« 新・私の本棚 伊藤雅文 邪馬台国は熊本にあった! 2/7 改 | トップページ | 新・私の本棚 伊藤雅文 邪馬台国は熊本にあった! 4/7 改 »

2021年3月30日 (火)

新・私の本棚 伊藤雅文 邪馬台国は熊本にあった! 3/7 改

 扶桑社新書 219   2016年9月刊     2019/03/17 一部改訂 2021/03/30

*速断の咎め
 以上は、僅かな字数ですが、編者陳寿がどんな意味を込めたか、勝手に決めるべきではないと考えます。

 自己流解釈で明快な現地図を描けないなら、まずは、その解釈を疑うべきでしょう。凡そ、いかなる分野でも、新説の九十九㌫はジャンク、錯覚です。

 最初の一歩の選択に無記名現代語訳を持ち出し、読者に対する説明無しに史料改竄しているのは、氏の原則に背いていて同意できません。

 まずは、原文表示から「邪馬台国」を外し、ちゃんと読者に向かって理由付けした上で、自己流解釈と置き換えるべきではないでしょうか。

*選択肢の明記
 また、旅程解釈で強引な議論を展開する前に、課題の部分で、伊都国から倭へ「南」する読み方も、「水行陸行」を郡以南の総日数と見る読み方も、説明無しに排除せず、審議した上で却下理由を説明すべきと思います。

 不採用仮説は、別に否定も排除も必要なく、単に氏が採用しない仮説であることが示されていれば、読者に、氏の意図が適確に伝わるのです。

 以上、是非、ご一考いただきたいものです。

*不用意な比喩

 氏は、郡から倭までの行程記事に里数と日数が混在するという「予断」を採用したため、まことに不出来な比喩を上程しています。

 軽率な比喩で、東京大阪間の旅程で、名古屋まで里数表記、名古屋から日数表記と不統一では「違和感」を生じると強弁していますが、このような感情論を持ち出すのは、氏が時代錯誤の旅程感に染まっているからです。

 万事如意の現代は忘れて、江戸時代の東海道道中を見れば、お江戸日本橋から名古屋まで、渡し舟などを「はした」として除けば「陸行」で里数がありますが、名古屋から桑名は渡し舟で里数は無意味です。
 以下、桑名から西して、京に至る旅程は里数が明記できます。南は、お伊勢さん、さらに、西には、やや南寄りなから大和路、難波路もあります。
 このように放射的に書くのは、別に、
桑名が国都だったからではありません。交通の要路、分岐点だったからです。

 このように、行程の実質が大きく異なれば、統一できないのは当然で、それを違和感として感覚的に拒否するのは現代人の我が儘というものです。

 三世紀旅程が、氏に違和感(水に油が浮いている様子か)を生じる背景には、当時、最高の知性が、長期間呻吟の上で、そう書くのを最善と判断した事情があり、現代視点を忘れて、同時代視点の、論理的で慎重な考察が必要と考えます。

 但し、当方は、氏の里数日数混在読みを支持しているのではないのです。

*公正ならざる両説評価

 好ましくないことに、「連続説」「放射説」の比較評価が、本来、旅程出発点の話題なのに後回しにされています。

 氏は、既に予断を固めていて、放射説起点を伊都とし、倭へ計四十日とした時、違和感、疑問など、解決できない「矛盾」が多いと感じたことを根拠に「連続説」を採用します。

 早計で、予め選択肢を狭めているのは、適切な手順では無いと考えます。

                               未完

« 新・私の本棚 伊藤雅文 邪馬台国は熊本にあった! 2/7 改 | トップページ | 新・私の本棚 伊藤雅文 邪馬台国は熊本にあった! 4/7 改 »

倭人伝随想」カテゴリの記事

新・私の本棚」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新・私の本棚 伊藤雅文 邪馬台国は熊本にあった! 3/7 改:

« 新・私の本棚 伊藤雅文 邪馬台国は熊本にあった! 2/7 改 | トップページ | 新・私の本棚 伊藤雅文 邪馬台国は熊本にあった! 4/7 改 »

お気に入ったらブログランキングに投票してください


いいと思ったら ブログ村に投票してください

2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

カテゴリー

無料ブログはココログ