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2021年1月 3日 (日)

新・私の本棚 旺向栄 「中国の研究者の見た邪馬台国」 3/3 改

                          2019/01/14 追記 2021/01/03
   同成社 2007年12月

 私の見立て ★★★☆☆ 有力・力作 但し難点多々

*見当違い
 例えば、倭人伝の記録した倭状勢は、初回魏使か、後年派遣された顧問の見聞を、「魏略」魚豢や「魏志」陳寿が記述したとしていますが、両者は、編者であって著者ではないのです。つまり、原資料の再録であり、いわば時代と万里の道里を隔てた伝聞記録なのです。

*不見識
 以下、「三世紀の日本は、弥生時代後期」としますが、三世紀当時「日本」はなかったし、「弥生時代」という呼称も「後期」という区分も、後世人の勝手な当てはめです。当時として避けがたい、大幅な地域差、時間(年月)差もあり、このような荒っぽい当てはめは、乱暴です。氏ほどの見識の持ち主が、外部情報の『史料批判』を怠って、受け売りに終始しているのは、一種、勿体ないものがあります。

 まして、当時の文書記録は、倭人伝以外にないので、倭人伝を勝手に書き換えた後世概念の勝手な当てはめで議論するのは、厳しく自制すべきでしょう。

 氏が、いくら、「日本」の世に流布しているとは言え、検証無しに見習って、勝手な時代区分を勝手に当てはめた上で、「倭人伝に書かれた世相は、弥生時代中後期の世相である」と無邪気に断定しているから、その罪は途方もなく深いのです。
 氏に、日本固有の古代学用語である弥生時代前中後期の西暦準拠の安易な時代比定が検証できるはずがなく、何と言おうが、裏付けのない、見てきたようななんとやらであり、これが「実証」とは、とても、とても思えません。

*当て外れ

 続いて、氏は、太古以来先進であった「九州地方が、弥生時代中後期になって衰退した」と、高みの見台から断罪していますが、「実証」として援用されているのは(存在し得ない)文献資料でなく、神がかりにも似た、つまり、検証不可能な古代人口推計表や宇宙から見おろした表面的な、つまり、起伏や高低差の見えない地形概評です。氏が、ご自身の目で検証しているものとは思えません。要するに、程度の低い資料の受け売りに終始しているのです。「先進」とは、文化の「先進性」であり、地理が変わらない限り、興隆も衰退もしないのです。因みに、中国史で太古とは、夏殷周時代であり、「九州」地方に関して、そのような太古の記事・記録は存在しないのです。

 前者の年代比定は、同時代記録がない以上、大変不確か、というか、一種の妄想であり、所詮漠たる推計に過ぎないから、「実証」などできないのは、自明です。
 地形概評で、九州北部を酷評して切り捨てると、返す刀で近畿は奈良盆地を中心とする平野地帯と激賞していますが、よほどできの悪い参考資料に依存してしまったようです。誤解に基づく砂上楼閣で、「奈良盆地」なる井戸の中しか見ていない太っ腹の蛙である「郷土史家」の食い物にされていて痛々しいものがあります。

 少なくとも、広く資料を求めればすぐわかるように、当時の奈良盆地は、遥かな後世、ぐるっと「近畿」と呼ばれるようになったとはいえ、盆地西方の堆積・形成途中の河内「平野」との間を、生駒山系によって劃然と隔離、隔絶され、盆地中南部は遅々として古代湖水の排水が進まず湖沼の残った泥濘であり、氏が現代資料から夢想する沃野千里ではなかったのです。何しろ、低地に「道路」は整備できず、水田整備も、遅々として進まなかったでしょうから、盆地内古代遺跡は、分散していたのです。(「貧しかった」から、侵略者がやってこなかったのです)氏の助言者は、甘めに見ても、二、三世紀、時代を見損なっているのではないでしょうか。

 倭人伝当時の奈良盆地に関する文書記録は、皆無です。考古学の呈する見解は、はるか後世に策定された史書を除けば、遺跡、遺物の観察に基づく憶測の塊であり、憶測から生じた願望はうずたかくても、確たる論考は見当たらず、確立された文書資料である倭人伝の検証に採用することはできる筈がありません。

 とにかく、奈良盆地という周囲から隔離された壺中天を、近畿の平野地帯の中核と見るのは、どんな助言を得たものか、助言の検証を怠ったのであり、言い訳の付きにくい不始末です。

*総評再び
 氏は、日本で流布の軽薄な歴史書の表層をつまんで「実証」と錯覚していますが、三世紀に顕在化したとする九州北部衰退は証されていないのです。思うに、氏は、「関連学問」が厳密に年代比定されていなくて、各論者が、「勝手に」持論に適した時代に関連付けている事に気づいていないのです。
 返す返すも、氏が入手した誤解だらけの国内諸史量を、誰かが検証しなかったのが、いたましいのです。中国側の資料の解読については、中国人古代史学者の学識が生かされるとしても、本書の大半を占める『国内』史料の解釈は、中国人にとって、異国、異文化の産物であり、著者が中国人であることが、災いしているように思われます。

*書名の傲慢
 氏の著書の題名を見て、一般人は、氏の中国文解釈が、日本人の勝手な読み、つまり、誤解誤訳を駆逐して正確な文献批判をもたらすと大いに期待しますが、実は、日本人学者の不正確な「実証」を丸呑みにしていることに、大いに失望するのです。

 またひとり、毛色の変わった井蛙が登場しただけであり、見当違いの逆夜郎自大なのです。氏の健在な内に、率直な批判を届けられなかったのは、大変残念ですが、それは、今や是正できないのです。

                               以上

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