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2021年1月

2021年1月30日 (土)

新・私の本棚 番外「 邪馬台国サミット2021」 (1) 速報編 3/3

[BSプレミアム] 2021年1月1日(金) 午後7~9時 NHKオンデマンドで公開中  
私の見立て ★★★☆☆ 前年比改善顕著 前途遼遠       2021/01/30

*殿、ご乱心~出所不明史料の怪、また怪
 今回の番組で、何とも重症なのは、三国志学首魁渡邊義浩氏の暴です。

 倭人伝考証で、「翰苑」は場違いですが、対照された「会稽東治東」ならぬ「会稽東冶東」の史料影印は、出所不明で投げ出されたのです。

*中華書局本の闇討ち
 紹興本、紹熙本に始まる古史料に「会稽東冶」は存在しません。それぞれ木版印刷で個体差はないので、どこで見つけたのかその場では不明です。

 散々調べた後で、諸刊本で「東治」と一致している「東治」が「中華書局本」で、なぜか「東冶」と「改竄」されていたのです。しかし、堂々と史料にない「邪馬台国」と言う以上、この際、別に異本はいらないはずです。

*翰苑史料批判の齟齬
 翰苑編者が、当時の写本の会稽「東治」を「会稽」とした(らしい)のは、世上、「東冶」との混同があり「東治」を削除したとも見えます。

 「東治之山」の由来が明記された「水経注」などでも、禹后が会稽した会稽「東治之山」が「東冶之山」と誤記された異本があります。というものの、翰苑は「東冶」「東治」のいずれでもなく、氏は、あえて現代史料で「東冶」を正当化していて、これは、史料考証の無用な愚行と思われます。

 氏は、「三国志」と「後漢紀」以外は、読み込んでいないのでしょうか。

*ついでの話
 別件ですが、氏の「黥面文身」解釈は軽薄で的外れと見えます。黥面は、顔面烙印としても、図版の無い倭人伝に出所不明の図版や遺物は不審です。
 倭人伝解釈に関係ない外野の資料を堂々とぶち上げる論議が、却って、不審を感じさせます。

 場外乱闘好きなら、三世紀当時、倭で広く行われた黥面が、日本史で蔑視されているのは、どういうことか、説明戴きたいものです。因みに、中国で顔面に黥するのは、罪人の徴とされていたのです。

 更に言うと、何れかの時点で、黥面制度が変わったのなら、旧制度の貴人が、新制度では罪人となるのです。歴史的、画期的な大事件の筈なのですが、記録は残っているのでしょうか。不審です。

 また、倭人伝にある黥面文身の「水人」は、畿内ではあり得ないのです。奈良盆地で大量の魚鰻をどうやって捕らえたのか、説明できないのです。
 それとも、氏は、当番組では、中国史書専任で、国内史書に一切言及しないと談合していたのでしょうか。うさん臭い話です。

〇通じない箴言
 氏の意見に対して、厳しく論難するのは、氏が三国志権威とされているからです。折角、倭人伝は、「中国教養人が中国教養人のために古典の言葉で書いたから理解されたのであり、無学な現代人には当然「不可解」である」と示唆しても、同時代人同士で意味が通じていないのは、残念です。

 要するに高樹悲風多しです。

〇まとめ~司会者の叡知
 司会者の「古い解釈を取り除いて原本から出直す」との至言は見事です。
 きっと、来年は、原点に還った新鮮な論議が聞けるものと期待しています。

                             この項完

新・私の本棚 番外 「邪馬台国サミット2021」 (1) 速報編 2/3

[BSプレミアム] 2021年1月1日(金) 午後7~9時 NHKオンデマンドで公開中  
私の見立て ★★★☆☆ 前年比改善顕著 前途遼遠       2021/01/30

*自虐論始末記
 「自虐」論は纏向絶倫史観になびかない九州論者への罵倒、自爆です。
 挑発は泥仕合狙いですが、子供の口喧嘩に大人は応じないので、論議に窮した焦りを露呈します。箴言風に「暴言は無能者の最後の隠れ家」です。
 視聴者も、乱暴な決めつけに賛成と見ているなら見くびられたものです。

*疲弊した決め付け
 論議に窮すると落ち着く先は、乱暴でくたびれた俗説の羅列です。

*「白髪三千里」論は、前世紀の遺物、無風流な浅知恵です。
 李白は、漢詩三千年最高の詩人であり、気宇壮大な比喩は現実を大きく離れ感動を誘います。白髪三丈の陳腐と次元が違うのです。無茶な誇張と感じるのは、感性の貧困です。李白と現代人の法螺比べなど見たくもありません。

 少なくとも、この表現は詩的な比喩で史学発言ではない位は理解できるはずです。古人が無知から言い出したことを無批判に追従するのは「問題」です。

*「戦果十倍誇張」は、史書表現ですが、論外愚行とされていて、参考になりません。皇帝が「軍人の手柄話に騙されない」と釘を刺しているのです。
 軍功はクビの数であり、十倍誇張で十倍の褒賞ですが、新来蛮夷の道里、戸数の誇張に何の意義があるのか。直にばれるウソでは虚言の廉で首が飛ぶのです。軍人は、軍功で地位を得るので安直な誇張はしないのです。また、魏使は軍務でないので戦果を求めず、この手の誇張はあり得ないのです。

 中国兵制で遠征軍司令に監軍なるお目付役が付き、杜撰な報告は監軍の一片の報告で「大丈夫」の首も飛ぶのです。軍果は敵の首の数で、お目付役が記帳しているから、デタラメに書けないことも弁えていただきたいものです。

 曹丕、曹叡は、文弱皇帝ではなく、司馬懿の使命は、公孫氏殲滅であって東夷招請ではなく、薄汚い功名稼ぎのおおぼらは関係無いのです。

*勿体ない自爆表現
 この二件は、東方諸賢の伝家の宝刀、古典的罵倒表現で、決定打のつもりでしょうが、中国古代史に通じた「世間」で通用するものではないのです。むしろ、「世間」に通じない、東夷のものの自損れ自嘲表現でしょう。

 これも、何れかの世代で棄却すべき負の遺産でしょう。

*倭人伝の使命
 倭人伝は、三世紀当時最高の教養人が、皇帝以下の教養人に謹呈した著作であり、李白は数世紀時代錯誤で場違いだし、軍人功名談も無用の極みです。暴論は、相手と「場」を弁えないと、壮大におつりが返ってきます。

 同学の先師の旧説は、学問の世界では、進歩に取り残された遺物、レジェンドとなりかねないので更新されるべきです。今回の纏向論客は、口説鋭いと見ましたが期待外れでした、と風当たりがきついのはプロだからです。

*闇談合露呈
 収録終了時後、「オフレコで言いたい放題言い合おう」などとは、定番の闇談合でもないのでしょうが、「歴史を夜作る」のは、良い加減にしてもらいたいものです。受信料を払っていて納税者でもある視聴者が見ているのです。

 それにしても、司会の「爆問」の小声の総括は、空騒ぎに惑わされず、冷静で控え目でした。前作の空騒ぎとは、格別で人選の妙です。時に纏向幕府の走狗と揶揄されるNHK制作陣の反骨精神の真骨頂でしょう。
                              未完

 

新・私の本棚 番外 「邪馬台国サミット2021」 (1) 速報編 1/3

[BSプレミアム] 2021年1月1日(金) 午後7~9時 NHKオンデマンドで公開中  
私の見立て ★★★☆☆ 前年比改善顕著 前途遼遠       2021/01/30

NHK番組紹介引用 番組内容
日本史最大の謎のひとつ邪馬台国。どこにあったのか?卑弥呼とは何者か?第一線で活躍する研究者が一堂に会し、最新の証拠や資料をもとに自説をぶつけ合う歴史激論バトル。

出演者ほか 【司会】爆笑問題,【解説】本郷和人,【出演】石野博信,上野祥史,片岡宏二,倉本一宏,佐古和枝,高島忠平,寺沢薫,福永伸哉,柳田康雄,渡邉義浩

*はじめに
 NHKの古代史(三世紀)番組前作は、司会者が揃って素人の上に素人論者の乱暴なコメント連発で幻滅したのです。その後、民間放送の広く取材した番組で、司会者の含蓄のあるコメントに感心したものです。NHKの旧作使い回しにはげんなりしていましたが、ようやく新作にお目にかかりました。

 新作も、背景に倭人伝刊本を見せながら、「邪馬壹国」、「壹与」を、「台国」、「台」と言い換える悪習に幻滅します。また、魏使が難船必至の海上迂回で驚くのです。そうした基礎固めが疎かで脚もと乱雑では多難です。

 不吉な序奏から、意外に冷静な論議となり順当な展開でした。前作は、纏向広報担当風で、年々当ブログの批判がきつくなったのです。

*総評
 二時間の番組の全面批判は無理なので、大きな難点にとどめましたが、概して、纏向論に苦言が集中するのは仕方ないところです。

 論者の意見が順次提示されましたが、九州説は、「歴史激論バトル」は気にせず、ゆったり紹介され、堅実な考察と思わせ、ことさら批判するに及ばないと思ったのです。

 これに対して、纏向論者は、「歴史激論バトル」を真に受けたのか、前作の提言を越えた一段と強引な展開で、一視聴者としては、無理するなよと言う感じでした。

*考古学の本分喪失
 例えば、論者提言に噛みついて卑弥呼、箸墓、台与の年代比定は確立されているとの決め付けは滑稽でした。
 考古学の財産は、遺物、遺跡に基づく堅実な考察であり、同時代文字記録は存在しないから時代比定は不確実であり、不用意に文書資料を取り込むと考証が歪む」、というのが、先賢の戒めと思うのですが、ここは、自説絶対で干渉は許さないと論争にしないのです。

 倭人伝独善解釈に引き摺られて考古学考察を撓め、倭人伝解釈をそれに沿わせようとしているのは、無理矢理という感じが拭えません。

*イリュージョンの不毛
 今回、纏向遺跡の「再現」動画を上映しましたが、素人目にも高価な「イリュージョン」(詐話)と見えます。考証なしに見栄えする映像眩術を創造するのは、何を目論んでのことか、一納税者としては、賛成できないのです。

 例えば、堂々たる運河で、両岸から荷船を曳く図は虚構そのものです。運河で、どこからどこへ、どんな質量の何を運んだのか。着いた荷は誰がどう享受したのか。地道に解析しないでの児戯画餅勿体ない出費です。

 三世紀当時、河内平野は未開地、内海水運は未開設ですから、大量の荷物が届くはずは無いのです。また、当時盛大な経済活動があれば、纏向王朝は立ち所に天下を席巻したはずです。成長曲線を想像するとそうなります。

 想定する巨大建物「都市」に食糧供給は伴わず、それを支える収入源が見当たらないので画餅なのです。時代考証無き「誇大化」に見えます。年々イリュージョンが誇張されていくのは、痛々しいものがあります。
 纏向陣営は、そこまで虚飾に励まないといけないほど、追い詰められているのでしょうか。
                                未完

2021年1月29日 (金)

新・私の本棚 番外 小澤 毅 邪馬台国の会 第386回 講演会 4/4 改

『魏志』が語る邪馬台国の位置:小澤毅(三重大学教授)2020/02/23開催
私の見立て ★★★★☆ 堅実 不偏不党 2020/04/04 改定2021/01/29

*誇張と仮定
 「誇張論」に対するとどめになるといいのですが、要は、氏の書き殴っている議論は、「倭人伝道里記事は、ほぼ一貫して、郡と狗邪韓国の間を七千里と「仮定」した『里』に基づいて書かれている」というに過ぎず、「魏志」の定義と同様に、ここ(「魏志倭人伝」)の「里」を「仮定」すれば、別に度量衡など国家制度を担ぎ出さなくても、合理的解釈ができるのです。

