魏志天問 1 東治之山~見落とされた史蹟の由来 再掲 2/4
2013/12/22 再掲 2021/03/12
〇應劭「漢官儀」[承前]
應劭「漢官儀」は、後漢最後の皇帝劉協(献帝)が、帝都洛陽から強引に拉致された長安から東還し、曹操の保護下に許に宮廷を再現しようとしたとき、王朝を構成する高官の官位と位置付け、宮廷儀礼の内容などを示す資料が、散逸していたため、代々高官で儀礼に通じていた應劭が、関連資料を渉猟して集約し、上申したものと言うことです。
後漢末期、(三国志演義の超悪役で)有名な董卓の暴政で、帝都洛陽は破壊されて、皇帝以下の洛陽住民が、前漢末、新朝の廃絶後の後漢朝洛陽遷都により、廃都として200年近く残骸放置されて荒れ野原となっていた長安への移動を強制されたことから、後漢朝宮廷の書庫は大半が放置、廃棄され、宮廷要員の多くは、強制移動を免れても、追放か、逃散かしていたものです。
應劭が献帝に漢官儀を献呈した時は、全10巻構成であったようですが、戦乱などの影響で散逸し、あるいは、短縮版が横行して混乱していたものを、後世になって再構成したものが、「漢官六種」などに収録されています。
ここで確認した應劭「漢官儀」は、上下二巻が収録されていて、中国語素人の目では当該記事の場所を探すのに大変苦労しましたが、上巻に記載されています。なお、記載内容は、太平御覧に引用の通りです。
未完
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