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2021年3月30日 (火)

新・私の本棚 伊藤雅文 邪馬台国は熊本にあった! 4/7 改

 扶桑社新書 219   2016年9月刊     2019/03/17 一部改訂 2021/03/30

*「連続説」のつけ
 一応の根拠は示したものの、以下の進行で「連続説」に不合理な難点が多いのが露呈しているので、現代感覚頼りの決めつけは早計かと愚考します。

 氏は、以下、不弥ー投馬ー倭都間旅程の高度な解析にかかります。
 「連続説」では、肝心な二区間が壮大な日数表示の上に、長期の水行が含まれ、明快な解析ができないのですが、これは、「違和感」「疑問」などと、個人の感性に左右されるものではないからで、数式解法の不備などではないのです。

□改ざん説長談義

 と言うことで、氏は、本来明快な筈の現代語文倭人伝の旅程記事を自己流解釈で解読できなかったため、記事が不明瞭な原因は、陳寿が書いた明快な記事が、現行記事にすり替えられたものと断じています。大変な転換点なので、少し手間をかけて審議します。

 氏は、倭までの最終旅程が水行陸行四十日だけで道里不明との理解に立ち、書かれていない水行、陸行の速度を捻出して、その計算に合う里数記事を「創造」したものです。氏は、本来の記事を復元したものと見ていますが、そのような記事は、痕跡すら残っていません。倭人伝「伊藤本」とでも称すべきであり、氏の創造物です。(現代の著作物なので、著作権が発生しています)

 要するに、氏は、氏の見た倭人伝里程記事の「解読困難」を「後世改ざん」の帰結と早合点し、「なかった原型の復原」という、史料に根拠がなく仮説になれない、解答とは一切言えないロマン、夢想に取り憑かれたと見えます。

 この行き方は、氏自身が冒頭で提示した原則に、真っ向から違反しています。

*三国志原本の旅程
 三国志は、陳寿没後程なく、いち早く晋の帝室書庫に収蔵されました。陳寿は上程用に脱稿していたので、未完成でなく決定版でした。

 そして、晋朝の権威の根拠として尊重され、後に「正史」として権威づけられる史記、漢書の二史に続く第三の史書として重視されたのです。

 晋を継いだ劉宋の裴松之が、皇帝指示により、付注した際に異本を校勘して帝室原本を刷新した決定版としたこともあって、裴注版三国志は広く出回り、その直後に改竄版を流布させるなど不可能です。

 以後、北宋に至る各王朝で連綿として帝室貴重書として厳格に原本管理され、北宋、南宋刊刻時の大規模校勘もあって、原本のすり替えなどできなかったと見ます。世上言われるように、三国志は、版による異同が少なく、安定しているのです。

 北宋刊刻時、「三史」の掉尾として重要視された「後漢書」は、劉宋当時に編纂されたものの、編者范曄が謀反大罪で継嗣と共に処刑されて、南朝亡国後、唐代に正史とされるまで低迷しました。
 これに対して、後漢書が三史の地位を得た後は、正史として四位以降の「その他」に回されたものの、三国志の評価は依然として高かったのです。

                               未完

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