倭人伝随想 3 倭人への道はるか 数の話 2/3 改
2018/11/25 追記 2020/11/09
*概数の話
前回の表に里数、戸数の概念を示したように、本来、有効数字が一桁あるかないかの概数であり、加算は、それぞれ、千里、萬戸の桁で行われたと見ています。これは、当時常用の算木計算に相応しいものです。
一桁あるかないかというのは、一、三、五、七と飛び石になっているようにも見えるとの意味です。いや、三は、大小比例で言うと一と五の中間では無いので、二とも三とも言えない数字を「数」と称した可能性があります。
例えば、四千,五千,六千の範囲であれば、五千(餘)と言えば済むので、「数千」という意味が無いのです。いや、これは、倭人伝の大雑把な数の世界だけかも知れませんが。(追記 2020/11/09)
世の中には、一里が短いと、すぐ百里、千里になって不自由だというお節介な人もありますが、里数(に限らず)普段の計算は一番上の桁でこなすので、単位が百里でも千里でも、手間は同じなのです。
*里数談義
計算は千里単位で、七に一を三つ足し十となったのに、残りの端を足して十二「千里」としたのです。里数決定は、郡倭間を何日で移動するかの基準設定が目的で、里の長短自体は問題ではないことによるのです。
倭人伝論に於いて、諸兄は、倭人伝の一里が、当時の中国里と大きく異なることを含めて種々の論議をしていますが、肝心な日数が、水行十日、陸行一ヵ月、つまり、一ヵ月と十日(四十日)と明記すれば用は足り、別に里数は意に止めなかったのです。とは言いすぎでしょうか。
*水行陸行
詳しく言うと、水行十日、陸行一ヵ月は、そのまま読み取れます。
水行は、狗邪末羅間の渡海で、一回千里、渡海一日に前後を足し三日が三回の九日に予備日で十日、三千里を十日で一日三百里となります。
陸行は、残る九千里を三十日で一日三百里となり、見かけの辻褄がきっちり合います。
*棄却提言
最後に、倭人伝里数談で当然とされた幾つかの定理をここで捨てています。
曰く、部分行程の里数総和は全体里数と等しい、とする古田武彦氏の提言は、概数計算の特性を見過ごした誤解と見ています。
曰く、行程記事は、次々に各国を訪れるものであるとの先賢の提言は、誤解と判断します。
一つには、郡倭行程は、最短、明解であるべしという考えです。
二つには、君臨する倭国は交易中心伊都国と最短経路で繋がるべしということです。また、諸国間に利害関係がある以上、他国を延々と経由して、伊都国との間を文書や貨物を運ぶのは考えがたいのです。
曰く、倭の王治が伊都国から水行十日、陸行一ヵ月とは、あり得ない話です。文字が無い時代に、遠隔地から伊都国を支配するのは、神がかりです
曰く、倭人伝旅行ガイド説は、重大、深刻な時代錯誤です。皇帝は我が儘者でなく武の人です。端的には、倭は何人の兵士を何日で動員するか求めているのです。あるいは、倭に指示したら、何日で怪とあうがあるかという事です。
曰く、水行を河川行と断じた中島信文氏の卓見は、先行妄見を凌いでまことに貴重ですが、倭人伝記事は、帝国文書使などの日程規定のためのものであり、実際の荷役は別として、日程不定の水行は、不可避の渡海しか採用出来ないとしたのですが、当稿の郡語説は納得しがたいでしょう。
以上の絵解きにより、方位の取り違い、道の曲折、海流の影響とかを論ずる必要はないのです。そのかわり、女王王治の所在は不確かです。
未完
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