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2021年1月

2021年1月29日 (金)

今日の躓き石 「デジカメウォッチ」を徘徊する「レンジファインダースタイル」の亡霊

                               2021/01/29

 今回の題材は、特定の記事というわけではない。「デジカメウォッチ」の新製品紹介で、無法に表れる「レンジファインダースタイル」なる奇怪な形容の無法を指摘するものである。

 以前、最初に指摘したときは、富士フイルムの強引な商品コンセプトによる売り出しかと思ったものである。

 歴史上、レンジファインダーを最も目立たせていたカメラは、「ライカ」である。

 最新のデジタルカメラは、ビューファインダーは備えていても、レンジファインダーは備えていないから、レンジファインダーカメラというとウソになるのだが、だからと言って、「スタイル」は、ごまかしであり、あざといと思ったものである。しかし、富士フイルムのニュースレリースにそのような言葉はなく、デジカメウォッチの誤報、でっち上げと感じたのである。しかし、事態は、一向に是正されなかったのである。

 今般の新型機は、正面から見て、右肩のビューファインダーはなく、メーカーとして「まがい物はやりません」といういさぎよい宣言に見えるのだが、依然として、デジカメウォッチでは「レンジファインダースタイル」なるまがい物として出回っているのである。不思議な話である。担当者の視力検査が必要ではないか。

 素朴な疑問として、同サイトの記事は担当者の書きたい放題で、ファクトチェックはないのだろうか。掲載する記事の用語誤りを指摘する編集長は、いないのだろうか。
 それにしても、無知で頑冥な担当者というのは、何とも、困ったものである。

 そして、気の毒な富士フイルムは、自社の新製品に泥を塗られれて、恥とは感じないのだろうか。たしかに、「クラシカルで美しいデザイン」とは、何かつっかえたような表現であり、自社製品を「美しい」と単調に自賛するのは不器用であるが、まがい物扱いは、断固排しているのである。

以上

2021年1月26日 (火)

今日の躓き石 罪深いNHKスポーツ番組の「リベンジ」感染拡散

                                                                       2021/01/26

 当ブログではおなじみの「リベンジ」騒動であるが、今回は、どう書くか随分悩まされた。NHK番組を見る限り、石川佳純選手は、インタビューで、確かに「リベンジ」と言っているが、抑えた言い方であり、過去男性選手から聞こえたように攻撃的で毒々しい有害「リベンジ」でないのはわかる。単に、言葉を勘違いしているだけである。人柄にそぐわない、勿体ない言葉遣いである。
 これが活字だと、すかさず心得違い「報道の不行き届き」を叩くのだが、今回は、画面から表情や口調が伝わっていたため、言い方に困った。

 但し、今回確認したネット報道で、Jiji.comが引用している、ほぼ同時期の談話では、「チャレンジ」すると言ったことになっている。もちろん、両メディアの取材に対して、同一の用語で応対したとは言い切れないが、あるいは、担当者が、そのような言葉遣いで問いかけたのかも知れない。つまり、一種のやらせになっていたのかも知れない。そして、Jiji.comが選手の発言の真意を察して、さりげなく、言葉遣い、言い間違いを是正したのかも知れない。といっても、全ては憶測である。

 ということで、確かに、石川選手は、目下の所、「リベンジ」の(深刻な)意味がわかっていないのだろうと思う。海外で、「リベンジ」は、とんでもない禁句なのであるが、知らなければ仕方ない。
 言葉の感染経路を推定すると、先般のNHKの特集番組で、語り手に「リベンジ」と言う言葉を被せられたので、「再挑戦」を「リベンジ」というと誤解して、今回は、自分から「リベンジ」と言ったようにも見える。憶測は憶測として書いておく。
 要は、憶測であるが、近来の特集番組の長期密着取材で、NHK担当者を感染源として、具合の悪い言葉に感染したと見えるから、選手は、被害者のようである。だから、発言を責められないのである。

 大変困ったことに、今回のインタビュー報道で、世界のトップレベル、日本選手権者の言葉に接して、『「再チャレンジ」を「正しくはリベンジと言う」』と「感染」してしまう人がいるはずである。何しろ、みんなのお手本になる人が、NHKの番組で喋っているのである。
 つまり、NHKは「リベンジ」蔓延のクラスターを振興していると見える。NHKには、公共放送の絶大な権威があり、いわば、言葉の護り人なのに、いわば、悪性「感染症」を拡散していることになる。何とも、困ったものである。

 NHK社内では、ここで言うような報道倫理に拘わる議論は、一切せずに、各担当者の言い崩すままにしているのだろうか。一視聴者の気づくようなことは、とうの昔に気づいているはずなのだが、是正されないのは、何とも、困ったものである。