 因みに、「度量衡」に、道里が含まれるかどうかは明解ではありません。何しろ、道里の一里は常用単位でなく、一歩の三百倍も、手軽に例示できないのです。何分素人の憶測発言ですから外していたら失礼します。

〇まとめ
 以上述べたように、一介の素人が氏の論考のすすめ方に対して文句を言う筋合いはありませんが、全体に、(複数の)権威者の助言を受けたと思われる定説的な史料解釈を踏襲しているように感じられる例が多く、氏の卓見、就中、魏志に関するモットーと整合しないと見え、読解の際に躓きを起こしています。
 特に、氏の論考の躓きの原因と見える「定説踏襲」を追求しないため、論考の不具合が是正されないでいると見受けられ、勿体ないのです。

*史料解釈の膠着~私見
 「魏志」(通常言う「倭人伝」)行程記事解釈の際にも感じたのですが、どうも、氏の助言者は、世上多大な論議の的であって、異論を克服できていない、いわば、文献解釈の難路というか、札付きの隘路を、丸ごと氏に押しつけているようで、氏の困惑が感じ取れるようです。

 特に、行程記事解釈は、畿内説の生存に関わるので、学説としての当否は論外、とにかく、定説の保身は「絶対」譲れないので、党議拘束するという硬直した姿勢が見えるので、氏の柔軟な姿勢は貴重のです。

*いまどきの古代史~風説
 概して、いまどきの古代史論を見ると、俗に言われている定説は、基盤としている倭人伝文献解釈が、中国古代史文献解釈の門外漢の素人考えに終始していて、論考進路の選択肢を先入観で塞いでいるので、多くの無辜の読者は、押しつけられた隘路で悪足掻きし、果ては、自身の理解力不足や定説の妥当性を疑わず、「魏志」が誤っているなどと迷言を垂れる苦境に追込まれているのです。

 何しろ、周囲は、同様の理不尽な被害挫折者ばかりで、陳寿は、例え眼前にいたとしても言葉が通じない異邦・異時代・異界人ですから、挫折の責任を押しつけられて罵倒されても理解も反論もできません。まことに、理不尽な話です。

 定説は、長年膠着していて、諸般の事情から、論理の破綻を是正、自己修復できないのです。して見ると、原典誹謗は、無能な史学者の最後の隠れ家でしょうか。いや、まだ、永久政権は終わっていないというのでしょうか。

*原点回帰
 と言う背景を見るに付け、氏の提言のように、「魏志」が当時最善の記録で、編者陳寿が、その内容に最も精通していると見れば、視点が反転するかと見るのです。だから、氏の論説に、見当違いの苦言を呈しているのです。

 「魏志」を現代人が読み損なっているとの視点から、一から虚心に読みなおせば、大抵の隘路は霧消、氷解するはずです。行程解釈で例示したように、半歩戻って読みなおせば、「魏志」は「シンプル」です。魏志に王道は無いとしても、時の皇帝を挫折させるための難題ではないのです。

*蛇足 季刊「邪馬台国」誌掲載記事に関する所感 2021/02/04
 アラ探しの域を脱していると思うのですが、当講演記録に文句を付けるとすると、氏は、この構文の通り喋ったのだろうかという事です。
 つまり、途中で注記の必要なところでは、注1などと述べて、説明を先送りし、講演最後に、つらつらと注記項目を読み上げたのかという事です。それでは、とても論を尽くせるとは思えないのですが、それが事実と言われると引き下がるしかありません。

 普通に考えると、当日は、別にレジュメのようなものを用意して手元に置いて、それをもとに、聴衆が聞き分けられるように語りかけ、「ご不審の点は、論文稿を参照ください」とでも説明したと思うのです。月並みですが、資料を読み上げるだけなら、延延と付き合う必要はないのです。

 いや、別に事実の記録の限界を言うつもりはないのですが、後日、全文が「邪馬台国」誌に掲載されたことを思うと、やや疑問を感じると申し上げておきます。
                             以上

新・私の本棚 番外 小澤 毅 邪馬台国の会 第386回 講演会 3/4 改

『魏志』が語る邪馬台国の位置:小澤毅(三重大学教授)2020/02/23開催
私の見立て ★★★★☆ 堅実 不偏不党 2020/04/04 改定2021/01/29

*道里の辻褄
 端的に言うと、郡~倭の全所要期間と全里数は明記されているから、道里に応じて日数を配分すれば、個別日数は推定できるはずです。

 手早く言うと、倭人伝の道里は、一日三百里程度であり、千里単位が大半であるように、大まかな概数ばかりです。

 本来無理な時代考証より史料依拠の大局論が先ですが、姑息な辻褄合わせが本筋を外していると見えます。

 例えば、皇帝の下賜物の送達が任務である魏使が、迂回や巡察で日数を費やしたと推定するのは辻褄合わせの例です。使節が行程道里の記録を報告したのなら、迂回や道草を報告するはずはなく、また、読者たる高官が誤解する書き方を採用するはずはないと思うのです。行程が、景初、正始の記録に基づくとは早計でしょう。生還すら当然ではない使節の報告を、新来蛮夷「倭人」の「倭人伝」記事に採用するのは早計です。

 使節の使命は、帯方郡からの文書到達日数であり、文書回答期限に関わる事務的事項であり、荷を抱えた魏使の「実際の」行程は参考にならないとも言えます。

 放射説の解釈で、伊都国から邪馬台国への行程を「水行十日、陸行一月」とする「決め込み」は、畿内説の生存に拘わるので作業仮説として採用しても、考察途上で不都合があれば、遡って再考すべきです。ことの採否は、文法や字義解釈で決定されるべきではないと考えるものです。まことに残念です。

 と言っても、これは、多くの先賢が陥った錯覚であり、「伝」の構成要件を見落としていても批判されていないのですから、氏の責任とは言えません。針路を見失い行き詰まったときは、迷わず原点回帰すべきでしょう。
 幾つかの先入観が、魏志の解釈をあらぬ方向に転進させています。

*隋(唐)使来訪史料引用
 参考資料として推古紀を無批判参照するのは出典を明らかにしないのとあわせて不用意です。信頼性が不確定な「唐使来訪」国内史料は「魏志」批判に無効です。何しろ、空前の蕃客来訪記録ですが、精々が不用意な原資料引用です。中国正史すら、信用すべきかどうか精査が必要なのに、国内史料は無批判とは、困ったものです

『魏志』の里程の誇張
 無批判な先行諸説依存で、賢察が台無しです。「里程誇張」論は、前世紀の遺物、レジェンドであり、早急に引退いただくべきです。「水増し」を「事実」と呼び、「可能性を示唆」は直後に「誇張が確実」と錯乱しています。

 狗邪韓国は郡管轄下であり、その道里、所要日数は、官制で厳密に管理されていたものです。言うならば玄関先を七千里と書くのは、賢察の果てと見るべきです。粉飾、誇張、水増しとは、郡太守も見くびられたものです。

*水増し論~余談
 氏が、誇張表現とする「水増し」は、案ずるに、江戸時代の居酒屋が、上方から届いた濃いめの下り酒を喉ごしの良いように水割りして提供したことを諷しているようですが、当時の商習慣の揶揄を、無批判に「魏志」に適用するのは、氏の見識が「水増し」供用されていると見え、勿体ない誤用です。

 もっとも、氏自身が、「魏志」道里は「水増し」で無く、整合性を保っていると評しているので、あるいは、関東方面で蔓延しているらしい論争作法と見られる「罵倒」儀礼と忖度するしか無いのでしょうか。私見では、論議の邪魔になる遺物表現は、早々にレジェンド扱いで博物館入りさせるべきでしょう。
                                未完

新・私の本棚 番外 小澤 毅 邪馬台国の会 第386回 講演会 2/4 改

『魏志』が語る邪馬台国の位置:小澤毅(三重大学教授)2020/02/23開催
私の見立て ★★★★☆ 堅実 不偏不党 2020/04/04 改定2021/01/29

*後世史書・類書山積の惨状
 以下の後世史書は、先行史書の再、再々構成で、時代につれ順当に劣化していて、蛮夷の「書紀」まで交えて、枯れ葉も枯れ木も山の賑わいですが、ゴミ史料は外野に置いた方が、後漢書の評価が上がるのです。

 類書と呼ばれる大部の百科全書類の一部を為す歴史記事は、本質的に原史料の粗雑な抜き書きであり、誤謬、脱漏が避けられません。太平御覧は、正史史料からの直接の引用では無く、先行する類書の踏襲、再踏襲であり、粗雑史料の粗雑引用なので一段と信を置けません。

 翰苑は、残存写本断簡が完本で無く、異本との比較考証不能な孤証であり、史料としての信頼性を有しません。また、無校正の乱雑な有り様で一段と信を置けません。

 以上は、氏の見解を補強したものであり、同意しているものです。

*「魏志」の偉容再確認
 ただし、「魏志」を粗雑、劣悪な史料と同列に論じていて、氏の「魏志」評価と齟齬します。なお、段落ごとに、しばしば価値観が転換するのを見ると、同一人物の見解と見えない不都合さです。ご自身で吟味したのでしょうか。

*台所事情推察
 小澤毅氏は、三重大学教授、敬称博士ですが、当ブログでは略しています。
 氏は、考古学分野での多年の学究で、文献学にも造詣が深いものの、専門外なので権威者の助言を得ていて、遠慮があるように思われます。
 先の刊本用語読み替えは、断定的改竄でなく、氏が当史料で採用している用語を臨時に宣言したので定説への異論派も口を挟めない仕掛けのようです。
 と言うことで、本記事は、文献解釈で定説の顔を立てつつ氏の見識を盛り込んだようです。歯切れ悪さや戸惑い表現もその背景から来たようです。
 以下の考察に於いても、氏の見解と借り物らしい意見に差があり、言うならば、大半を占める文献解釈は、かなりの部分が借り物らしく見えて、氏の学識を知るには、言わく言いがたい味わいがあります。

1.2 邪馬台国の位置
『魏志』の里程記事
 郡からの道中に触れず、単に、倭の「北岸」狗邪韓国なる通過点としていますが、補足が必要です。戸数等の要件に欠けるので、狗邪を倭とは解釈することはできません。岸に倭の管理する船着場や公館があったのでしょうか。

 端的に言うと、韓伝が南で倭と接すると書いても、国名等が書かれていないので実態不明です。当記事を拡大解釈した憶測でしょうか。

里程記事が語るもの
 「郡~女王国万二千里、うち伊都国まで万五百里、よって女王国は九州北部」と見たのは、限定した明解な議論の好例です。

 但し、氏の概数観は難があり、千里単位概算に五百里が紛れ込んで議論が揺らぎます。世間並みで多桁算用数字で精度を誇張し、折角の好解釈が損なわれます。古代史論は漢数字縦書きをお勧めします。

「水行十日、陸行一月」
 「邪馬台国へのそれ(道程)を水行十日、陸行一月」との解釈は、伊都国からの道程でないという文脈解釈に気づかず、また、正史「夷蕃伝」に「郡からの文書伝達の所要期間」が必須要件なのを軽視しています。
 正史夷蕃伝で、蕃王の居処に「都」の美称を許すことはないので、ここは、普通に「すべて(都)水行十日、陸行一月」と読むべきであるということも氏の意識から漏れています。

 「魏志」は、小賢しい後世人が勝手に言い立てているような粗雑な史料でしょうか。陳寿が、天下の史官として最善を尽くして明記しているのに、後世人が小賢しく非難するのは自己満足でしょうか。意見が対立しているとき、どちらに信を置くべきでしょうか。

