新・私の本棚 藤田三郎 吉野ヶ里遺跡と邪馬台国 季刊「邪馬台国」第138号 1/3
唐古・鍵遺跡から見た邪馬台国 吉野ヶ里遺跡指定30周年記念シンポジウム
梓書院 2030年7月刊 2020/11/07記
私の見立て ★★★★☆ 良心的で開明的 考古学の王道を示すもの
○はじめに~唐古・鍵遺跡概要紹介
藤田氏は、奈良県磯城郡田原本町の田原本町教育委員会埋蔵文化センターセンター長であり、以下、氏による同遺跡の紹介を引用します。
同遺跡は、史跡指定以来二十年を経過し、史跡公園とミュージアムを備えていて、近畿地方を代表する史跡であり、弥生時代前、中、後期を経て古墳時代前期まで続いた大集落という事です。
奈良盆地は、南北三十㌔㍍東西十五㌔㍍であり、同遺跡は、中央部に位置しています。盆地の遺跡地域は、北の「北和」、その南の「南和」、最南部の「葛城」の三地区が示されています。同遺跡は、南和のやや北寄りで、纏向は、同遺跡南方で大和川支流を、同遺跡を去ること四㌔㍍遡った位置です。
○明晰な解説
肝心なのは、この講義で、奈良盆地内の古代状勢について、時間的にも、地理的にも、十分な考察が払われていることです。
本誌読者各位も、初耳と思いますが、本講義の視点で語られた「畿内説」は、初物です。本講義冒頭の述解で、氏は、同地域遺跡の考古学考察に注力し、「邪馬台国」纏向説の考察に余り関わっていなかったとのことです。
ただし、ここで説かれるのは、同遺跡と纏向遺跡が、「南和」の近傍でありながら、互いに服属とも闘争とも見えない、両者共立の意見です。一世紀以来三世紀程度の間、互いに干渉し合わなかったとの意見です。
○大和川水運考
ここで異論を挟むのは、唐子から大和川を経て上下往来する船舶とか集落環濠を運河としたとか、学界通念かも知れない後世概念への大疑問です。
氏は同意されないかも知れませんが、当時残存の湖沼をもってしても、大和川本流、特に河内側は、抑制の効かない暴れ川と見ます。
また、大和川が河内方面に出る渓谷に沢道は無く、峠越えの山道は、人力の担い仕事と見えます。ただし、細やかな物流なので間に合っていたのです。
この点、纏向に九州を統轄する古代国家を見る諸兄に異議はあるでしょうが、二~三世紀の壮大な水運は夢想に見えます。
いや、鉄製農工具、製材具がない時代、山道整備も、丸太舟造船も、不自由だったはずであり、水運や山越え輸送は、困難と見るのです。
私見を挟むなら、氏の触れていない淀川水系から木津川に移行し、木津の川港を経た「なら山」越えで奈良盆地に入り「北和」に至る経路が、時代相応の主力輸送経路と推定しているので、ご評価いただきたいものです。
○環濠の使命考~思考実験
同様に、当ブログ筆者は、ここで足を止め、素人考えの思考実験を展開しました。当然、氏の論考で説明されていますが、ご参考まで書き連ねます。
集落を囲む環濠は、集落への野獣侵入を防ぐ実用性があり、さらに、決して多雨地帯でない同地域の水田稲作を支える「ため池」と思います。
言うまでもありませんが、運河は、全長に亘り高精度で、水平を保つように等高線沿いに水路掘削する必要がありますが、それほどの土木技術はあったのでしょうか。水位保持は、とてつもなく大変だったと思うのです。
恐らく、運河の基本機能、構造をご存じない方の戯れと思います。
未完
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