 素人の見る限り、Jiji.comは、良心的な姿勢で、「感染症」の抑制に努めているのである。視聴者から受信料を取り立てて、その代わり、広く信頼を集めているNHKは、自身の使命に覚醒して、何とか、悪疫を沈静化させて欲しいものである。

以上

 

2021年1月 6日 (水)

今日の躓き石 毎日新聞社「第100回高校ラグビー」報道の改善~消えゆく「リベンジ」は、死なず

                              2021/01/06

 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊のスポーツ面「第100回高校ラグビー」報道におけるゆるやかな改善である。ゆるやかと言うのは、記者間の感性の違いで、一向に改善されない無分別な個体と、まあ、取り敢えずこの言葉はやめとこうとする分別のある個体が入り交じっているのだが、後者の記事には、「リベンジ」などという汚染された言葉が出てこないから、この場で指摘しようが無いのである。印象として、問題発言が減ったのではないかと思うだけにとどまっている。信賞(必罰)の務めが果たせていない点については、ここにお詫びするのである。

 今回も、何にも無しなので済みそうだったのだが、準決勝の敗戦戦評で、見たくもない「リベンジ」が炸裂して、この記事になったのである。選手の発言引用でないから、担当記者の勝手な当てはめと見るものであり、どうみても、事実報道の大義の下に正当化されるような大層な記事とは思えないのである。勿体ないことである。

 最近強調している見方を言うと、毎日新聞読者のかなりの数が、血なまぐさい、罪悪の昂じる行為と見なす可能性のある言葉を、この場で敢えて採用し、三年生選手の将来に暗雲を投げかける気が知れないのである。読者は、記者のことなど意に留めず、高校生にもなって、悪ガキばりの汚い発言をした選手として記憶するのである。こう言ったら、苦言に反発して、逆ギレするのだろうか。

 くれぐれも、各記者の職歴に汚点を残さないように、どう見ても分のない「リベンジ」擁護活動に加担しないようにお願いしたいものである。そうでないと、今回は、クラシック音楽の分野にまで、汚染が及んでいるのである。くれぐれも、恥の多い言葉の普及に尽力したなどと書かれないことを望むだけである。

 取り敢えず、当ブログの立場では、署名記事と言えども、個人攻撃はせず、最終責任は毎日新聞社にあるという見方であり、各担当者の理解を仰いでいるのである。担当記者の失策を、そのまま読者に届けるのであれば、編集部には、何の校正機能もないということであり、それなら、ネット報道と大差ないのである。紙面の背後に大勢の叡知が働いていると信じなければ、宅配講読を続けられないのである。

以上

今日の躓き石 毎日新聞社の曲がった社風 曲解引用された延原武春氏の「リベンジ」発言

                             2021/01/06

 今回の題材は、毎日新聞夕刊、「夕刊ワイド」面の「芸術」欄である。題目は、クラシック界の重鎮、延原武春氏の本年の抱負である。どこにも、雑音が入るはずはないと思ったのだが、シメの部分で、突如、「リベンジ」なる忌まわしい言葉が突出して、読者は、地に墜ちるのである。

 毎回の指摘記事がそうであるように、今回指摘する失言、意図していない暴言は、このような忌まわしい形で紙面に掲載されるべきではないのである。氏が「リベンジ」と言った真意(こころ)は、このように報道されると、読者に、とても伝わらないのである。
 つまり、氏のような年配の豊富な教養の持ち主の口に出す言葉は、読者にしてみると、正統的な意味に従っているものと期待され、それは、半世紀に亘る宿縁の「報復」であり、血なまぐさい、血塗られた光景が幻視されるのである。

 いや、延原氏がそんなつもりで言ったのではないというのはわかっているが、それなら、何としても、もっと穏当な表現に言い換えるべきである。それが、大新聞の取るべき径であって、何でも、聞こえたまま、文字にすれば良いというものではない。
 記者に聞こえた、つまり、受け止めた意味と違う意味で受け止める読者は、決して少なくないのである。報道の者として、このような誤報は、戒めるべきではないか。

 当記事の趣旨は、そう言う事であり、今回の記事は、延原、小林御両所には、定めしご不快であろうが、このような機会をとらえて指摘しないと、大新聞社の社風が改まる可能性は、全く無いので、ことさら、ここに事を荒立てて指摘するものである。だからといって、この記事が大新聞社の耳に届くと思っているのではないが、発言の飛沫でも良いから届くのではないかと思っているのである。

以上

 

2021年1月 3日 (日)