                                未完


新・私の本棚 番外 小澤 毅 邪馬台国の会 第386回 講演会 1/4 改

『魏志』が語る邪馬台国の位置:小澤毅(三重大学教授) 2020/02/23開催
私の見立て ★★★★☆ 堅実 不偏不党 2020/04/04 改定2021/01/29

〇始めに
 小澤氏は、三重大学教授として紹介されていますが、同大教授着任以前は、橿原考古学研究所及び奈良文化財研究所の研究者として著名のようです。

 不偏不党と書いたのは、考古学専攻とはいえ、文献史料にも造詣が深く、本講演に於いても、国内史料まで取り込んで幅広い視野から考察しているので、特定の統一見解に偏しないと見るからです。ここに、賛辞を呈します。

 以下、氏の講演記録を参照しながら、当ブログ視点から批判しますが、見解の相違の摘発で無く、異なる視点からの意見で氏の学識の更なる研鑽に寄与したいと思っています。因みに、本稿は、季刊邪馬台国誌第139号に掲載されていますが、誌上には、些細とは言え、編集時の脱落らしい部分があり、文献批判する際には、注意いただきたいのです。

1.1 はじめに
*至当と不当の交錯
 氏は、冒頭で、『魏志』を「通常『倭人伝』という二千余字」と定義しますが、『魏書』同義で通用の「魏志」は、広く定着した学術用語を勝手に転用するのは禁じ手です。文献史学部外者のため、「倭人伝」通称が定着の史料を、それと知らずに我流で呼び変えて事故となったようですが、誰か助言しなかったのかと残念です。
 本文定義の前に、掲題「魏志」が先行予約済みで読者は混乱します。俗称『倭人条』を通称『倭人伝』とすれば、学界作法にも反しないでしょう。

 それはさておき、「第一級史料」評価は至当であり賛辞に値します。この程度の表現でも、世間には、色々難癖を付ける人がいて、人格を疑わせる攻撃的言辞が飛び交うのですが、要は、総体的評価で、一番上質と見ているというだけで、およそ、史料には、誤記や誤伝があるのは、言うまでもないことなのですが、世の中には、内容に一つでも作文や齟齬があれば、史料として信用しないと、極端な発言をすることがいるので、氏のように、穏当な発言をしていただける方がいると、ホッとするのです。

 氏の史料観は、基本信条、「モットー」なので「明確に」記憶したいものです。

 とは言え、氏は、劈頭で「やまと」とふりがなした「邪馬台国」を信奉し、「モットー」と矛盾する誤謬を掲げているのは、もったいない話です。「魏志」の文献論議に、どうして、無関係。無根拠の憶測を持ち込むのでしょうか。多分、色々忖度しているのでしょうが、学問上の論期せに対して、異物が練り込まれているのは、もったいない話です。

*それは問題である
 因みに、氏の「問題」は、古典的な意味を守っていて、解消すべき「難点」でなく「課題」と見えます。定説派は、論議の際に、相手の論議の欠陥という意味に転用していて、意図が通じず、時に、無用のきしみを起こします。
 賢者が用意した「問題」には、必要な知識を身につけていれば自ずと解ける「解答」があるので、怖れる必要は無いのです。

*諸書の泥沼

 氏は、定説派の定番に似て「諸書」を羅列しますが、氏は、「諸書が『魏志』を引用するにさいしては、粗略な抜き書きと再構成がしばしばおこなわれており、いずれも史料的価値は『魏志』に比べて数段劣る。よって、それらの引用文を『魏志』以上に重視するのは、本末転倒といわざるをえない。」と読解評価を明記していて、この点を初稿で誤解していたのは、陳謝します。

*後漢書適正評価
 氏は、定説派の定番に似て諸書を列記しますが、史料の質に大差がありバラバラなのを、芋の子のように羅列して、数で片付けるのは、「ド」の付く素人だけです。

*後世史書・類書山積の惨状
 先行ないしは同時代に近い史書中、袁宏「後漢紀」は、東晋再興後、間もない時期の編纂であり、比較的、後漢書文書に近い資料が参照できたものと思われます。後漢献帝が半ば廃都と化した洛陽近郊に復帰した建安年間に、公式史書に準ずる位置付けで編纂を命じたものであり、杜撰な先行史書と異なり勅許で後漢公文書を参照できたと思われます。後代劉宋の笵曄は、散佚した後漢公文書に加え、後漢紀を大いに参照したものと思われます。(前漢紀と混同していたので、訂正しました。2021/02/05

 本稿関連の東夷記事の由来ですが、後漢創業期以外、桓帝、霊帝期以降は、東夷との交信がなく、依拠すべき公文書がなかったため、范曄は、対象年代がずれている魚豢魏略という、魏志同時代の著作から、後漢末と粉飾できる部分の「流用」、「創作」を行ったと見えますから、魏志批判への起用は本末転倒です。
                                未完

今日の躓き石 「デジカメウォッチ」を徘徊する「レンジファインダースタイル」の亡霊

                               2021/01/29

 今回の題材は、特定の記事というわけではない。「デジカメウォッチ」の新製品紹介で、無法に表れる「レンジファインダースタイル」なる奇怪な形容の無法を指摘するものである。

 以前、最初に指摘したときは、富士フイルムの強引な商品コンセプトによる売り出しかと思ったものである。

 歴史上、レンジファインダーを最も目立たせていたカメラは、「ライカ」である。

 最新のデジタルカメラは、ビューファインダーは備えていても、レンジファインダーは備えていないから、レンジファインダーカメラというとウソになるのだが、だからと言って、「スタイル」は、ごまかしであり、あざといと思ったものである。しかし、富士フイルムのニュースレリースにそのような言葉はなく、デジカメウォッチの誤報、でっち上げと感じたのである。しかし、事態は、一向に是正されなかったのである。

 今般の新型機は、正面から見て、右肩のビューファインダーはなく、メーカーとして「まがい物はやりません」といういさぎよい宣言に見えるのだが、依然として、デジカメウォッチでは「レンジファインダースタイル」なるまがい物として出回っているのである。不思議な話である。担当者の視力検査が必要ではないか。

 素朴な疑問として、同サイトの記事は担当者の書きたい放題で、ファクトチェックはないのだろうか。掲載する記事の用語誤りを指摘する編集長は、いないのだろうか。
 それにしても、無知で頑冥な担当者というのは、何とも、困ったものである。

 そして、気の毒な富士フイルムは、自社の新製品に泥を塗られれて、恥とは感じないのだろうか。たしかに、「クラシカルで美しいデザイン」とは、何かつっかえたような表現であり、自社製品を「美しい」と単調に自賛するのは不器用であるが、まがい物扱いは、断固排しているのである。

以上

2021年1月26日 (火)

今日の躓き石 罪深いNHKスポーツ番組の「リベンジ」感染拡散

                                                                       2021/01/26

 当ブログではおなじみの「リベンジ」騒動であるが、今回は、どう書くか随分悩まされた。NHK番組を見る限り、石川佳純選手は、インタビューで、確かに「リベンジ」と言っているが、抑えた言い方であり、過去男性選手から聞こえたように攻撃的で毒々しい有害「リベンジ」でないのはわかる。単に、言葉を勘違いしているだけである。人柄にそぐわない、勿体ない言葉遣いである。
 これが活字だと、すかさず心得違い「報道の不行き届き」を叩くのだが、今回は、画面から表情や口調が伝わっていたため、言い方に困った。

 但し、今回確認したネット報道で、Jiji.comが引用している、ほぼ同時期の談話では、「チャレンジ」すると言ったことになっている。もちろん、両メディアの取材に対して、同一の用語で応対したとは言い切れないが、あるいは、担当者が、そのような言葉遣いで問いかけたのかも知れない。つまり、一種のやらせになっていたのかも知れない。そして、Jiji.comが選手の発言の真意を察して、さりげなく、言葉遣い、言い間違いを是正したのかも知れない。といっても、全ては憶測である。

 ということで、確かに、石川選手は、目下の所、「リベンジ」の(深刻な)意味がわかっていないのだろうと思う。海外で、「リベンジ」は、とんでもない禁句なのであるが、知らなければ仕方ない。
 言葉の感染経路を推定すると、先般のNHKの特集番組で、語り手に「リベンジ」と言う言葉を被せられたので、「再挑戦」を「リベンジ」というと誤解して、今回は、自分から「リベンジ」と言ったようにも見える。憶測は憶測として書いておく。
 要は、憶測であるが、近来の特集番組の長期密着取材で、NHK担当者を感染源として、具合の悪い言葉に感染したと見えるから、選手は、被害者のようである。だから、発言を責められないのである。

 大変困ったことに、今回のインタビュー報道で、世界のトップレベル、日本選手権者の言葉に接して、『「再チャレンジ」を「正しくはリベンジと言う」』と「感染」してしまう人がいるはずである。何しろ、みんなのお手本になる人が、NHKの番組で喋っているのである。
 つまり、NHKは「リベンジ」蔓延のクラスターを振興していると見える。NHKには、公共放送の絶大な権威があり、いわば、言葉の護り人なのに、いわば、悪性「感染症」を拡散していることになる。何とも、困ったものである。

 NHK社内では、ここで言うような報道倫理に拘わる議論は、一切せずに、各担当者の言い崩すままにしているのだろうか。一視聴者の気づくようなことは、とうの昔に気づいているはずなのだが、是正されないのは、何とも、困ったものである。

 素人の見る限り、Jiji.comは、良心的な姿勢で、「感染症」の抑制に努めているのである。視聴者から受信料を取り立てて、その代わり、広く信頼を集めているNHKは、自身の使命に覚醒して、何とか、悪疫を沈静化させて欲しいものである。

以上

 

2021年1月25日 (月)

新・私の本棚 「九章算術」新考 方田と里田~「方里の起源」 2/2

 古代の教科書を辿る試み~中國哲學書電子化計劃による 2021/01/24

㈡「里田」例題
今有田廣一里,從一里。問為田幾何?
 答曰:三頃七十五畝。
又有田廣二里,從三里。問為田幾何?
 答曰:二十二頃五十畝。
里田術曰:廣從里數相乘得積里。以三百七十五乘之,即畝數。

 続いて、広い範囲の土地の縦横と面積の「里田」例題が提示されます。

 行政区画が県へと広がると、{頃-畝}で収まらないので里で表現します。

 一里三百歩なので、縦横一里の面積一「里」は九万「歩」、三頃七十五畝です。十進法でないのは、太古、元々別の単位系として成立したからです。

*広域集計という事
 「里田」は、頃-畝単位系から里単位系への面積換算を規定していて、これは、国家里制、度量衡により一意的なので、両制度に従います。

 以降で、不規則形農地の検地が提起されますが、これは、地方吏人が測量実務で直面する例外的な事例への対応に備えて、現代で言う「幾何学」な多様性に対応する算法を説いているものであって、国家事業として開梱された正規農地、つまり、定寸矩形の農地の面積計算には必要ないのです。諸賢は、「方田」関連の多様な形状の農地に関する「例題の数の多さ」に幻惑されるようですが、農地が台帳登録されると、後は数字計算です。九章算術の残る部分は、面積数字を計算するものです。重要性は、数の多少で評価するものではないのです。

*道里の里、方里の里
 道のり、道里の単位「里」は、一里三百歩で、度量衡の尺と厳格に連携しますが、一方、一辺一里の方形の面積「方一里」は三百七十五「畝」で厳格に連携します。

