倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 短里説の終着駅 5/6 再掲
2019/02/27 表現調整 2020/11/10
*変動する天下の広さ
司馬法の単位系展開の最後は、周制の「畿」に至る広域の定義です。
天子の領域とされる「畿」は、一辺千里の方形であり、里から里の千倍に至る過程は、面積十倍(一辺3.16倍)刻みで、隙無く定義されています。つまり、周制が確固として定まった有史時代、里は変わりようがなかったのです。
もちろん、周時代、王畿を実測測量して、一辺千里の方形を得たわけではなく、「畿」は、周王の領分が諸公領分の一段上との秩序の理念を示しているのです。(面積十万倍 一段下位の「封」は一辺三百(六は誤記)十六里と表記)
また、司馬法で「領分」は、軍制規定の基本であり、それぞれ、領分の広さに応じた兵士の数が、義務として定義されています。天子は王幾に在り、諸公は、四方で蛮夷の侵入を防いで「中華世界」を護るのが天下なのです。
*軍制への波及
秦始皇帝は、周制を採り入れるに際して、諸公軍務を数字だけで算定する形式的な制度が、防衛体制を形骸化して無力なものにし、西周末期に外夷侵攻を許し亡国を招いたのであり、秦は周制を全面踏襲しないとしました。
そのように、周制の面積単位系は周代の諸公軍務の原則を決定しているものであり、秦漢でそのまま遵守していないとしても、国政の原則となっていたので、その一部である里制だけを変更はできないということです。
*郡国志
郡及び国の所在地と方位、道里は、郡国志に明記されます。
先に述べたように、実用単位畝や歩が不変で里を伸縮する改定は、日常生活にほとんど影響しないのですが、里は、広範に波及するので、郡国志及び地理志にとって大問題なのです。
帝国の威勢を示す全土(天下)広さや各国道里が大きく変わるのは大問題(つまり、あってはならない不法、大逆行為)です。王幾の広さが変わると、中華世界の大きさも変わるのです。
この辺りも、里制変更を地理志に明記しないといけない理由です。
*正史記録の不在は「史実」の不在
つまり、これほどの天下の一大事が正史に記録されていないのは、一大事などなかったからと見るべきです。
*記録不在の意義
時に、史書に記事が無くても「無かった」とはならないとの強弁がありますが、天下の大事件を書かなかったのは「無かった」からに違いないのです。
正史に書いてなくても、知られている史実は明白だから、そのように書いてあるものと見て、そのように「改竄」して読むと言う態度は、一部古代史論者の常套手段ですが、安易に真似してもらいたくないのです。
史料は史料としてそのまま読むという基本原則に従うと、里制変更の主張には証拠が必要です。
史料解釈は、史料自体による解釈から「始発」すべきではないでしょうか。
未完
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