新・私の本棚 番外 NHKスペシャル 「“邪馬台国”を掘る」 4/4 改

                               2019/01/25 追記 2021/01/03
*井蛙新種 中国人の幻想
 ついでに言うと、中国人学者が、「三世紀当時、東アジアでは魏の強さと文化の高さを誰もが知っていた」と放言するのは、いくらでかくても、井戸は井戸、蛙は蛙と自覚していないということです。時に、中華思想と言われる独善の偏見で、中華三千年、千古不抜の大蛙です。

 「東アジア」と勝手に後世用語を取り込んでいるものの、その範囲は朦朧としていて、日本列島は認識外だったので、中国の認識している東アジアではと言うべきでしょうか。それにしても、呉と蜀には、全く別の意見があったでしょう。

 少し丁寧に言うと、中華文明の一員でないもの、中原天子の威光を知らないものは、「人」ではないということです。

 つまり、「東アジア」と「誰も」の二点が大きく曲がっているので、魏を天子と認めないものを数えないという「狭量な」視点だから「誰もが知っていた」と、信念を持って断言できるのです。いや、古代史学者は、当の時代の世界観に身を浸さないと、適確な時代考証ができないのですが、前触れせずに神がかりされると、理解に窮するのです。

 と言うものの、当時の東アジアで、中華文明の一翼を担う劉氏蜀漢と孫氏東呉は、成り上がり者に過ぎない曹氏魏帝を天子と認めていなかったし、夷蛮の輩(やから)であってもすでに数世紀に亘って君臨していた高句麗王国は、自身の天下り創世紀を擁する神話大系を確立していて、確固たる創世神話を有さない中華文明の、しかも、ぽっと出の魏皇帝を「天子」と見ていたわけではないはずです。
 
 「知っていた」が、単に知識、認識の問題なら別ですが、ことは尊崇、心服、服従まで含まないと話にならないから、このように批判を浴びるのです。

*逆「夜郎自大」 中国人の幻想
 そして、朝鮮半島はともかく、日本列島全体で、魏が何者か知っていたのは、百人といなかったはずです。何しろ、漢字が読める人は、ごくごく限られていたから、衆知どころか、知る人はごくごく希だったのです。魏の創業者が誰で、どのようにして、亡国の漢を救ったかなど、を紹介した文書など存在しなかったのです。もちろん、魏志も魏略も存在しなかったのです。

 
冗談半分に言うと、魏は、委と鬼であり、要は、倭の鬼になるのです。魏は、鬼が住んでいるところかと思いかねないのです。

 魏の皇帝は、井蛙ではなかったので、「海の向こうの魏という偉大な国の威光を、汝が広く、隈無く国中に伝えるのだ」と文字のない蕃国の王に、優しく指示したのです。

*愚問愚答 メディアの罪過

 中国の専門家というものの、先に示したように視点の偏りは避けられず、また、質問に添える情報が、不備満載で愚図愚図に崩れていては、適確な回答は、ますます得られないのです。これは、愚問愚答というものです。

*女王の権力 現代人の幻想
 ついでながら批判すると、女王が「原始的な道教」で人々を支配したという仮説も、とんでもない言いがかりで、見る人が少ない君主は衆を惑わせないのです。まして、当時存在しなかった「シャーマン」の濡れ衣を着せられても、当人は、一切反論できないのですから、困ったものです。史書から遊離した、個人的な妄想は、史書記事の解釈から外すべきです。

*張魯の幻像
 例えに引かれた五斗米道の張魯は、「教民」したのですから、幹部を介して文書で詳しく教導でき、それ故、東夷から見ると遥か西の漢中郡に強力な教団組織を設け、一種の王国を築いて、後漢朝に服従せず、周辺諸侯と対抗したのですが、こちらの文字の無い王国では、面談なくして国王の意志は伝わらず、綿密な権力支配は不可能です。とても、参考にはならないのです。

*老婆王幻想
 いや、最近の番組では、素人談義で、女王は、青壮年期、絶大な呪術で人々を支配したが、老齢で呪術が衰えて死を招いたなどと、根拠不明のとてつもない空想絵巻を繰り広げて、特に反論を浴びないのですが、「老齢」も「呪術」も、倭人伝には一切書かれていないのです。
 当番組は、そこまで俗論に堕することはなく、学術の衣をきちんとまとっていて、さすがにまだましという事でしょう。

*結語
 と言うことで、当番組は、大量かつ貴重な素材に基づいていて、大変有り難い番組なのですが、理屈づけに関しては、特定の論者に傾倒したように、安直で筋の通らない話が多いのです。

 できれば、諸兄が実見して、判断いただきたいものです。

                               以上

新・私の本棚 番外 NHKスペシャル 「“邪馬台国”を掘る」 3/4 改

                               2019/01/25 追記 2021/01/03
*手土産幻想
 寺沢氏の言う、纏向の全国焼き物の出土は各地から参上者の手土産との見解は、大御所石野氏の創唱した共同信念のようですが、当時、地の果ての各地から、草枕を重ねて幾山河を越え鍋釜を抱え来る図は、何とも不思議です。(友人に言うなら「顔を洗って出直してこい」です)