 以上は、必ずしも史書想定読者全員に自明ではないので、「道里」は、百里と書くものの面積の里は、「方百里」と書いて混同を避けたようです。

*面積単位のあり方   (余談)
 近代メートル法国際単位が敷かれたとき、身近の面積は平方㍍、広域の面積は平方㌔㍍であっても、百万倍の違いはとてつもなく大きく、農地面積には、十㍍四方を単位とした㌃や百㍍四方を単位とした㌶が常用されています。

 積は二次元単位なので、一次元単位を十倍にすると百倍になり、数字の桁外れが起きるので、SI単位系の例外として常用単位で埋めたのです。

*東夷伝方里の解釈
 東夷伝の事例で、韓国「方四千里」と一大国「方四百里」が登場しますが、一辺里数で領域面積を表現したとすると、十倍の大小関係と見えて面積は自乗関係で百倍の大差では、読者たる高官の誤解を招くので不都合です。

 一辺里数でなく全周里数とみても、自乗関係に変化が無いので、韓国は一大国の百倍であり、実態を裏切る、無意味な比較になるのです。

 あるいは、遼東郡の北の大国高句麗が、南の小国韓国の四半分の国土と読めては、高官の判断を誤らせるので、不合理なのです。

 ということで、合理的な解釈が残ります。
 東夷伝で、遠隔、未開の国「方里」は、それぞれの農地測量・検地された台帳記事の集積で、収穫・徴税と直結し、国力指標として最も有効です。
 しかし、台帳で把握されている「耕作地」は、全土のごく一部に過ぎず、大半は、山野、渓谷、荒れ地、海浜など測量されない非耕作地です。
 
過去、当記事の主張と同様な提言があったとしても、国土全域の表現と見ると、余りに狭小なので、間違いとされたことでしょう。それは、後世の世界観で、国土の全面積が測量可能であるとか、その面積に意義があるとか、時代錯誤の先入観を抱いていたためです。


 あるいは、「方里」と道里の混同を招いたためです。三国志は、現代日本人の先入観を満たすために書かれたものではないのです。

*まとめ
 本稿は、論証と言うより、合理的な考証と思うものです。
 否定されるのなら、不確かな実証論でなく論証をいただきたいものです。

                               以上

新・私の本棚 「九章算術」新考 方田と里田~「方里の起源」 1/2

 古代の教科書を辿る試み~中國哲學書電子化計劃による 2021/01/24

〇はじめに
 古代中国の算数教科書を読み解いて、倭人伝「方里」の起源を探ります。
 農地測量の「方田里田」表現を確認し、「方里」は面積単位と明示します。

〇九章算術とは
 本書は、「東アジア」最古の数学書と紹介されますが、当時、中国周辺世界で文明があったのは「中国」だけで、西方エジプト、メソポタミア、ギリシャとは交信がなかったから「世界最古」でいいのです。当時、「アジア」はエーゲ海に面した地中海東岸の狭い世界であり、東アジアなどなかったのです。

 古代史学者は、「東アジア」という用語を、大変注意深く使っていますが、悪乗りして混乱した世界観を持ちかけてくる論者がいるので注意が必要です。古代史に現代語を持ち込むのは、大抵、苦し紛れの逃げ口上です。

 それはさておき、本稿の対象は、冒頭部だけで、かつ、「数学」論でないことをおことわりしておきます。また、目的は、用語、用字の解明であり、中国語独特の文法を理解しなくても読み解けるので現代語訳を付けていません。

 但し、中国の単位体系は、現代日本と異なるので、随時説明を加えます。

▢記事紹介
*「問題」山積による問答紹介、術紹介付き
㈠ 方田例題
今有田廣十五步,從十六步。問為田幾何?
 答曰:一畝。
又有田廣十二步,從十四步。問為田幾何?
 答曰:一百六十八步。
方田術曰:廣從步數相乘得積步。以畝法二百四十步除之即畝數。百畝為一頃。

 冒頭の「方田」例題です。いきなり「問」、「問題」を突きつけられて、総毛立つ「サプライズ」と勘違いしそうですが、パニックを起こさず読み進めると、すぐさま、「答」が示されるので、心の負担にはならないでしょう。

 本来、各例題は問答で完結だったのでしょうが、それでは勉強にならないので、解答に至る手順の「術」、解法が示されています。

*「歩」の起源考察
 「歩」は、農地面積単位であって、恐らく「ぶ」であり、歩幅定義でなく、耕作具の幅基準と思われます。なお、日常単位との関係は一歩六尺です。

 廣は農地の幅、従は縦、農地の奥行きです。農地を牛犂で耕すとき、歩は犂幅であり、奥で反転して引き返すので、農地は矩形で造成されます。つまり、農地の開墾・整理は、「歩」を単位に、各戸に当て縄張り区画したと見えます。農地は、あぜ道と水路、そして、農道で区分されていたはずです。

 ここに提示された農地は一「畝」の定義で幅十五歩、縦十六歩です。面積単位には百畝の「頃」があり、農地は「頃」-「畝」で表現されます。

*面積単位としての「歩」
 続く例では、廣・従が、「歩」、面積も「歩」で書かれています。答は、単に百六十八「歩」で、術では、周知の一畝 二百四十歩を明記します。

 方田術曰と書かれているのは、恐らく、後世の解説者の追記であり、原題には、「幅が歩、縦が歩なら、面積は積歩」とは書いていなかったはずです。

 「廣從步數相乘得積步」は、縦横の「歩」を掛けると面積の「歩」が出ると言うだけで、九章算術全体でも、単位「積歩」を示していないようです。

                                未完

2021年1月 6日 (水)

今日の躓き石 毎日新聞社「第100回高校ラグビー」報道の改善~消えゆく「リベンジ」は、死なず

                              2021/01/06

 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊のスポーツ面「第100回高校ラグビー」報道におけるゆるやかな改善である。ゆるやかと言うのは、記者間の感性の違いで、一向に改善されない無分別な個体と、まあ、取り敢えずこの言葉はやめとこうとする分別のある個体が入り交じっているのだが、後者の記事には、「リベンジ」などという汚染された言葉が出てこないから、この場で指摘しようが無いのである。印象として、問題発言が減ったのではないかと思うだけにとどまっている。信賞(必罰)の務めが果たせていない点については、ここにお詫びするのである。

 今回も、何にも無しなので済みそうだったのだが、準決勝の敗戦戦評で、見たくもない「リベンジ」が炸裂して、この記事になったのである。選手の発言引用でないから、担当記者の勝手な当てはめと見るものであり、どうみても、事実報道の大義の下に正当化されるような大層な記事とは思えないのである。勿体ないことである。

 最近強調している見方を言うと、毎日新聞読者のかなりの数が、血なまぐさい、罪悪の昂じる行為と見なす可能性のある言葉を、この場で敢えて採用し、三年生選手の将来に暗雲を投げかける気が知れないのである。読者は、記者のことなど意に留めず、高校生にもなって、悪ガキばりの汚い発言をした選手として記憶するのである。こう言ったら、苦言に反発して、逆ギレするのだろうか。

 くれぐれも、各記者の職歴に汚点を残さないように、どう見ても分のない「リベンジ」擁護活動に加担しないようにお願いしたいものである。そうでないと、今回は、クラシック音楽の分野にまで、汚染が及んでいるのである。くれぐれも、恥の多い言葉の普及に尽力したなどと書かれないことを望むだけである。

 取り敢えず、当ブログの立場では、署名記事と言えども、個人攻撃はせず、最終責任は毎日新聞社にあるという見方であり、各担当者の理解を仰いでいるのである。担当記者の失策を、そのまま読者に届けるのであれば、編集部には、何の校正機能もないということであり、それなら、ネット報道と大差ないのである。紙面の背後に大勢の叡知が働いていると信じなければ、宅配講読を続けられないのである。

以上

今日の躓き石 毎日新聞社の曲がった社風 曲解引用された延原武春氏の「リベンジ」発言

                             2021/01/06

 今回の題材は、毎日新聞夕刊、「夕刊ワイド」面の「芸術」欄である。題目は、クラシック界の重鎮、延原武春氏の本年の抱負である。どこにも、雑音が入るはずはないと思ったのだが、シメの部分で、突如、「リベンジ」なる忌まわしい言葉が突出して、読者は、地に墜ちるのである。

 毎回の指摘記事がそうであるように、今回指摘する失言、意図していない暴言は、このような忌まわしい形で紙面に掲載されるべきではないのである。氏が「リベンジ」と言った真意(こころ)は、このように報道されると、読者に、とても伝わらないのである。
 つまり、氏のような年配の豊富な教養の持ち主の口に出す言葉は、読者にしてみると、正統的な意味に従っているものと期待され、それは、半世紀に亘る宿縁の「報復」であり、血なまぐさい、血塗られた光景が幻視されるのである。

 いや、延原氏がそんなつもりで言ったのではないというのはわかっているが、それなら、何としても、もっと穏当な表現に言い換えるべきである。それが、大新聞の取るべき径であって、何でも、聞こえたまま、文字にすれば良いというものではない。
 記者に聞こえた、つまり、受け止めた意味と違う意味で受け止める読者は、決して少なくないのである。報道の者として、このような誤報は、戒めるべきではないか。

 当記事の趣旨は、そう言う事であり、今回の記事は、延原、小林御両所には、定めしご不快であろうが、このような機会をとらえて指摘しないと、大新聞社の社風が改まる可能性は、全く無いので、ことさら、ここに事を荒立てて指摘するものである。だからといって、この記事が大新聞社の耳に届くと思っているのではないが、発言の飛沫でも良いから届くのではないかと思っているのである。

以上

 

2021年1月 3日 (日)

新・私の本棚 番外 「英雄たちの選択新春SP “ニッポン”古代人のこころと文明に迫る」再論 2019 7/7 改

  2017..2019/01/03 記2019/01/13 確認2021/01/03

*NHKの低俗化を憂う 
 今回、NHKの近年の古代史番組制作姿勢について手厳しく批判しているのは、以上のような愚行が、近年NHKの方針として進められている(と思える)からです。また、愚行の背景に窺えるNHKの古代史解釈に大変不満だからです。

*NHKの偉業紹介
 現時点で、NHKの公開アーカイブで、次の番組を見ることができます。制作時点の最新成果と考古学者の知見が提示され、無理な理屈づけとは無縁なので、安心して見ることができます。
 NHKオンデマンドサービス(有料)で随時視聴可能です。
Ⅰ NHKスペシャル よみがえる邪馬台国 全三回 1989年
 *吉野ヶ里遺跡が中心
Ⅱ NHKスペシャル “邪馬台国”を掘る    2011年
 *纏向大型建物が中心

 それぞれ、当時のNHKの総力を上げたと見え、取材動画に斯界の権威の見解を求めて、公共放送の面目躍如の手堅い番組で、これからも、かくあっていただきたいものです。

 いや、古代史学者の森浩一氏は、Ⅱの番組すら、拙劣と酷評しています。恐らく、纏向関係の報道が、特定の学派の提灯持ちに堕しているのを歎いていたものでしょう。
 素人目にも、NHKは、相談する相手を間違えているのではないかと懸念されます。国民の支払う受信料は、特定の学派の保身に費やすのでなく、意義ある番組制作に投入する方が良いのでは無いでしょうか。

*低俗化の由来か
 今回の番組は、散発的な発掘成果から生じた「一説」を、論証も何もないままに、そして、てんでバラバラに、機械的、かつ強引に全国に塗りつけて、確たる定説と見せかける暴挙であり、各地で真摯な発掘活動を続けている関係者まで巻き込み、大変迷惑なものです。
 大変な経費を投入して制作した手前でしょうが、臆面も無く連年年始に再放送されていますが、NHKの変節が古代史界に悪影響を振りまいているのでなければ幸いです。
 このような粉飾で、関係予算を得ているとしたら、所管官庁も予算査定部門も子供扱いされているのであり、一納税者としては嘆かわしいものと考えます。

