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2020年11月 5日 (木)

新・私の本棚 七田忠昭 吉野ヶ里遺跡と邪馬台国 季刊「邪馬台国」第138号 改 2/3

梓書院 2030年7月刊 吉野ヶ里遺跡指定30周年記念シンポジウム 2020/07/05記 追記2020/11/05

「邪馬台国の今 ~弥生時代の研究のFrontline~

私の見立て ★★★☆☆ 良心的で開明的

*「国」民処遇
 王の統治を支える「公務員」に軍務は無意味です。「近衛兵」は必要ですが、「公務員」の職務であり徴兵はしないのです。税の一部「労役」で駆り出して、道路、灌漑水路、宮殿の整備などにあてるのもあり得ないのです。
 「国」民が免税であるというのは、そういう意味です。
 そのような住民の人数は、後世の帝都住民のように多数ではないのです。

 何しろ、食糧自給できず、周辺の農地の収穫に依存するから、精々、数千人にとどまるはずです。それが、三世紀の時代考証です。

*「国」体論
 全国戸籍制度が未整備でも、「国」の住民台帳が未整備の筈はないのです。徴兵、徴税しないとしても、お膝元の住民管理は緻密の筈です。識字官僚を多数養成し、日本語で言う「経理」、財政実務、計算術に長けた官僚もいて、「国」民、成人男子、識字官僚の数なども、緻密に把握していたはずです。

 輸送や交通には、牛馬が不可欠で荷車も必要です。しかし、倭人伝は、牛馬駆使は無かったというから、「国」を支える物資輸送や文書通信は、人力に頼っていたのであり、巨大な「国」は成り立たないのです。

*用語考証
 因みに、七田氏は、無造作に「都」、「宮殿」(臺)と言いますが、当時の史書では、蛮夷の「国」、蕃国に蛮夷の「王」、蕃王がいても、蕃王の居処を「都」、宮殿を「臺」と呼ぶことは認めなかったのです。

 従って、倭人伝を解して、王の「都」を読み取ったとしたら、それは、誤解です。また、王の宮殿を「臺」としたらそれも誤解です。

 中国史料の誤解は根深いので、氏には初耳かも知れませんが、史料本位に読解すると、一定の境地に至るのです。

*後漢書隔世
 後世史書の范曄後漢書は、「大倭王居邪馬臺國」としています。それは、西晋が蛮族の攻撃で崩壊し、天子が捕虜となってなぶり者にされたあげく殺されるという下剋上大乱の後であり、笵曄の辞書は、陳寿と異なっていたので、「小国」盟主を「大倭王」と呼び、その居処を邪馬「臺」と呼ぶのに、禁忌はなかったのです。

*古代学語彙の風化
 因みに、七田氏の語彙は、国内史料本位の俗説派用語というものの、現代日常語の侵食が進んで感心しないのです。「はっきり書いている」など、日常語世界に足を引っ張られて低俗であり、こども言葉はやめて、大人の言葉で「明記」されているとけじめを付けるべきです。聴衆を、子供っぽい言葉しか解しないと決め付けるのは、大変失礼でしょう。つまり、行間から読み取れる「示唆」でなく「明示」されているとの主旨です。
 続いて、「トップ」とカタカナ語が突然乱入しますが、卑弥呼はスイーツのトッピングのようなお飾りでしょうか。
 子供っぽいカタカナ言葉はやめ、ちゃんと大人の「日本語」で書くべきでしょう。

 当記事は、講演録でしょうがないのでしょうが、学術的講演は言葉を改めるべきだと考える次第です。そうしないと、後日著書拝読の際に、食い違いに悩むのです。ある程度、日常語を離れて語る必要があると考えるものです。

*外交談義の序章
 七田氏の講演に、世間並みに「外交」なる時代錯誤が彷徨していますが、誤解を誘うので避けるべきでしょう。

 三世紀時点で、「中国」(漢と総称)と蛮夷の間の関係は、対等の二国間「外交」などではなく、「漢蕃関係」、つまり、漢が蛮夷をどうあしらうかという関係だったのです。当時、蛮夷を「外国」と呼んだとしたら、それは、漢の文化圏に属しない野蛮人の意です。決して、漢と対等の存在と見ているのではないのです。
 時に、蛮夷を「客」というのは、漢字の読める蛮人が、「蛮」、「夷」と呼ばれると、蔑称だと逆上、激怒するので、ご機嫌を取っているのであって、別に、敬意を表しているのではないのです。むしろ、「客」の文字が、蛮夷の示唆になるのです。鴻廬の掌客と言えば、現代語で言えば「接客担当」のように見えますが、実は、蛮夷の遇い(あしらい)役だったのです。

                                未完

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