 まして、諸国幹部が参勤したというのは、妄想的なロマンであって、権威者が公言すべきでないと見ます。

 出土品は、纏向が各地に求め近隣取引の繰り返しの果てに渡来したとみるものでしょう。調理時間を短縮できる特産薄肉土鍋との物々交換連鎖で、数千個の多数ならともかく、この程度の数なら各地産物の代替入手は可能でしょう。繰り返しになりますが、纏向来訪者が、山川越えて、時に野宿しながら、肉厚土鍋の重荷を手土産持参する図は途方もなく滑稽です。どうして、そんな苦難に耐えたのでしょうか。
 近隣交易なら、隣の村の市に持ち込んで売り込み、交換に入手した買い物を持ち帰るのは、その日のうちです。朝飯前でないにしても、お安い御用と言うべきです。

*纏向神話の誕生

 遺跡には年代記録がないので、番組内で飛び出す、「当時」という常套句は、実は、半ば嘘です。嘘といって悪ければ、発言者がそれぞれ内心に抱えているフィクションなのです。同様に、三世紀について語るとき「日本」というのも、フィクションです。誤解を招く粗雑さです。互いに思うことが違うのに、わかったつもりで言葉が行き交うのは、困ったものです。

 いや、地理概念として「日本列島」というのは仕方ないでしょうが、千八百年前に対して、「日本列島が一つにまとまる」などと言うのは、視聴者の誤解を誘う意図でなければ粗雑な夢語りです。何しろ、「日本」が統一政権になるのは、まだ、四世紀以上後なのですから、こんなに早くまとまるはずがないのです。
 別の言い方をすると、そんなに早く統一の中央権力があったのなら、なぜ、文書行政や街道整備ができなかったのでしょうか。文字も街道もないのに、地の果ての者達に、厳しく指令できたのでしょうか。そして、地の果てからの命令に、なぜ従ったのでしょうか。

*遺跡年代遡上の怪
 そうしたイリュージョンが蔓延る(はびこる)裏で、遺跡の年代観遡上が進行しているようです。

 考古学の従来の見方で虚心に見て四世紀後半の遺跡とも見えるのに対し、素人目にも、三世紀初頭の必達目標に整合するような改定の仮説が、次々裏書きされていると見えます。

 案ずるに、三世紀初頭、いまだ発展途上の奈良盆地にこの遺跡が降って湧いて、次に、半世紀待たずに箸墓があり、そのあと、本格的な古墳時代が開花したというお話のようです。建物の構造も、後の番組では(前例のない)角柱穴に変貌しています。

 同じ遺跡、遺物を見ているはずなのに、関係者の思い描く世界は、ずるずると時代を遡っていたようです。倭人伝の呪術、卑弥呼の鬼道が現代人を迷わせているのでしょうか。その錯覚のせいで、後年、桃種の時代鑑定で仰天することになったようです。

*纏向助長策
 纏向は、古代国家の双葉とみたものが、助長されて若木に、そして成木になり、矢継ぎ早に国に育つさまは壮観ですが、その意図がわかりません。
 中国史書魏志倭人伝記事、それも卑弥呼埋葬の「冢」を箸墓にこじつけ、時代考証のずり上げと女王国比定という二大課題を、一石二鳥とばかりの神業で決着させようとする努力が繰り広げられているものと思われます。

 折角、現場で現物に接する幸運に恵まれているのに、つまらない先入観で、視覚が曇っているのは、もったいないことです。

                             未完

新・私の本棚 番外 NHKスペシャル 「“邪馬台国”を掘る」 2/4 改

                               2019/01/25 追記 2021/01/03
*桃種廃棄論
 古来、桃は生命力が強いとされ、諺の「三年」どころか、三千個の一つとして発芽を報告されないのが不審です。案ずるに、桃種は、祭礼後、ないしは、廃棄時に蒸し殺されたかと思われます。
 C14は、その時に成分比が固定され、以下、着々と放射線崩壊し始めたのでしょう。

 銅鐸だけでなく、中国人に意義のある桃祭礼も、倭人伝に全く書かれてないのは不審です。いつ纏向の創始、ないしは(吉備からの)将来で創始され、いつ廃絶となったか、などなど疑問が湧いてきます。

 新来「纏向」氏族が、制圧したばかりの、先立つ「原纏向」集団愛蔵の桃種を、発芽しないように殺した上で、地盤固めに大量投入して厄払いし、旧弊を踏み潰した更地で、新祭礼を創始したと見る「桃種廃棄論」は、銅鐸廃棄論と同趣旨です。

