新・私の本棚 伊藤雅文 邪馬台国は熊本にあった! 2/7 改
扶桑社新書 219 2016年9月刊 2019/03/17 一部改訂 2021/03/30
*壮大な抱負
氏は、次の三原則を抱負として打ち出しています。
倭人伝の『「邪馬台国」位置研究』へのアプローチ法として、次の三つを念頭に置いて「魏志倭人伝」の解読に臨みたい。
㈠ 基本的に「魏志倭人伝」の記述は正しいと考え、安易な読替えは行わない。
㈡ 推論の根拠はできる限り「魏志倭人伝」の記述の中に求める。
㈢ 考古学的成果を、予断を以て「魏志倭人伝」記述と関連づけることは避ける。
*発進脱輪
但し、忽ち『「魏志倭人伝」後世改ざん説』を提唱し、先のアプローチとの齟齬への批判の言い訳に「自身に都合の良い読替え」を否定します。
つまり、アプローチと現実は別のようです。
一応三原則で始めても、一旦予断を形成したら、合わせて自己流「倭人伝」を構成するのは、首尾一貫していません。
帯に言う『邪馬台国の位置は「魏志倭人伝」に正確に書き記されていた!』は、結局、我流倭人伝であり、通りがかりの読者には虚言です。
以上の点は、氏の基本的な執筆姿勢に反するものと考え、減点しています。
*残念な勘違い
倭人伝旅程記事の「ごく一般的な現代語訳」は、責任者不明です。
大は「邪馬台国」なる非倭人伝用語、小は諸処に軽率な誤訳、果ては、古代にない「ゼロ」整形多桁数字までてんこ盛りで、不適切な代物です。
現代語で示す概念は三世紀に存在しなかったので、現代語訳は意味がないのです。
*誤訳が呼んだ進路錯覚
結局、訳者不明の現代語訳の勝手な解釈が、伊藤氏の方針選定を誤らせたと見えます。最終旅程「南に水行十日、陸行一ヵ月で、女王の都である邪馬台国に至る」は、ごく一般的な誤訳です。
文章明快な現代語訳が読み解けないのは、誤訳の可能性が最も高いのです。
氏の漢文は「南至邪馬台国」ですが、現行刊本は「南至邪馬壹國」です。倭人伝に「邪馬台国」がないのは、初学者にも周知の事実です。
ついでながら後ほど出る「原本(陳寿のオリジナル文)」なる意味不明の語句も困ったものです。陳寿は、三国志を盗用や複写でなくオリジナルな著作物として書いたのです。とは言え、倭人伝「陳寿原本」はとうに消滅していて、それが自然の摂理というものです。
*旅程の終わりの始まり
できるだけ原文の語順を保てば「南して邪馬壹国に至る。女王が都するところである。水行十日、陸行一月である」と読みくだすことができます。
ここで、出発点を伊都、不弥、投馬のいずれと解釈しても、仮説であり断定できません。
また、水行陸行日数計四十日が、どこから倭都への日数と解釈しても、それは、仮説であって断定はできません。
〇新たな読みの提案 2021/03/30
因みに、20211年3月現在の解釈では、「南して邪馬壹国に至る。女王のところである。都(すべて)水行十日、陸行一月である」に落ち着いていますが、これは、まだ浸透していない読みなので、提言にとどめます。
未完
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