                                以上

新・私の本棚 番外 「英雄たちの選択新春SP “ニッポン”古代人のこころと文明に迫る」再論 2019 6/7 改

  2017..2019/01/03 記2019/01/13 確認2021/01/03

*金属音妄想
 銅鐸に関して、「それまで、誰も聞いたたことのない金属音」と放言していますが、銅鐸のような独特の形状の金属物の打音の音色はともかく、金属音というなら、鉦や銅鼓のような打楽器は、殷周代の太古来、むしろありふれていて「金属音」は、全く斬新でなかったと思います、いや、元々、「誰も耳にしたことがない」などと、古代の出来事を断言できるはずはないのです。

 当時を生きていたような、見てきたような話し方ですが、もっともらしいどころか、筋の通らない放言で、素人に頷かせるものではないのです。単に発言者が物知らずという事に過ぎないのです。初耳に驚くのは素朴で結構ですが、実物は、二千年前から存在しているのです。顔を洗って、出直してほしいものです。そして、儀式の度に奏されるから、耳に馴染むというか、「耳にタコ」になるような気がします。

 それにしても、「金属音を聞くと思考が停止」するというのも、無謀な発言です。思考の動きは誰にも見えないので、停止しようがしまいが、それは、別に見届けようのない、どちらかと言えば、好き勝手に言い立てているだけの勝手な妄想譚です。

 いずれも、文献もない太古の話ですから、言いたい放題なのでしょうが、そんな勝手な個人的な感想は、公共放送で喋りたくるのでなく、個人的な世界に止めてほしいものです。
 このような発言は、今回限りにしてほしいものです。そうでなくても、毎年、このような迷言の再放送を見なければならないというのは、困ったものです。

*強奪無謀
 ここで、磯田氏が突然乱入して、古代に収穫物を掠奪する山賊集団が横行したというのは、暴言の極みです。
 この時代、奪うに値する財物は、ほぼ「米俵」であり、他国を侵略して死傷者を出した上で、帰り道、米俵を担いで、道なき道を野越え山越えするのでは、余りに労多くして報われぬ悪行です。

 まして、初回の不意打ちの侵略はともかく、それ以降は、待ち受けされて、撃退される可能性が高いのです。農耕を放棄して、侵略に血道を上げていては、掠奪成果なくして生計が立たず10年を経ずして国が滅びるでしょう。現に、史上、そのような山賊集団が持続した記録はないのは、磯田氏がよくご存じの筈です。このような煽動発言は、磯田師の「学者」としての見識を大いに疑わせるものです。

 そんな血なまぐさいことをしなくても、諸国盟主となって他国を服従させれば、毎年、野越え山越え米俵を担いで貢納してくるのであり、多数の掠奪用兵士を養う必要もありません。
 素人に言われるまでもなく、それが、「倭」から「日本」に継承された、それが全てではないとしても、太古以来の政治風土と思うのです。

 誰がこうした不規則発言を書き立てる台本を書いたのでしょうか。NHKの関係者の精神構造を疑わせます。これでは、健全な論争が成り立ちません。NHKは、司会者の入れ替えを進めた方が良いでしょう。

*卑弥呼無残
 諸説ある中で、当番組の卑弥呼観は呪い師であり、「呪術」の力で政権を把握し、年老いて「呪術」が衰えて、退位、死亡したという見方が横溢していて、卑弥呼を神功皇后や天照大神に見立てた諸説は、一顧だにされないのです。
 それは、論者の創作世界の論理であり、古代史の見立てとして、一考に値するという程度にとどまっているはずです。そのようなご都合主義の解釈が古代史分野に横行しているのは、倭人伝の文献解釈が、学問でなく、神がかりなのだとしか思えません。何とも、不毛な論争に疲れ果てた諸兄の精神の荒廃を感じさせられる今日この頃です。

 近年、一個人の提唱がNHKの思考を停止させているように見えます。

未完

 

 

新・私の本棚 番外 「英雄たちの選択新春SP “ニッポン”古代人のこころと文明に迫る」再論 2019 5/7 改

  2017..2019/01/03 記2019/01/13 確認2021/01/03

*無視横行
 それにしても、番組の流れで、時に、ガイド役の説明者に、当然とも思える素朴な疑問が呈されますが、屡々無視されるのはどうでしょうか。
 回答に窮して、次に進めているのでしょうか。別にガイド役を困らせようというつっこみでもないのですが、想定外、台本外の質問は無視する習性の人なのでしょうか。芸人として、度外れに抜けているように見えます。

 例えば、纏向の大型建物柱穴が先立つ丸穴が角穴になったと説明していますが、何があってそう変わった(と決め込んだ)のかとの質問に返事がないのです。
 また、建物の時代比定が、大幅に旧くなった件も、返答がないのです。トップ指示でそう言わされていて、箝口令でも敷かれているのでしょうか。
 それより、磯田氏が、どさくさ紛れに纏向遺跡を二世紀としているのも、司会者に禁物の素人判断であり、視聴者は、マニアが浅知恵を競うのを見たくて、NHKの特番を見ているのではないと思うのです。

*東西基線の意義
 いや、素人考えという点では、纏向論などに見られる古代史論も、ある意味、素人考えを脱していないのは困ったものです。

 例えば、纏向建物は東西基線の配置ですが、太陽の運行に世界観を託したものです。会稽東治の東などという表現は、天下を二分したものであり、南北は度外視されているものです。単に、何らかの直線上に縄張りされたというものではないのです。
 これに対して、君子南面などの中国思想は、南北基線であり、歴代王都で、東西基線を敷いた例は、まず見られません。
 つまり、基本思想が、根本的に違う
のです。

 また、所詮当時の人が引いた縄張りは、結構うねっていて「完璧な直線」の筈はないのです。基線は、理念なのです。

□暴走と混乱
 いずれにしろ、全国視聴者に代わって質問しているのに無視とは、無礼にもほどがあるのではないでしょうか。芸能バラエティーばりに、アドリブは禁止なのでしょうか。それなら、NGで撮り直すべきです。

 司会者ご両人が、先に書いたような私見を言いっぱなしで、相手に無視されても何も言わないのも、おかしな話です。視聴者に伝えるというプロの根性はないのでしょうか。

 それ以外でも、古代史マニアや新説愛好者の言いっぱなしの私見が飛び散らかされていて、「史学」の裏付けのないままです。

 それをもてはやすように、だれかが操作すれば、でかい表示がバチバチ切り替わって、全土一律に追従するという幻想を与えているのが、今回の番組のだまし絵です。
                          未完

新・私の本棚 番外 「英雄たちの選択新春SP “ニッポン”古代人のこころと文明に迫る」再論 2019 4/7 改

 2017..2019/01/03 記2019/01/13 追記 2021/01/03
 
*児戯、画餅
 同様に、列島各地に、同形状、同系列の墳丘墓がずらりと揃っていくわけがないのです。考古学者は、個別の墳丘墓の時代比定については、個性的な見解を述べていますが、このような児戯は支持していないはずです。

 現代は、絵解きの時代ですが、天下の公共放送が、ここまで安直な絵解きに溺れるとは、受信料の無駄使いです。演出と言うよりウソの練り重ねです。

 それは、例えば、桜前線の伝搬のようです。その場合、全国にソメイヨシノの植樹と養生が連なっているから、まるで、誰かが開化せよとの指令を発したのが、南から北へ伝わっているように見えるのですが、番組の茶番は、安直な幻像に過ぎません。子供に塗り絵をさせているようなものです。

*番組の蛮行
 そのような演出の背景は、放送局も新聞社も通信社もない時代に、列島全部に隈無く、すらすらと文化が拡散するという幻想ですが、「文化」が、文字を前提としている以上、文字のない時代にそのような文化拡散はありえないのです。そして、何より、三世紀、四世紀に、広域政権はないので、拡散の発信源も伝達手段もないのです。出かけて布教するしかないのです。

*地方国家幻想
 九州北部の政権は早期に実在したとして、「吉備」「大和」に同様の政権が存在したという同時代記録はないのです。
 仮に記録されたとしても、地方間の連絡は、使者が伝言するしかないのに、片道一ヵ月はかかろうかという遠隔地同士で対話は成立せず意思伝達は無理である。そもそも、そのような遠隔地から、収穫を取り立てるのは無理だし、相手の挙動に文句があるからと言って遠征軍を送って征伐するのも無理です。

 国家の構築に不可欠な要素がないから、広域国家はなかったのです。
 
*倭人伝の諸国像
 倭人伝談義では、多数の小国が共存し、「女王を総会で擁立した」共立図が描かれているようですが、交通不便で、文字通信も無いとなると、ほんの山向こう、川向こうでも、別所帯であり、喧嘩も食べ物の融通も、ろくにできないのです。話し言葉が異なるとなると、時候の挨拶も、男女交際も不可能となります。諸国統一どころか、隣村さえ支配できないのです。

 唯一進展があるとしたら、川に橋が架かり、山越えの道が通じるときで、せめて日帰りで往来できたら、朝、荷を背負って隣村に出かけて産物を仕入れ、夕方に帰還することができるのです。日帰り交流が広がれば、両集団の交流が深まり、合流しようかという事になるのです。

 いや、大抵、隣村は分家であり、言葉も風俗も通じ、往来便利なら親戚づきあいできるので、分家や親戚を、掠奪や武力征服などしないでしょう。磯田氏は、よそ者は「人」でない(から殺してもいい)と強弁しますが根拠不明です。
                               未完

新・私の本棚 番外 「英雄たちの選択新春SP “ニッポン”古代人のこころと文明に迫る」再論 2019 3/7 改

 2017..2019/01/03 記2019/01/13 追記 2021/01/03

*非現実的な妄想
 なお、耕作努力を放棄して、他地域を襲撃し収穫を持ち帰る任務を帯びた掠奪部隊は、いわば常備軍であり、盗賊集団にとって、平時は無駄飯ぐらいの重荷であり、また、集団権力者にとって、武器であると同時に自身の地位を脅かすのです。とても、長期に亘って維持できるとは思えません。

 磯田氏ほどの見識の持ち主なら、とうにご存じでしょうが、日本列島の古代に於いて、そのような盗賊集団は、一時的に、どこかに存在したとしても、存在を維持できなかったし、全国制覇できなかったのです。

 それとも、磯田氏は、纏向に興隆した集団は盗賊集団の末裔と主張しているのでしょうか。あるいは、今日の日本人の心の底流には、そのような集団の泥棒意識が流れていると主張するのでしょうか。不審です。

*番組テーマとの関連
 「古代人のこころ」を探るという番組テーマを考えると、番組全体の流れの中でのこの発言は、そのような断罪を示唆しているようにも見えます。

 当方は、そのような「幻想の古代」は、例え磯田氏の内面に猛然と繁殖していても、実際の古代世界には痕跡も残っていないと思うのです。

*物盗りでなく国盗り
 もっと効率の高い盗り方は、被害集団を服従させ、収穫の一部を毎年献上させることです。服従を維持するためには、武力の優位が必要でしょうが、平時は、言うならば鴨がネギを背負ってやってくるので、受け取る方は鍋を煮立てて待てば良いのです。しかも、金の卵ではないが歳々年々届くのです。このような「盗賊」は、涸れない泉のようなものです。
 