 そのように見る理由は、以下の通りです。

*宗教改革談義
 古代に宗教改革があったとの安直な議論が展開されますが、現代風宗教観は脇にして、当時の人々の心根を思いやると、先祖代々、氏族ぐるみで事える氏神を捨てるのは、罰当たりで親不孝だったはずです。

 いや、現代でも、宗教は私的であり、そのために生き、命を投げ出す大きな存在です。都会人の意識の底に沈んだ信心が命の源になっているのです。

 ご承知のように、後世、国家仏教が展開されても氏神は残り、各家仏壇にご位牌が並んでも神棚は残りました。本地垂迹など神仏融和策もありました。お上が信仰を敝衣(ふるぎ)のように捨てても、民衆は捨てられないのです。

*失われた銅鐸桃種信仰
 素人考えですが、太古以来信仰された三輪山の麓に先着した「原纏向」氏族は氏神に銅鐸と桃種を奉納したと思います。

 新来氏族はこれを克服し、礼物を廃棄し大型建物を造成した後、時を経て引き潮の如く去ったと見ます。

 このような、少数の支配者の栄枯盛衰・進入退出があっても、民の情感は不変だったので三輪山信仰は今日も続いています。

*熟成の時
 桃種廃棄の成り行きを推定すると、新来の民が、桃種を廃棄し地鎮した後に、いきなり大型建物造成が始まった筈もなく、まずは小振りの営みがあり、所要技術の育成と資源の貯え、支配力の広域展開を経て、数世代の後に、必要な「国力」を熟成させて、始めて大型建物の造成が開始したものと思うのです。
 そのような「熟成」に何世代かかったかは、知るすべもありません。

*建物の不首尾
 と言うことで、桃祭礼と大型建物群造成が大略一致するとの安直な仮説は、学説として随分検討不足で、根拠薄弱に思われます。

                             未完

新・私の本棚 番外 NHKスペシャル 「“邪馬台国”を掘る」 1/4 改

                               2019/01/25 追記 2021/01/03

 番組放送年 2011年 NHKオンデマンドサービス(有料)で視聴可能
   私の見立て★★★★☆ 必見の古典

□番組詳細
 邪馬台国、卑弥呼という名の女王が君臨した3世紀の王国である。九州と近畿で所在地を巡る本格的な論争から100年目の2009年(平成21年)、奈良県の纒向(まきむく)遺跡で卑弥呼の王宮といわれる巨大な建物群が発掘され邪馬台国の最有力地になる。翌年、さらに発掘調査が行われ、連合国家を示す土器や人為的に破壊された銅鐸、そして2700個を超える桃の種が出土。日本古代史最大の謎に挑んだ発掘調査に密着した。
語り:三宅民夫      この動画・静止画の番組放送年 2011年

*総評
 当番組は、纏向遺跡の最新成果を中心に堅実に構成しています。最近のNHK古代史番組が、見てくれのだまし絵と素人の放言に毒されているように見えかねないのと違い、実戦研究者の本音に近い発言が聞けるのが貴重です。

 但し、全体に、物々しい「日本古代史最大の謎」に対して、纏向当事者が「我田引水」を天下に誇示したいという気負いが、ありありと見えます。

 以下は、貴重な番組に敬意を表しつつあえて批判を加えたものです。

*桃種出現
 番組中盤のやや後で、後年、厄介な年代鑑定騒動を起こす桃種遺物の出現情景が見えますが、見る限り、土器破片と同様に、掘り下げた穴の中に散らばっていて、貴重な礼物を纏めて埋蔵したとは見えないのです。

 どうも、封泥や金印のような、トップ指示の賞金、昇進ものの「大発見」にばかり気が行って、想定外の桃種は、迷惑なゴミとしか見えなかった感じです。トップに厳命されても、あるいは、使命感を感じていても、考古学の発掘で、山師根性は動機不順ではないでしょうか。

 山師根性のせいか、厄介者としか見えなかった桃種の埋蔵状況の記録・保存は、等閑だったようです。

 もちろん、全体を冷凍凍結させて、丸ごと取り出して冷凍保存しておけば、上下、左右の配置が保存される上に、各標本の周辺の泥が特定できるので、発掘手順として完璧でしょうが、それは結果論と言うべきで、せめて、層別に取り出して、三次元の配置を記録しておけば、いらぬ詮索をうけなかったことでしょう。

 少なくとも、ごっそり掘り出して、いきなり散水ホースで水洗いする前に、一々付番した上で、個別に精査し台帳記録すべきだったと感じます。先ほど書いたように、当出土物については、後年、年代鑑定騒動が起こっていますが、適切な標本管理がされていないものを、厖大な国費を費やして精密鑑定にかけるのは、一種の錯誤と感じさせます。

