです。渡海は一日、それぞれ前後一日を加えて、全体でさらに一日を見て、全渡海を計十日とし、延着、遅参の責任が及ばないようにしています。

*地域水行談義
 後年集成された「唐六典」は、全国輸送制度の諸規定を示していますが、これは、税衲される穀物の輸送が恐らく規定の下になっていて、秦代に制度が確立されて以来、代々、料金等を調整しながら、制度自体は確実に継承していたものと見えます。
 「水行」は河川の流れを遡行したり順行したりするのであって、当規定では、海難の危険のある海洋航行は(全く)想定していません。
 「水行」日数の算定は、流れの速い河水(黄河)とゆるやかな江水、長江(揚子江)の両大河にくわえて、余水として諸河川が規定されていて、流速を考慮して差が付けられ、まことにきめ細かいのです。

 ところが、倭人伝では、冒頭に「海岸に循い水行し」と、海岸から沖合に向かう渡海を「水行」と呼ぶという「地域水行」を宣言し、「水行」日数は、渡し舟なので往復に関係無く「陸行」同様の一日三百里を示唆しています。倭人伝は、運送規定などではないのです。

*不法な水行設定
 ちなみに、先行史書及び三国志自体で、官道の通信日数を、河川航行前提に設定したものはないと見ます。
 つまり、帝国拠点間の通信、交通の規定は、陸上街道に決まっていたのです。そのため、「倭人伝では渡海を水行と呼ぶ」と明言して、無法な記事だとの非難を避けているのです。
 注目すべきは、実行不可能な、沿岸「水行」などではなく、海岸を盾に行く「循海岸」であり、ありふれた渡河でなく「渡海」を規定している点です。
 古典書に於いて、海岸は、当然「内陸地」であり、これに沿う「沿岸」とは、今日言う海岸の内陸の大地の意です。「沿岸水行」など、端から不可能なのです。

 倭人伝が、独特の用語、独特の概念を駆使して書かれていることは、先賢の指摘が多々ありますが、史書である以上、肝心な用語は、宣言、明記されているのです。

                              未完

 

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