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2020年12月21日 (月)

倭人伝の散歩道 2017 東夷伝 評の読み方 再掲

                                  2017/09/20 補正2020/12/20
○はじめに
 「評」は、倭人伝末尾に書かれていて、本来、東夷伝の一部と解すべきなのですが、大抵の倭人伝論で忘却されています。

*評釈
 当方は、四十一字の字数に惑わされず、「評」として書かれた(重い)意義を伝えたいのです。
 まことに、つたない解釈ですが、以下に私訳と所感を述べます。

*原文 (句読点等は、中国哲学書電子化計劃による)
 評曰:史、漢著朝鮮、兩越,東京撰錄西羗。魏世匈奴遂衰,更有烏丸、鮮卑,爰及東夷,使譯時通,記述隨事,豈常也哉!
私訳:

 評して言う。司馬遷「史記」と班固「漢書」は、朝鮮と両越を著し、東京(東漢 洛陽)は、西羌を撰錄した。魏の世に匈奴は遂に衰え、更わって烏丸、鮮卑があり、加えて東夷が使訳し時に通じたので事に随い変化を記述した。

*所感
 ここに書かれているのは、魏による司馬懿の公孫氏討伐、遼東平定によって拓かれた東夷新知識を記録した倭人伝が中華文明史上に燦然と輝く史書であるとの自負です。魏志の掉尾は、東夷伝で画期的に意義深いので、冒頭に序文が書かれ、末尾に東夷伝に付された「評」が書かれたと見るべきです。

 念のため言うと、陳寿の時代、范曄「後漢書」は百五十年先で影も形もないのですが、「東京撰録西羌」は、史記「大宛伝」、漢書「西域伝」、荀悦「漢紀」西域記事に続いて、後漢書西羌伝の企画があったということです。魏の世に匈奴が衰え、代わって烏丸、鮮卑が書かれ、東夷から使者が来ましたが、四夷は、早足で推移するから書き留めねばならない、との慨嘆と思えます。(荀悦「漢紀」は、後漢献帝の諮問による著作ですから魏朝に継承されていたはずです)

 これは、陳寿の理解では、後漢代、特に、末期には、東夷交流にさしたる事績の記録は無かったということです。また、暗黙の意見として、後漢末期から魏代にかけて、西域交流にさしたる事績の記録はなかったと言う事であります。

 四夷来貢の度に鴻廬が歓待し礼物を渡し、印綬を施した事例は、容易に書き尽くせないほど多かったのですが、史官が「列伝」を著するのは、帝詔公布、使節往来など大事件があったときなのです。このように、陳寿は、慎重に言葉を選んで、寸鉄言としています。

*追記
 因みに、世の中には、この「評」が、倭人伝の不出来さを自認していると解する人がいるようですが、それは物知らずの勝手読みです。

 陳寿は、史官の系譜を嗣いで魏志を書いた自負心を持ち、つまらない「評」を載せるはずがないのです。個人的「レポート」の締めではないのです。

 史料は、先ずは、史料自身の文脈で読むべきです。

 因みに、当記事は、神の目で見て「評」が適切な自己評価と言うのではありません。陳寿がどういう趣旨で何を書いたかと言っているのです。個人の意見は当人固有なので以上趣旨に同意できないとして、それは当人の勝手です。

 時には、自明のことを明言したいのです。

                               以上

 

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コメント

早速の回答に感謝します。
 当方は、素人の後進者として、古田氏の思考方法に傾倒していますが、それというのも、何か、個人的に転がしていた議論が、実は、随分以前に古田氏から発表されている、と言う経験をしたからです。後追いばかりで、「負けました」と言うことです。
 今回の曹丕長大論批判は、卑弥呼の年齢推定が、氏の古代史大系の基礎と見えるが、当方としては、文献批判の段階で「間違っている」と思って、ここに発表しているのです。いわば、遅くなった「恩返し」です。
以上


 当方は、古田武彦氏に関しては、あなた様と同じように尊敬はしているが、問題もある点は
 指摘すべきと言う立場です。ハイ。

またまたのコメントありがとうございます。
 今回は、物わかりの悪い小生のために、丁寧に説き起こして頂き感謝します。
 まことにお説の通りであり、頭を垂れて、感謝致します。
 ついでながら、伺った内容は、ほぼ、古田武彦氏の著作で読んだ趣旨と相通じるものであり、その意味で、極めて高度なレベルにあるものと拝察します。
以上
 

 東夷伝が序文と評を備えた存在であることは、東夷伝が陳寿にとっては思い入れのある史書で
 魏志の中でも重要と考えていたことや多くの文人に読んでもらいたいと思っていたことを物語る。

 そのため、東夷伝序文と言うのは、
 陳寿の思い入れや社会や王朝について憂慮している内容、史書編纂で重要と考えていることを述べており、かなり私論が入り、鳥丸鮮卑東夷伝序文は北方や東方の民族に注意しないと中華文明が危険にさらされることに対する陳寿の警告が読み取れる。
 ですから、この序文から、陳寿は晋王朝以後の五胡十六国時代を予見していたとも言える。

評と言うのは、過去の王朝の評価や人物の評価を陳寿がして述べたものというのが主、
そして、それら王朝や人物、過去の史書に足りないものを述べている。ですから、東夷伝の評は史記や漢書に延べられなかった、無いものを記述すると述べている。

コメントありがとうごさいます。
ご意見はご意見として拝聴しました。
ご指摘の点は、勇み足でしょうが、「肯定的」な評であるといいたかっただけです。
東夷伝が序文と評を備えた存在だという見方については、同お考えなのでしょうか。
以上


  「豈常也哉」は「画期的なことである」などと言う陳寿の自負や自画自賛ではない。

 この文は「東方などの情勢が)どうして常なる(変化もしない)ことがあろうか!」 ほどの
意味で、「時代時代に即して史実を書く必要がある」と述べている。

 陳寿は、評で自画自賛や自負は、語りません。

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