 別策は、被害集団を追い出して、自集団の耕作地にするもので、耕作地が拡大して収穫増で繁栄間違いなし、かつ、持続可能な盗り方です。これは、国内例は少ないものの、「グローバル」では、良く見られるところです。
 
 当方は、経済学にも社会学にも通じてないので、きれいに形容することはできませんが、普遍的な物の道理として以上のように見るのです。つまり、誰かの理論を受け売りするのでなく、歴史を通読してそう見るのです。

*画餅の愚
 番組冒頭に還って、当番組の概念図塗りたくり手法は、愚劣です。
 
 中でも、稲作の普及の見せ方が、理屈に背いていて愚劣です。
 
列島概念図の上に、一気に、一面に、稲作の絵柄を塗りたくっていますが、北進速度はおおぼらとしても、後世に至るも、山岳地帯や東北部の寒冷地帯の稲作は、随分進まなかったので、これは大嘘です。
 
 せいぜい、子供だましのものです。子供だましには子供だましの効用がありますが、これでは、チャンネルを間違えているように見えます。
                               未完

新・私の本棚 番外 「英雄たちの選択新春SP “ニッポン”古代人のこころと文明に迫る」再論 2019 2/7 改

 2017..2019/01/03 記2019/01/13 追記 2021/01/03

*「磯田史観」概観
 近年NHK歴史番組に登場する「歴史学者」磯田道史氏の古代史に関するコメントは、当番組に限っても、時代錯誤で軽薄です。

 思うに、氏が本当に通じている時代は、近代、それも、江戸時代中期以降の豊富な古文書史料に基づく、大変限られた範囲であり、古代史に関しては素人、つまり、自任しているように子供時代以来の古墳ファン、マニアでしかないように思えます。

 氏は、古代史番組を仕切るだけの学識も器量を持ち合わせていないらしく、無理な時代錯誤の歴史観を、それも、現代でも、一部の閉鎖的なコミュニティでしか通用しない概念を、前触れなし、出席者の意見と合わないのをぶちまけて、何が伝わると期待しているのでしょうか。

 同情するならば、氏は、そのような乱暴な、現代人の(一部、古代史愛好家の)俗耳に訴える言い回しを売り物にしているのでしょうが、NHKの特番は、低コストでそれなりの部数売り上げが見込める安物新書ではないので、つまらない猿芝居をしているのは、もったいない話です。

*場違いの記

 再放送の間に、磯田氏の著作二作が、映画化されたのを楽しく見せて頂くました。江戸時代で古文書資料が豊富に残っているのでしょうが、大がかりで、しかも、現実味、説得力のあるドラマが構成されているのは素晴らしいのですが、それは、あくまで、時代背景や人情が現代に通じるものであり、観客も読者も、登場人物の情感を察することができたからです。

 三世紀や四世紀の古代は、そうした「察する」ことのできない世界なのに、しきりに、現代語やカタカナ語で古代を塗りつぶす司会者の芸風は、場違いなのです。当番組のイリュージョン志向は、場違い概念の塗り込めすぎになっています。

 それとも、氏の古代世界観は、映画化された仙台藩の一宿場や加賀藩勘定方の縮小版で満ち満ちているのでしょうか。

          未完


                              

新・私の本棚 番外 「英雄たちの選択新春SP “ニッポン”古代人のこころと文明に迫る」再論 2019 1/7 改

 2017..2019/01/03 記2019/01/13 追記 2021/01/03
   私の見立て★☆☆☆☆              2019/01/12

*NHK番組案内を引用
【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】里中満智子,中野信子,松木武彦,
辰巳和弘,石野博信,倉本一宏【語り】松重豊
  ニッポンのはじまりスペシャル企画!最新事情を踏まえ古代人のこころと文明の成り立ちに迫ります。弥生人=稲作民という常識を覆す先進集落の実像とは?弥生人が銅鐸に求めた神秘のパワーとは?邪馬台国の女王・卑弥呼の出身地はどこ?司会の磯田道史が大興奮の古墳とは?さらに、悪役のイメージが強い蘇我氏が、この国に与えた影響も探ります。弥生から飛鳥までを一挙に駆け抜けてみると、ニッポンのどんな原型が見えるでしょうか

*総評
 当方の知る限り、当番組は、昨2017年1月3日に放送され、2018, 2019年は、再放送です。
 初見の際は、一般向け番組で示された個人的意見を批判する気になれず、表面的な批評となりましたが、良く見ると、お出ましになっているのは、それなりの権威者揃いでもあり、「まんま」再放送という事は、ちゃんと批判されていないようなので、一視聴者として苦情を申し立てることにします。

※番組方針逸脱
 当番組は、本来、歴史上の分岐点で、「英雄たち」が直面した選択を明らかにして、視聴者にそれぞれの選択肢を吟味させるものであったはずです。ところが、当特番は、「謎」の特異な解明(異説)を羅列するだけで、事態の原型は示されず、権威を求められている番組として、無責任であると見えます。

※日本なきにっぼん文明
 この番組は、カタカナのニッポンを連呼しますが、それは、八世紀初頭に始めて採用された「日本」の国号を、数世紀遡る古代史に使用する「時代錯誤」の押しつけを避けたつもりかも知れません。しかし、所詮、一般人は、文字より音声で識別するので、カタカナも漢字も同じ実態と受け止め、「ニッポン」と言っても、時代錯誤から逃げられないと愚考します。
 古代史分野では、「日本列島」と呼称しているので、NHKも、番組冒頭で趣旨を説明した上で、これに従う方が良いのでは無いのでしょうか。
 当時なかった概念を断り無く濫用するのは、視聴者に謝った理解を押しつけるので、断じて使用すべきではないと愚考します。

*はじめに
 当番組全体は、二時間にわたって「最前線」を紹介し、古代から飛鳥時代まで数回に分けて、時代相を論じていますが、総じて、誰かが史学とは無縁の先入観を持ち込んで「台本」をでっち上げ、さらに演出過剰で意図不明、散漫な造作に終始した番組になっていまのす。
 古代史を、「中央」(意味不明)の支配者がひねり出した「シンボル」(意味不明)が、亡霊の如く全国に拡散する図式(ポンチ絵)の茶番劇にしてしまったのです。ポンチ絵も、茶番劇も、それぞれの役所(やくどころ)では、りっぱな芸術表現なのですが、当番組に持ち込まれては、勿体ない才能の浪費に過ぎません。

 歴史の流れを、額に汗して「駆け抜け」るのには足場、足回りが気になりますが、今回は、図式化された歴史の上空を涼やかに「飛び抜け」ていて、躓き石どころか、落とし穴も断層も関係なしです。一部学派の提灯持ちに堕しているように見えます。公共放送として、それでいいのでしょうか。

 公共放送で、これほど、論証に欠ける、無責任な番組制作は困るのです。いや、知らないうちに、世の中はそんな風潮になっているのかも知れないのです。後生畏るべし。

 後半に回すと、読んでもらえないかもわからないので、まずは、苦言をここに進呈します。

 未完

新・私の本棚 番外 NHKスペシャル 「“邪馬台国”を掘る」 4/4 改

                               2019/01/25 追記 2021/01/03
*井蛙新種 中国人の幻想
 ついでに言うと、中国人学者が、「三世紀当時、東アジアでは魏の強さと文化の高さを誰もが知っていた」と放言するのは、いくらでかくても、井戸は井戸、蛙は蛙と自覚していないということです。時に、中華思想と言われる独善の偏見で、中華三千年、千古不抜の大蛙です。

 「東アジア」と勝手に後世用語を取り込んでいるものの、その範囲は朦朧としていて、日本列島は認識外だったので、中国の認識している東アジアではと言うべきでしょうか。それにしても、呉と蜀には、全く別の意見があったでしょう。

 少し丁寧に言うと、中華文明の一員でないもの、中原天子の威光を知らないものは、「人」ではないということです。

 つまり、「東アジア」と「誰も」の二点が大きく曲がっているので、魏を天子と認めないものを数えないという「狭量な」視点だから「誰もが知っていた」と、信念を持って断言できるのです。いや、古代史学者は、当の時代の世界観に身を浸さないと、適確な時代考証ができないのですが、前触れせずに神がかりされると、理解に窮するのです。

 と言うものの、当時の東アジアで、中華文明の一翼を担う劉氏蜀漢と孫氏東呉は、成り上がり者に過ぎない曹氏魏帝を天子と認めていなかったし、夷蛮の輩(やから)であってもすでに数世紀に亘って君臨していた高句麗王国は、自身の天下り創世紀を擁する神話大系を確立していて、確固たる創世神話を有さない中華文明の、しかも、ぽっと出の魏皇帝を「天子」と見ていたわけではないはずです。
 
 「知っていた」が、単に知識、認識の問題なら別ですが、ことは尊崇、心服、服従まで含まないと話にならないから、このように批判を浴びるのです。

*逆「夜郎自大」 中国人の幻想
 そして、朝鮮半島はともかく、日本列島全体で、魏が何者か知っていたのは、百人といなかったはずです。何しろ、漢字が読める人は、ごくごく限られていたから、衆知どころか、知る人はごくごく希だったのです。魏の創業者が誰で、どのようにして、亡国の漢を救ったかなど、を紹介した文書など存在しなかったのです。もちろん、魏志も魏略も存在しなかったのです。

 
冗談半分に言うと、魏は、委と鬼であり、要は、倭の鬼になるのです。魏は、鬼が住んでいるところかと思いかねないのです。

 魏の皇帝は、井蛙ではなかったので、「海の向こうの魏という偉大な国の威光を、汝が広く、隈無く国中に伝えるのだ」と文字のない蕃国の王に、優しく指示したのです。

*愚問愚答 メディアの罪過

 中国の専門家というものの、先に示したように視点の偏りは避けられず、また、質問に添える情報が、不備満載で愚図愚図に崩れていては、適確な回答は、ますます得られないのです。これは、愚問愚答というものです。

*女王の権力 現代人の幻想
 ついでながら批判すると、女王が「原始的な道教」で人々を支配したという仮説も、とんでもない言いがかりで、見る人が少ない君主は衆を惑わせないのです。まして、当時存在しなかった「シャーマン」の濡れ衣を着せられても、当人は、一切反論できないのですから、困ったものです。史書から遊離した、個人的な妄想は、史書記事の解釈から外すべきです。

*張魯の幻像
 例えに引かれた五斗米道の張魯は、「教民」したのですから、幹部を介して文書で詳しく教導でき、それ故、東夷から見ると遥か西の漢中郡に強力な教団組織を設け、一種の王国を築いて、後漢朝に服従せず、周辺諸侯と対抗したのですが、こちらの文字の無い王国では、面談なくして国王の意志は伝わらず、綿密な権力支配は不可能です。とても、参考にはならないのです。

*老婆王幻想
 いや、最近の番組では、素人談義で、女王は、青壮年期、絶大な呪術で人々を支配したが、老齢で呪術が衰えて死を招いたなどと、根拠不明のとてつもない空想絵巻を繰り広げて、特に反論を浴びないのですが、「老齢」も「呪術」も、倭人伝には一切書かれていないのです。
 当番組は、そこまで俗論に堕することはなく、学術の衣をきちんとまとっていて、さすがにまだましという事でしょう。

*結語
 と言うことで、当番組は、大量かつ貴重な素材に基づいていて、大変有り難い番組なのですが、理屈づけに関しては、特定の論者に傾倒したように、安直で筋の通らない話が多いのです。

 できれば、諸兄が実見して、判断いただきたいものです。

                               以上

新・私の本棚 番外 NHKスペシャル 「“邪馬台国”を掘る」 3/4 改

                               2019/01/25 追記 2021/01/03
*手土産幻想
 寺沢氏の言う、纏向の全国焼き物の出土は各地から参上者の手土産との見解は、大御所石野氏の創唱した共同信念のようですが、当時、地の果ての各地から、草枕を重ねて幾山河を越え鍋釜を抱え来る図は、何とも不思議です。(友人に言うなら「顔を洗って出直してこい」です)

