新・私の本棚 岡田 英弘 「倭国の時代」 改 1/2
ちくま文庫 2009年2月初版
私の見立て ★★★★☆ 独創強引の歴史講釈 2020/01/17 追記2020/11/06
*不似合いなお手本
本書批判を後回しにしたのは、冒頭、「マレーシア年代記」が、誇張に溢れた創作で、史書として不正確極まりない悪書との評価を投げ付けて、凡そ、史書は、みんな嘘だと決めつけているからです。一刀両断です。ただし、同年代記は未読では、氏の判断に異論は唱えられませんが、伝説、神話の類いは創作文芸だから、史記以降の中国史書と別世界、同列に評するのは見当違いと見ます。
○対比困難な「三国志」
何しろ、三国志は、裴松之付注で見られるように、編纂資料が山積で、勝手な創作は不可能です。つまらない嘘はすぐばれます。
特に、三国志は、魏朝直後の編纂であり、稚拙な曲筆はあり得ません。蜀志、呉志は両国視点で書かれていて、陳寿は魏朝正統説による無益な改竄はしていません。
史官は、史実継承を「天命」としていたから、曲筆はお門違いです。凡そ、史官への誹謗中傷は、論者の人格投影像に汚物まで投げる自損と見えます。
*当て外れの非難 無謀な講釈
ご指摘の武断は、国内史書、例えば、「日本書紀」に当てはまるとしても、「三国志」、就中 魏志倭人伝に関しては、ご巷説は承るものの、倭人伝執筆背景も含め、氏の名調子の創作てんこ盛りで説かれては、調子良すぎて同意しきれません。
所詮、氏は、現代の俗人(士誠小人)であり、気骨の士の真意は理解できないようです。
*年賀会の怪
司馬懿が、倭使を年賀会に参席させて威勢を高めたとは「創作」でしょう。明帝没年に年賀会は無かったのは明らかですから、新帝曹芳の正始年間のことでしょうが、そのような記録は見当たりません。。
*司馬懿の暴挙~喪われた功業
司馬懿に求められたのは、公孫氏排除のはずが、ご当人は、長年の対蜀戦での不甲斐ないとの評価を、遼東征戦で拭い去りたかったのではありませんか。遼東を、丸ごとぶっ潰した無用な暴虐が明記されています。
明帝は、司馬懿の暴挙を苦々しく思ったでしょうが、講評しないまま夭折したので、その真意は知ることができません。私見では、新王朝の始祖たらんとしたとも見える「烈祖」たらんとしていた明帝は、公孫氏を放逐しても遼東郡組織は温存し、幕僚として信頼の篤い毋丘儉の指揮で東夷に威令を弘布する深謀遠慮を有していたと思えます。
帯方郡が無血回復され、太守更迭だけで、郡の細(ささ)やかな東夷管理体制は温存されましたが、その際の最大の功業者毋丘儉は、後に奪権した司馬氏に対して挙兵し、誅殺されたので、伝は残されたが功は語られません。ただし、倭人来貢がその功であり、司馬懿は東夷平定に無関心であったと読めるから、司馬懿を高め毋丘儉を貶めてはいません。
○行程道里解釈の不首尾
勿体ないのは、氏の現地体験で、郡から狗邪韓国の陸上行程の「竹嶺」(鳥嶺)を経る古代街道の存在を認識しながら、同地を越える「中央線」乗車の機会を逸したせいか、倭人伝行程道里解釈で無造作に海上行程をとることで、まことに、まことに不可解です。
つまり、竹嶺で小白山地を越えて洛東江上流に降りる誇大街道の陸路は、氏のご名算ですが、後段、信をおけないはずの倭人伝俗解釈にとらわれて、折角の確固たる陸路を放棄し、経路、用船、運航体制、全て不詳で、「延着」「難破」必至の沖合航行を推すのは、「読み下し」に足を取られたようです。
氏は、いい加減な道里行程をどう通ろうと問題無いとの割り切りでしょうか。読者は、氏の論考の瑕瑾に気づかないと見くびられているようです。
未完
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