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2021年1月 3日 (日)

新・私の本棚 番外 「英雄たちの選択新春SP “ニッポン”古代人のこころと文明に迫る」再論 2019 4/7 改

 2017..2019/01/03 記2019/01/13 追記 2021/01/03
 
*児戯、画餅
 同様に、列島各地に、同形状、同系列の墳丘墓がずらりと揃っていくわけがないのです。考古学者は、個別の墳丘墓の時代比定については、個性的な見解を述べていますが、このような児戯は支持していないはずです。

 現代は、絵解きの時代ですが、天下の公共放送が、ここまで安直な絵解きに溺れるとは、受信料の無駄使いです。演出と言うよりウソの練り重ねです。

 それは、例えば、桜前線の伝搬のようです。その場合、全国にソメイヨシノの植樹と養生が連なっているから、まるで、誰かが開化せよとの指令を発したのが、南から北へ伝わっているように見えるのですが、番組の茶番は、安直な幻像に過ぎません。子供に塗り絵をさせているようなものです。

*番組の蛮行
 そのような演出の背景は、放送局も新聞社も通信社もない時代に、列島全部に隈無く、すらすらと文化が拡散するという幻想ですが、「文化」が、文字を前提としている以上、文字のない時代にそのような文化拡散はありえないのです。そして、何より、三世紀、四世紀に、広域政権はないので、拡散の発信源も伝達手段もないのです。出かけて布教するしかないのです。

*地方国家幻想
 九州北部の政権は早期に実在したとして、「吉備」「大和」に同様の政権が存在したという同時代記録はないのです。
 仮に記録されたとしても、地方間の連絡は、使者が伝言するしかないのに、片道一ヵ月はかかろうかという遠隔地同士で対話は成立せず意思伝達は無理である。そもそも、そのような遠隔地から、収穫を取り立てるのは無理だし、相手の挙動に文句があるからと言って遠征軍を送って征伐するのも無理です。

 国家の構築に不可欠な要素がないから、広域国家はなかったのです。
 
*倭人伝の諸国像
 倭人伝談義では、多数の小国が共存し、「女王を総会で擁立した」共立図が描かれているようですが、交通不便で、文字通信も無いとなると、ほんの山向こう、川向こうでも、別所帯であり、喧嘩も食べ物の融通も、ろくにできないのです。話し言葉が異なるとなると、時候の挨拶も、男女交際も不可能となります。諸国統一どころか、隣村さえ支配できないのです。

 唯一進展があるとしたら、川に橋が架かり、山越えの道が通じるときで、せめて日帰りで往来できたら、朝、荷を背負って隣村に出かけて産物を仕入れ、夕方に帰還することができるのです。日帰り交流が広がれば、両集団の交流が深まり、合流しようかという事になるのです。

 いや、大抵、隣村は分家であり、言葉も風俗も通じ、往来便利なら親戚づきあいできるので、分家や親戚を、掠奪や武力征服などしないでしょう。磯田氏は、よそ者は「人」でない(から殺してもいい)と強弁しますが根拠不明です。
                               未完

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