 まして、諸国幹部が参勤したというのは、妄想的なロマンであって、権威者が公言すべきでないと見ます。

 出土品は、纏向が各地に求め近隣取引の繰り返しの果てに渡来したとみるものでしょう。調理時間を短縮できる特産薄肉土鍋との物々交換連鎖で、数千個の多数ならともかく、この程度の数なら各地産物の代替入手は可能でしょう。繰り返しになりますが、纏向来訪者が、山川越えて、時に野宿しながら、肉厚土鍋の重荷を手土産持参する図は途方もなく滑稽です。どうして、そんな苦難に耐えたのでしょうか。
 近隣交易なら、隣の村の市に持ち込んで売り込み、交換に入手した買い物を持ち帰るのは、その日のうちです。朝飯前でないにしても、お安い御用と言うべきです。

*纏向神話の誕生

 遺跡には年代記録がないので、番組内で飛び出す、「当時」という常套句は、実は、半ば嘘です。嘘といって悪ければ、発言者がそれぞれ内心に抱えているフィクションなのです。同様に、三世紀について語るとき「日本」というのも、フィクションです。誤解を招く粗雑さです。互いに思うことが違うのに、わかったつもりで言葉が行き交うのは、困ったものです。

 いや、地理概念として「日本列島」というのは仕方ないでしょうが、千八百年前に対して、「日本列島が一つにまとまる」などと言うのは、視聴者の誤解を誘う意図でなければ粗雑な夢語りです。何しろ、「日本」が統一政権になるのは、まだ、四世紀以上後なのですから、こんなに早くまとまるはずがないのです。
 別の言い方をすると、そんなに早く統一の中央権力があったのなら、なぜ、文書行政や街道整備ができなかったのでしょうか。文字も街道もないのに、地の果ての者達に、厳しく指令できたのでしょうか。そして、地の果てからの命令に、なぜ従ったのでしょうか。

*遺跡年代遡上の怪
 そうしたイリュージョンが蔓延る(はびこる)裏で、遺跡の年代観遡上が進行しているようです。

 考古学の従来の見方で虚心に見て四世紀後半の遺跡とも見えるのに対し、素人目にも、三世紀初頭の必達目標に整合するような改定の仮説が、次々裏書きされていると見えます。

 案ずるに、三世紀初頭、いまだ発展途上の奈良盆地にこの遺跡が降って湧いて、次に、半世紀待たずに箸墓があり、そのあと、本格的な古墳時代が開花したというお話のようです。建物の構造も、後の番組では(前例のない)角柱穴に変貌しています。

 同じ遺跡、遺物を見ているはずなのに、関係者の思い描く世界は、ずるずると時代を遡っていたようです。倭人伝の呪術、卑弥呼の鬼道が現代人を迷わせているのでしょうか。その錯覚のせいで、後年、桃種の時代鑑定で仰天することになったようです。

*纏向助長策
 纏向は、古代国家の双葉とみたものが、助長されて若木に、そして成木になり、矢継ぎ早に国に育つさまは壮観ですが、その意図がわかりません。
 中国史書魏志倭人伝記事、それも卑弥呼埋葬の「冢」を箸墓にこじつけ、時代考証のずり上げと女王国比定という二大課題を、一石二鳥とばかりの神業で決着させようとする努力が繰り広げられているものと思われます。

 折角、現場で現物に接する幸運に恵まれているのに、つまらない先入観で、視覚が曇っているのは、もったいないことです。

                             未完

新・私の本棚 番外 NHKスペシャル 「“邪馬台国”を掘る」 2/4 改

                               2019/01/25 追記 2021/01/03
*桃種廃棄論
 古来、桃は生命力が強いとされ、諺の「三年」どころか、三千個の一つとして発芽を報告されないのが不審です。案ずるに、桃種は、祭礼後、ないしは、廃棄時に蒸し殺されたかと思われます。
 C14は、その時に成分比が固定され、以下、着々と放射線崩壊し始めたのでしょう。

 銅鐸だけでなく、中国人に意義のある桃祭礼も、倭人伝に全く書かれてないのは不審です。いつ纏向の創始、ないしは(吉備からの)将来で創始され、いつ廃絶となったか、などなど疑問が湧いてきます。

 新来「纏向」氏族が、制圧したばかりの、先立つ「原纏向」集団愛蔵の桃種を、発芽しないように殺した上で、地盤固めに大量投入して厄払いし、旧弊を踏み潰した更地で、新祭礼を創始したと見る「桃種廃棄論」は、銅鐸廃棄論と同趣旨です。

 そのように見る理由は、以下の通りです。

*宗教改革談義
 古代に宗教改革があったとの安直な議論が展開されますが、現代風宗教観は脇にして、当時の人々の心根を思いやると、先祖代々、氏族ぐるみで事える氏神を捨てるのは、罰当たりで親不孝だったはずです。

 いや、現代でも、宗教は私的であり、そのために生き、命を投げ出す大きな存在です。都会人の意識の底に沈んだ信心が命の源になっているのです。

 ご承知のように、後世、国家仏教が展開されても氏神は残り、各家仏壇にご位牌が並んでも神棚は残りました。本地垂迹など神仏融和策もありました。お上が信仰を敝衣(ふるぎ)のように捨てても、民衆は捨てられないのです。

*失われた銅鐸桃種信仰
 素人考えですが、太古以来信仰された三輪山の麓に先着した「原纏向」氏族は氏神に銅鐸と桃種を奉納したと思います。

 新来氏族はこれを克服し、礼物を廃棄し大型建物を造成した後、時を経て引き潮の如く去ったと見ます。

 このような、少数の支配者の栄枯盛衰・進入退出があっても、民の情感は不変だったので三輪山信仰は今日も続いています。

*熟成の時
 桃種廃棄の成り行きを推定すると、新来の民が、桃種を廃棄し地鎮した後に、いきなり大型建物造成が始まった筈もなく、まずは小振りの営みがあり、所要技術の育成と資源の貯え、支配力の広域展開を経て、数世代の後に、必要な「国力」を熟成させて、始めて大型建物の造成が開始したものと思うのです。
 そのような「熟成」に何世代かかったかは、知るすべもありません。

*建物の不首尾
 と言うことで、桃祭礼と大型建物群造成が大略一致するとの安直な仮説は、学説として随分検討不足で、根拠薄弱に思われます。

                             未完

新・私の本棚 番外 NHKスペシャル 「“邪馬台国”を掘る」 1/4 改

                               2019/01/25 追記 2021/01/03

 番組放送年 2011年 NHKオンデマンドサービス(有料)で視聴可能
   私の見立て★★★★☆ 必見の古典

□番組詳細
 邪馬台国、卑弥呼という名の女王が君臨した3世紀の王国である。九州と近畿で所在地を巡る本格的な論争から100年目の2009年(平成21年)、奈良県の纒向(まきむく)遺跡で卑弥呼の王宮といわれる巨大な建物群が発掘され邪馬台国の最有力地になる。翌年、さらに発掘調査が行われ、連合国家を示す土器や人為的に破壊された銅鐸、そして2700個を超える桃の種が出土。日本古代史最大の謎に挑んだ発掘調査に密着した。
語り:三宅民夫      この動画・静止画の番組放送年 2011年

*総評
 当番組は、纏向遺跡の最新成果を中心に堅実に構成しています。最近のNHK古代史番組が、見てくれのだまし絵と素人の放言に毒されているように見えかねないのと違い、実戦研究者の本音に近い発言が聞けるのが貴重です。

 但し、全体に、物々しい「日本古代史最大の謎」に対して、纏向当事者が「我田引水」を天下に誇示したいという気負いが、ありありと見えます。

 以下は、貴重な番組に敬意を表しつつあえて批判を加えたものです。

*桃種出現
 番組中盤のやや後で、後年、厄介な年代鑑定騒動を起こす桃種遺物の出現情景が見えますが、見る限り、土器破片と同様に、掘り下げた穴の中に散らばっていて、貴重な礼物を纏めて埋蔵したとは見えないのです。

 どうも、封泥や金印のような、トップ指示の賞金、昇進ものの「大発見」にばかり気が行って、想定外の桃種は、迷惑なゴミとしか見えなかった感じです。トップに厳命されても、あるいは、使命感を感じていても、考古学の発掘で、山師根性は動機不順ではないでしょうか。

 山師根性のせいか、厄介者としか見えなかった桃種の埋蔵状況の記録・保存は、等閑だったようです。

 もちろん、全体を冷凍凍結させて、丸ごと取り出して冷凍保存しておけば、上下、左右の配置が保存される上に、各標本の周辺の泥が特定できるので、発掘手順として完璧でしょうが、それは結果論と言うべきで、せめて、層別に取り出して、三次元の配置を記録しておけば、いらぬ詮索をうけなかったことでしょう。

 少なくとも、ごっそり掘り出して、いきなり散水ホースで水洗いする前に、一々付番した上で、個別に精査し台帳記録すべきだったと感じます。先ほど書いたように、当出土物については、後年、年代鑑定騒動が起こっていますが、適切な標本管理がされていないものを、厖大な国費を費やして精密鑑定にかけるのは、一種の錯誤と感じさせます。

*情報隠蔽疑惑
 ちなみに、安本美典氏によれば、桃種は、吉備地域で同等ないしはそれ以上の出土が報告されていて、数は決定的な議論にならないという事です。また、大型建物についても、奈良界隈では最大であっても、九州北部に至る「日本列島」では、安直に最大とは言い切れないような感じます。というものの、当時、全国放送などの報道はなかったので、誰も、建物を比較測量して、番付発表していなかったでしょうから、「天下」最大最高と言っても、名声を博するのは、ほんの隣近所に過ぎなかったと思われるのです。

 纏向帝都の広報担当は、「日本列島」などと誇大に謳いつつ、自説に不都合な事実は隠蔽するのでしょうか。そして、天下のNHKが、情報の裏を押さえないのは、大変不都合です。

*桃種雑談
 大量の桃種が出土したのは、遺跡建物成立の前世紀から特定の祭礼が行われていたように見えます。年百個なら三十年間の集積となります。

 なにしろ一回限りの祭礼の消費とすると、果樹栽培はどうしたか、どこに桃園を設けたのか、果実貯蔵か桃種貯蔵か、となります。
 その日に備えて数百本分を確保するには、担当役を任命し、人数を割り当てるのが必須ですが記録はないのでしょうか。

                             未完

新・私の本棚 旺向栄 「中国の研究者の見た邪馬台国」 3/3 改

                          2019/01/14 追記 2021/01/03
   同成社 2007年12月

 私の見立て ★★★☆☆ 有力・力作 但し難点多々

*見当違い
 例えば、倭人伝の記録した倭状勢は、初回魏使か、後年派遣された顧問の見聞を、「魏略」魚豢や「魏志」陳寿が記述したとしていますが、両者は、編者であって著者ではないのです。つまり、原資料の再録であり、いわば時代と万里の道里を隔てた伝聞記録なのです。

*不見識
 以下、「三世紀の日本は、弥生時代後期」としますが、三世紀当時「日本」はなかったし、「弥生時代」という呼称も「後期」という区分も、後世人の勝手な当てはめです。当時として避けがたい、大幅な地域差、時間(年月)差もあり、このような荒っぽい当てはめは、乱暴です。氏ほどの見識の持ち主が、外部情報の『史料批判』を怠って、受け売りに終始しているのは、一種、勿体ないものがあります。