*情報隠蔽疑惑
 ちなみに、安本美典氏によれば、桃種は、吉備地域で同等ないしはそれ以上の出土が報告されていて、数は決定的な議論にならないという事です。また、大型建物についても、奈良界隈では最大であっても、九州北部に至る「日本列島」では、安直に最大とは言い切れないような感じます。というものの、当時、全国放送などの報道はなかったので、誰も、建物を比較測量して、番付発表していなかったでしょうから、「天下」最大最高と言っても、名声を博するのは、ほんの隣近所に過ぎなかったと思われるのです。

 纏向帝都の広報担当は、「日本列島」などと誇大に謳いつつ、自説に不都合な事実は隠蔽するのでしょうか。そして、天下のNHKが、情報の裏を押さえないのは、大変不都合です。

*桃種雑談
 大量の桃種が出土したのは、遺跡建物成立の前世紀から特定の祭礼が行われていたように見えます。年百個なら三十年間の集積となります。

 なにしろ一回限りの祭礼の消費とすると、果樹栽培はどうしたか、どこに桃園を設けたのか、果実貯蔵か桃種貯蔵か、となります。
 その日に備えて数百本分を確保するには、担当役を任命し、人数を割り当てるのが必須ですが記録はないのでしょうか。

                             未完

新・私の本棚 旺向栄 「中国の研究者の見た邪馬台国」 3/3 改

                          2019/01/14 追記 2021/01/03
   同成社 2007年12月

 私の見立て ★★★☆☆ 有力・力作 但し難点多々

*見当違い
 例えば、倭人伝の記録した倭状勢は、初回魏使か、後年派遣された顧問の見聞を、「魏略」魚豢や「魏志」陳寿が記述したとしていますが、両者は、編者であって著者ではないのです。つまり、原資料の再録であり、いわば時代と万里の道里を隔てた伝聞記録なのです。

*不見識
 以下、「三世紀の日本は、弥生時代後期」としますが、三世紀当時「日本」はなかったし、「弥生時代」という呼称も「後期」という区分も、後世人の勝手な当てはめです。当時として避けがたい、大幅な地域差、時間(年月)差もあり、このような荒っぽい当てはめは、乱暴です。氏ほどの見識の持ち主が、外部情報の『史料批判』を怠って、受け売りに終始しているのは、一種、勿体ないものがあります。

 まして、当時の文書記録は、倭人伝以外にないので、倭人伝を勝手に書き換えた後世概念の勝手な当てはめで議論するのは、厳しく自制すべきでしょう。

 氏が、いくら、「日本」の世に流布しているとは言え、検証無しに見習って、勝手な時代区分を勝手に当てはめた上で、「倭人伝に書かれた世相は、弥生時代中後期の世相である」と無邪気に断定しているから、その罪は途方もなく深いのです。
 氏に、日本固有の古代学用語である弥生時代前中後期の西暦準拠の安易な時代比定が検証できるはずがなく、何と言おうが、裏付けのない、見てきたようななんとやらであり、これが「実証」とは、とても、とても思えません。

*当て外れ

 続いて、氏は、太古以来先進であった「九州地方が、弥生時代中後期になって衰退した」と、高みの見台から断罪していますが、「実証」として援用されているのは(存在し得ない)文献資料でなく、神がかりにも似た、つまり、検証不可能な古代人口推計表や宇宙から見おろした表面的な、つまり、起伏や高低差の見えない地形概評です。氏が、ご自身の目で検証しているものとは思えません。要するに、程度の低い資料の受け売りに終始しているのです。「先進」とは、文化の「先進性」であり、地理が変わらない限り、興隆も衰退もしないのです。因みに、中国史で太古とは、夏殷周時代であり、「九州」地方に関して、そのような太古の記事・記録は存在しないのです。

 前者の年代比定は、同時代記録がない以上、大変不確か、というか、一種の妄想であり、所詮漠たる推計に過ぎないから、「実証」などできないのは、自明です。
 地形概評で、九州北部を酷評して切り捨てると、返す刀で近畿は奈良盆地を中心とする平野地帯と激賞していますが、よほどできの悪い参考資料に依存してしまったようです。誤解に基づく砂上楼閣で、「奈良盆地」なる井戸の中しか見ていない太っ腹の蛙である「郷土史家」の食い物にされていて痛々しいものがあります。