 まして、当時の文書記録は、倭人伝以外にないので、倭人伝を勝手に書き換えた後世概念の勝手な当てはめで議論するのは、厳しく自制すべきでしょう。

 氏が、いくら、「日本」の世に流布しているとは言え、検証無しに見習って、勝手な時代区分を勝手に当てはめた上で、「倭人伝に書かれた世相は、弥生時代中後期の世相である」と無邪気に断定しているから、その罪は途方もなく深いのです。
 氏に、日本固有の古代学用語である弥生時代前中後期の西暦準拠の安易な時代比定が検証できるはずがなく、何と言おうが、裏付けのない、見てきたようななんとやらであり、これが「実証」とは、とても、とても思えません。

*当て外れ

 続いて、氏は、太古以来先進であった「九州地方が、弥生時代中後期になって衰退した」と、高みの見台から断罪していますが、「実証」として援用されているのは(存在し得ない)文献資料でなく、神がかりにも似た、つまり、検証不可能な古代人口推計表や宇宙から見おろした表面的な、つまり、起伏や高低差の見えない地形概評です。氏が、ご自身の目で検証しているものとは思えません。要するに、程度の低い資料の受け売りに終始しているのです。「先進」とは、文化の「先進性」であり、地理が変わらない限り、興隆も衰退もしないのです。因みに、中国史で太古とは、夏殷周時代であり、「九州」地方に関して、そのような太古の記事・記録は存在しないのです。

 前者の年代比定は、同時代記録がない以上、大変不確か、というか、一種の妄想であり、所詮漠たる推計に過ぎないから、「実証」などできないのは、自明です。
 地形概評で、九州北部を酷評して切り捨てると、返す刀で近畿は奈良盆地を中心とする平野地帯と激賞していますが、よほどできの悪い参考資料に依存してしまったようです。誤解に基づく砂上楼閣で、「奈良盆地」なる井戸の中しか見ていない太っ腹の蛙である「郷土史家」の食い物にされていて痛々しいものがあります。

 少なくとも、広く資料を求めればすぐわかるように、当時の奈良盆地は、遥かな後世、ぐるっと「近畿」と呼ばれるようになったとはいえ、盆地西方の堆積・形成途中の河内「平野」との間を、生駒山系によって劃然と隔離、隔絶され、盆地中南部は遅々として古代湖水の排水が進まず湖沼の残った泥濘であり、氏が現代資料から夢想する沃野千里ではなかったのです。何しろ、低地に「道路」は整備できず、水田整備も、遅々として進まなかったでしょうから、盆地内古代遺跡は、分散していたのです。(「貧しかった」から、侵略者がやってこなかったのです)氏の助言者は、甘めに見ても、二、三世紀、時代を見損なっているのではないでしょうか。

 倭人伝当時の奈良盆地に関する文書記録は、皆無です。考古学の呈する見解は、はるか後世に策定された史書を除けば、遺跡、遺物の観察に基づく憶測の塊であり、憶測から生じた願望はうずたかくても、確たる論考は見当たらず、確立された文書資料である倭人伝の検証に採用することはできる筈がありません。

 とにかく、奈良盆地という周囲から隔離された壺中天を、近畿の平野地帯の中核と見るのは、どんな助言を得たものか、助言の検証を怠ったのであり、言い訳の付きにくい不始末です。

*総評再び
 氏は、日本で流布の軽薄な歴史書の表層をつまんで「実証」と錯覚していますが、三世紀に顕在化したとする九州北部衰退は証されていないのです。思うに、氏は、「関連学問」が厳密に年代比定されていなくて、各論者が、「勝手に」持論に適した時代に関連付けている事に気づいていないのです。
 返す返すも、氏が入手した誤解だらけの国内諸史量を、誰かが検証しなかったのが、いたましいのです。中国側の資料の解読については、中国人古代史学者の学識が生かされるとしても、本書の大半を占める『国内』史料の解釈は、中国人にとって、異国、異文化の産物であり、著者が中国人であることが、災いしているように思われます。

*書名の傲慢
 氏の著書の題名を見て、一般人は、氏の中国文解釈が、日本人の勝手な読み、つまり、誤解誤訳を駆逐して正確な文献批判をもたらすと大いに期待しますが、実は、日本人学者の不正確な「実証」を丸呑みにしていることに、大いに失望するのです。

 またひとり、毛色の変わった井蛙が登場しただけであり、見当違いの逆夜郎自大なのです。氏の健在な内に、率直な批判を届けられなかったのは、大変残念ですが、それは、今や是正できないのです。

                               以上

新・私の本棚 旺向栄 「中国の研究者の見た邪馬台国」 2/3 改

                          2019/01/14 追記 2021/01/03
   同成社 2007年12月
 私の見立て ★★★☆☆ 有力・力作 但し難点多々

*後漢書多難
 氏自身が認めるように、臺と壹は互いに間違えられていました。笵曄後漢書は、編者の刑死後、宋朝(南朝劉宋)に大逆犯の書として忌避されて密かに私蔵されていたので、早い段階に素人写本につきものの誤写があって、それが、唐、五代期に他史料に伝わった可能性もあります。誤写ごっこです。所詮、誤写論は当て推量で決め手にならないのです。

 後漢書不信論は、古田氏の信条に反するから、古田氏自身は一切唱えませんでしたが、当方のような素人が、世上、倭人伝にたっぷり浴びせられる理不尽とも見える不信論の数々を見ると、多少は、後漢書の信頼性に批判を浴びせても、もっともではないかと思うものです。

 最後に、魏代、三国志の用例を残さず検討して、『「臺」の文字は、貢献した魏朝に於いて、特別扱いされていたから、蛮夷国名に使わなかったと判断すべきである』と言う古田氏の名分論が残るものの、とにかく、この件に対する異論は、聞く耳を持たない、という感じでは議論になりません。実際、三国志の普通名詞としての用例では、それぞれ、物々しい用語であり、蕃夷の国名に起用できるような気楽な文字ではないのは、明らかです。

*仁義の世界か

 と言うものの、日本の古代史学界の客分であった氏は、仁義の上からも、学会定説に従属し、古田氏の論に与することはできなかったと思われます。もったいないことです。中国古文知識が該博でも、日本文献解釈が的外れでは正しい判断から遠ざかっています。

*大いなる錯誤
 第三篇1.「弥生時代後期の日本」の信条(Credo)には、同意しかねます。

 いきなり、「歴史には自らの規制があり、ありもしないことを捏造したり、勝手な比定や仮定をすることはできない。」と意味不明の字句を掲げていますが、それが、本当に氏の信条宣言なら返品させて頂くのです。

 「歴史」なる主語に、どんな人格があるのか正体不明であり、正体不明の人格「自らの」規制など「おととい来い」です。

 続く発言は、当然に聞こえても、「ありもしないこと」と「あったかも知れないこと」は、どうして区別できるのか困惑します。

 さらに、「勝手な比定や仮定」と言うも、論者は、自分に都合の良い「勝手な」仮説を立てなければ何も論じられません。氏は、自分に対してその試練を与えないのでしょうか。献身する相手を間違えたと見えます。

 以上は、あるいは、氏の真意ではなく、誤訳の産物かも知れないのですが、不満を持っていく先は、著者しかないのです。

*非正当的史学観
 続いて、文献検討より、考古学、民俗学、言語学、及びそのほかの関連学問の研究を重視すると言いますが、中国史学は、文献史学が根本であり、関連学問は、近代になって、つまり、清朝亡国後、日本を経由して到来した西洋文明に影響されて派生したものでしかないのです。

 派生が根本を乗り越えるなどは、何かの勘違いでしょうか。

 まして、近年浮上してきた「実証」面の検討は、十分な検証、試練を経ていないから、文献史料の傍らに席を得るに過ぎないのです。
 そもそも、史学の対象は、遥か昔に生起していまは存在しないことで、後世である現在からは、遙かに偲ぶことしかできないから、実証など虚妄なのです。
 以上のような不合理な先入観から書かれている著作は、残念ながら、人文科学の書ではないから、読まない方がましであると言われそうである。
                                     未完   

新・私の本棚 旺向栄 「中国の研究者の見た邪馬台国」 1/3 改

                          2019/01/14 追記 2021/01/03
   同成社 2007年12月
 私の見立て ★★★☆☆ 有力・力作 但し難点多々

□総評
 第一印象が悪いが、見てくれは辛抱しても、内容不備は救いがないのです。

*不体裁
 氏の著書は、傷ましいものです。氏の責任ではないのですが、時代錯誤の横組書籍となっていて、大変見苦しいのです。加えて、記事に多桁算用数字が用いられていて、これも、深刻な時代錯誤です。古代中国に、算用数字はなかったし、ゼロもなかったし、横書き文書もなかったのです。中国では、時代相応の縦組み、漢数字は、廃棄されたということでしょうか。これでは、氏の見識が根底から覆ります。こうした基本的な事項がなおざりにされていては、肝心の論考に疑念を生じても当然ではないでしょうか。門前払いものです。

 こうした点は、出版社編集部が配慮すべき事項です。
 関連書籍が、揃って縦書きなのに、この資料だけそっぽを向いて、本来の意味で言う「違和感」です。

*定説馴致の不審
 種々の提言に、「日本」古代史の知識欠如による誤解が目立ちます。

 倭人伝が中国正史の一部なので、中国人が正解を示すべきとの気負いでもないのでしょうが、「中国の研究者の見た」とは力みすぎです。「自信があるときほど謙虚にすべき」とすれば「一中国研究者の見た」としておく所です。

 近年、別の華流の方に同様の昂ぶった物言いが見られて、顰蹙に近い不評を感じているので、もし間に合っていたら、助言するところです。

 いや、氏は、もちろん日本で教育を受けたわけではなく、「文化」大革命で毀損された古典文化学習の上に、親日的態度を示すと弾圧された時代を過ごしているから無理も無いのでしょうが、日本古代史に関して初学者に近かったものと考えます。

 また、成人後も、日本在住でないから「国内」史料の不確かさを知る由もないでしょうが、助言者の選択を誤ったのか、助言者が不出来だったとしか言いようがないのです。その結果、氏の見解が、国内の俗説に災いされているとして、誰に責めが行くのでしょうか。要は、著者の責任なのです。

*各論にして主題
 その証拠に、古田武彦氏が「原点に返れ」(Back to the Basics)とばかり、『倭人伝論は、現存刊本に書かれている「邪馬壹国」から再出発すべきだ』とした、まことに筋の通った議論を「反対論者が教条主義的と捉えて攻撃した」のにならってか、「古田氏の論は、一時的に一般人まで含めた広い範囲の興味を引いたが、邪馬台国に関する学術的な議論に何も齎さなかった」と、意地悪く断言しています。大変高邁なご意見ですが、遙か彼方の中国本土にいながら、国内の学会動向を知悉した御卓見なのか、誰か反対論者の受け売りなのか、なんとも不審です。

 と言うものの、古田氏の提言が、学会一般の惰眠を破った功績は認めているので、これは、「春秋の筆法」かとも思われますが、氏の真意はもはや知ることができないのです。

*おとぼけの後漢書談義

 特に、『「宋本より早い後漢書」に邪馬台国とある』のを決め手とするのは、おとぼけか、氏ほどの碩学には不自然です。三国志は宋代刊本が最古の資料ですが、後漢書も同様で、范曄原本どころか、宋代の刊本事業以前の古写本がが残っていないのは、周知、自明です。ちょっと考えれば筋違いとわかる見解を述べ立てるのは、何か、悪いものでも食べたのでしょうか。

                                未完

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