 少なくとも、広く資料を求めればすぐわかるように、当時の奈良盆地は、遥かな後世、ぐるっと「近畿」と呼ばれるようになったとはいえ、盆地西方の堆積・形成途中の河内「平野」との間を、生駒山系によって劃然と隔離、隔絶され、盆地中南部は遅々として古代湖水の排水が進まず湖沼の残った泥濘であり、氏が現代資料から夢想する沃野千里ではなかったのです。何しろ、低地に「道路」は整備できず、水田整備も、遅々として進まなかったでしょうから、盆地内古代遺跡は、分散していたのです。(「貧しかった」から、侵略者がやってこなかったのです)氏の助言者は、甘めに見ても、二、三世紀、時代を見損なっているのではないでしょうか。

 倭人伝当時の奈良盆地に関する文書記録は、皆無です。考古学の呈する見解は、はるか後世に策定された史書を除けば、遺跡、遺物の観察に基づく憶測の塊であり、憶測から生じた願望はうずたかくても、確たる論考は見当たらず、確立された文書資料である倭人伝の検証に採用することはできる筈がありません。

 とにかく、奈良盆地という周囲から隔離された壺中天を、近畿の平野地帯の中核と見るのは、どんな助言を得たものか、助言の検証を怠ったのであり、言い訳の付きにくい不始末です。

*総評再び
 氏は、日本で流布の軽薄な歴史書の表層をつまんで「実証」と錯覚していますが、三世紀に顕在化したとする九州北部衰退は証されていないのです。思うに、氏は、「関連学問」が厳密に年代比定されていなくて、各論者が、「勝手に」持論に適した時代に関連付けている事に気づいていないのです。
 返す返すも、氏が入手した誤解だらけの国内諸史量を、誰かが検証しなかったのが、いたましいのです。中国側の資料の解読については、中国人古代史学者の学識が生かされるとしても、本書の大半を占める『国内』史料の解釈は、中国人にとって、異国、異文化の産物であり、著者が中国人であることが、災いしているように思われます。

*書名の傲慢
 氏の著書の題名を見て、一般人は、氏の中国文解釈が、日本人の勝手な読み、つまり、誤解誤訳を駆逐して正確な文献批判をもたらすと大いに期待しますが、実は、日本人学者の不正確な「実証」を丸呑みにしていることに、大いに失望するのです。

 またひとり、毛色の変わった井蛙が登場しただけであり、見当違いの逆夜郎自大なのです。氏の健在な内に、率直な批判を届けられなかったのは、大変残念ですが、それは、今や是正できないのです。

                               以上

新・私の本棚 旺向栄 「中国の研究者の見た邪馬台国」 2/3 改

                          2019/01/14 追記 2021/01/03
   同成社 2007年12月
 私の見立て ★★★☆☆ 有力・力作 但し難点多々

*後漢書多難
 氏自身が認めるように、臺と壹は互いに間違えられていました。笵曄後漢書は、編者の刑死後、宋朝(南朝劉宋)に大逆犯の書として忌避されて密かに私蔵されていたので、早い段階に素人写本につきものの誤写があって、それが、唐、五代期に他史料に伝わった可能性もあります。誤写ごっこです。所詮、誤写論は当て推量で決め手にならないのです。

 後漢書不信論は、古田氏の信条に反するから、古田氏自身は一切唱えませんでしたが、当方のような素人が、世上、倭人伝にたっぷり浴びせられる理不尽とも見える不信論の数々を見ると、多少は、後漢書の信頼性に批判を浴びせても、もっともではないかと思うものです。

 最後に、魏代、三国志の用例を残さず検討して、『「臺」の文字は、貢献した魏朝に於いて、特別扱いされていたから、蛮夷国名に使わなかったと判断すべきである』と言う古田氏の名分論が残るものの、とにかく、この件に対する異論は、聞く耳を持たない、という感じでは議論になりません。実際、三国志の普通名詞としての用例では、それぞれ、物々しい用語であり、蕃夷の国名に起用できるような気楽な文字ではないのは、明らかです。

*仁義の世界か

 と言うものの、日本の古代史学界の客分であった氏は、仁義の上からも、学会定説に従属し、古田氏の論に与することはできなかったと思われます。もったいないことです。中国古文知識が該博でも、日本文献解釈が的外れでは正しい判断から遠ざかっています。

*大いなる錯誤
 第三篇1.「弥生時代後期の日本」の信条(Credo)には、同意しかねます。

 いきなり、「歴史には自らの規制があり、ありもしないことを捏造したり、勝手な比定や仮定をすることはできない。」と意味不明の字句を掲げていますが、それが、本当に氏の信条宣言なら返品させて頂くのです。

 「歴史」なる主語に、どんな人格があるのか正体不明であり、正体不明の人格「自らの」規制など「おととい来い」です。

 続く発言は、当然に聞こえても、「ありもしないこと」と「あったかも知れないこと」は、どうして区別できるのか困惑します。

 さらに、「勝手な比定や仮定」と言うも、論者は、自分に都合の良い「勝手な」仮説を立てなければ何も論じられません。氏は、自分に対してその試練を与えないのでしょうか。献身する相手を間違えたと見えます。

 以上は、あるいは、氏の真意ではなく、誤訳の産物かも知れないのですが、不満を持っていく先は、著者しかないのです。

*非正当的史学観
 続いて、文献検討より、考古学、民俗学、言語学、及びそのほかの関連学問の研究を重視すると言いますが、中国史学は、文献史学が根本であり、関連学問は、近代になって、つまり、清朝亡国後、日本を経由して到来した西洋文明に影響されて派生したものでしかないのです。

 派生が根本を乗り越えるなどは、何かの勘違いでしょうか。

 まして、近年浮上してきた「実証」面の検討は、十分な検証、試練を経ていないから、文献史料の傍らに席を得るに過ぎないのです。
 そもそも、史学の対象は、遥か昔に生起していまは存在しないことで、後世である現在からは、遙かに偲ぶことしかできないから、実証など虚妄なのです。
 以上のような不合理な先入観から書かれている著作は、残念ながら、人文科学の書ではないから、読まない方がましであると言われそうである。
                                     未完   

新・私の本棚 旺向栄 「中国の研究者の見た邪馬台国」 1/3 改

                          2019/01/14 追記 2021/01/03
   同成社 2007年12月
 私の見立て ★★★☆☆ 有力・力作 但し難点多々

□総評
 第一印象が悪いが、見てくれは辛抱しても、内容不備は救いがないのです。

*不体裁
 氏の著書は、傷ましいものです。氏の責任ではないのですが、時代錯誤の横組書籍となっていて、大変見苦しいのです。加えて、記事に多桁算用数字が用いられていて、これも、深刻な時代錯誤です。古代中国に、算用数字はなかったし、ゼロもなかったし、横書き文書もなかったのです。中国では、時代相応の縦組み、漢数字は、廃棄されたということでしょうか。これでは、氏の見識が根底から覆ります。こうした基本的な事項がなおざりにされていては、肝心の論考に疑念を生じても当然ではないでしょうか。門前払いものです。

 こうした点は、出版社編集部が配慮すべき事項です。
 関連書籍が、揃って縦書きなのに、この資料だけそっぽを向いて、本来の意味で言う「違和感」です。

*定説馴致の不審
 種々の提言に、「日本」古代史の知識欠如による誤解が目立ちます。

 倭人伝が中国正史の一部なので、中国人が正解を示すべきとの気負いでもないのでしょうが、「中国の研究者の見た」とは力みすぎです。「自信があるときほど謙虚にすべき」とすれば「一中国研究者の見た」としておく所です。

 近年、別の華流の方に同様の昂ぶった物言いが見られて、顰蹙に近い不評を感じているので、もし間に合っていたら、助言するところです。

 いや、氏は、もちろん日本で教育を受けたわけではなく、「文化」大革命で毀損された古典文化学習の上に、親日的態度を示すと弾圧された時代を過ごしているから無理も無いのでしょうが、日本古代史に関して初学者に近かったものと考えます。

 また、成人後も、日本在住でないから「国内」史料の不確かさを知る由もないでしょうが、助言者の選択を誤ったのか、助言者が不出来だったとしか言いようがないのです。その結果、氏の見解が、国内の俗説に災いされているとして、誰に責めが行くのでしょうか。要は、著者の責任なのです。

*各論にして主題
 その証拠に、古田武彦氏が「原点に返れ」(Back to the Basics)とばかり、『倭人伝論は、現存刊本に書かれている「邪馬壹国」から再出発すべきだ』とした、まことに筋の通った議論を「反対論者が教条主義的と捉えて攻撃した」のにならってか、「古田氏の論は、一時的に一般人まで含めた広い範囲の興味を引いたが、邪馬台国に関する学術的な議論に何も齎さなかった」と、意地悪く断言しています。大変高邁なご意見ですが、遙か彼方の中国本土にいながら、国内の学会動向を知悉した御卓見なのか、誰か反対論者の受け売りなのか、なんとも不審です。

 と言うものの、古田氏の提言が、学会一般の惰眠を破った功績は認めているので、これは、「春秋の筆法」かとも思われますが、氏の真意はもはや知ることができないのです。

*おとぼけの後漢書談義

 特に、『「宋本より早い後漢書」に邪馬台国とある』のを決め手とするのは、おとぼけか、氏ほどの碩学には不自然です。三国志は宋代刊本が最古の資料ですが、後漢書も同様で、范曄原本どころか、宋代の刊本事業以前の古写本がが残っていないのは、周知、自明です。ちょっと考えれば筋違いとわかる見解を述べ立てるのは、何か、悪いものでも食べたのでしょうか。

                                未完

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