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2021年4月

2021年4月24日 (土)

今日の躓き石 NHKBSスポーツ放送の堕落~「リベンジ」連呼の醜態

                           2021/04/23

 今回の題材は、NHKBSの番組本体でなく、番組予告の絶叫なのだが、今回は、MLB,バスケと相次いでの失態の「リベンジ」連発で、大変聞き苦しかった。バスケの方は、前々から口汚いのに呆れていたのだが、どんな汚い言葉でも、しょっちゅう口に出せば、世間があきらめると思っているのか、そういう中毒脳になっているのか、今回は立て続けだったので、MLBと束ねて手を上げたのである。

 いや、米語の生きた、つまり、汚い言葉を持ち込んで、どこが悪いかと言われそうだが、アメリカは、文明国であり、キリスト教倫理観の国であり、言葉のモラルがあり、言ってはいけない言葉、言うと軽蔑される言葉は、幾つかある。多分、知らないのだろうが、どうか、ガキ言葉を卒業して、大人言葉になって欲しいものである。せめて、全国放送しないで欲しいのである。こどもたちが真似するのである。大人もである。

 それにしても、NHKは、広く、漏れなく受信料を取り立てて経営しているのに、一部とは言え、心ある視聴者が強く反発する汚い言葉を、なぜ、(「無くそう」と言いたいのを我慢して、無理難題は言わず、せめて)減らそうとしないのだろうか。放送の品格、基準はないのだろうか。

 いや、野球シーズン開幕で、見る機会が増えているMLB番組で、元プロ野球選手が「ナイター」とか「セットアッパー」とか、程度の低いカタカナ語を繰り出しているのは気にしていたが、台本を読んでいるわけではないので、脳内のバツの悪い言葉が出てくることもあるかと思って、聞き流しているのである。多分、毎回反省会をして、再発防止していると信じているのである。

 それにしても、NHKBSは、最高峰の言葉が聞ける番組作りをしているのではないだろうか。少なくとも、最高峰のプロスポーツを語る番組では、その場限りの現地実況アナウンサーの真似で、変な、汚い言葉を広げないで欲しいのである。(原語で、revengeと叫んでいるとは思えないのだが)これに比べれば、Golden Grabberなど、ガキのドジ言葉である。

以上

2021年4月23日 (金)

新・私の本棚 番外 NHK特集「シルクロード第2部」第十五集~キャラバンは西へ~ 余談

                           2021/02/03
〇NHKによる番組紹介
 NHK特集「シルクロード第2部」、第十五集は「キャラバンは西へ~再現・古代隊商の旅~」。内戦前だったシリアの人々の暮らしや世界遺産・パルミラ遺跡を紹介する。

古代の隊商はどのようにして砂漠を旅したのか。 隊商都市のパルミラまで、約200kmの道のりを、ラクダのキャラバンを組織し、古代人そのままの旅を再現する。いまは激しい内戦下にあるシリア。80年代、取材当時の人々の暮らしや、破壊された世界遺産・パルミラ遺跡の在りし日の姿がよみがえる。

〇中国世界の西の果て
 この回は、中国両漢代、つまり、漢書と後漢書の西域伝の限界を超えているので、本来、注文を付ける筋合いはないのだが、シリアの探査で、何の気なしに後漢甘英を取り上げているので、異議を唱える。

 つまり、後漢書に范曄が書いた「甘英は、西の果ての海辺で、前途遼遠を怖れて引き返した」との挿話を引いて、地中海岸かペルシャ湾岸か不明というものの、どうも、取材班は、目指す地中海岸を見ているようである。

 しかし、ここまで踏破してきた旅程を思えば、後漢代に、安息国との国交を求めた甘英が、既にメルブで使命を達成していながら、これほどの苛酷な長途を旅したとは思えなかったはずである。まして、当時、この行程は、西のローマとの紛争下、大安息国、パルティアの厳戒下にあり、地中海岸に達する前に、王都クテシフォンで国王に拝謁した記録すらないのに、王都を越えて敵地である地中海岸に達したはずがない。

*笵曄の誤報~幻想の始まり
 そもそも、後漢書で笵曄は、漢使は、安息国すら尋ねてないとの見解で、それは誤解としても、数千里彼方まで行ったとの誤解は、なぜなのだろうか。
 現代人の眼で見ても、安息国東部辺境メルブの西域は、北に延びた「大海」カスピ海とその西岸、「海西」と呼ばれた條支(アルメニア)止まりである。

 後漢書の西域世界像を描いた笵曄は、一旦、小安息の隣国條支の世界観を描きながら、なぜか、数千里に及ぶ大安息国の隣国として、遠国の條支(ローマ属領シリア)と西の海(地中海)を見てしまったのではないだろうか。

 さながら、砂漠の果ての蜃気楼に甘英の道の果てを見たようである。笵曄は、後漢書西域伝の名を借りて、事実に反する一大ファンタジーを描いたのだが、以後、今日に至るまで、不朽の傑作として信奉されているのである。

*甘英英傑談~孤独な私見
 以上は、世界の定説に背く孤独な令和新説だから、NHKの番組制作者が知らなくて当然だが、取材班が、後漢人甘英の足跡を辿っているように感じたとき、一切記録がないことに感慨はなかったのかと思うだけである。

 甘英は、漢武帝代に交渉がありながら、長年、接触が絶えていた西方万里の大国安息国との盟約を再現した功労者なのである。
 当ブログ筆者は、甘英の偉業を笵曄が創作で練り固めたために、偉業として正当に評価されないことに不満で、ここに書き遺すものである。

〇まとめ
 言うまでもなく、当シリーズは、NHKの不朽の偉業であり、以上は、それこそ、天上の満月を取ってこいと命ずるものだが、僭越にも不満を記したのである。

                                以上

2021年4月13日 (火)

今日の躓き石 囲碁界に怨念復讐の渦~毎日新聞の「リベンジ」蔓延拡大

〇蒸し返し御免
 今回の題材は、毎日新聞大阪夕刊芸能面のトップ記事である。何しろ。見出しの脇に「リベンジしたい」と、堂々と罰当たりな発言が引用されている。十日前の記事のコビー・ペーストでもないだろうが、こうしたことに創意を発揮してほしいものでもないので、当記事は、かなりの部分で蒸し返しである。
 何しろ、全国紙毎日新聞の看板の本因坊戦挑戦者決定記事の見出しであるから、毎日新聞の沽券に関わる、あるいは、主催紙の面目躍如たる報道であろう。

〇意味不明な見出しの不備
 それにしても「リベンジしたい」とは、一介の購読者には、何を言いたいのか意味不明である。
 「リベンジ」なるカタカナ言葉は、意味が揺らいでいて、原語の「revenge」を辞書で引いて「血の復讐」と理解する人もいるだろうし、現代風に「再挑戦」と読み飛ばす人もいるだろうが、今回の両記事の理解には役立たない。訳のわからない言葉で、世間を汚染するのが、毎日新聞のポリシーなのだろうか。

 こうして、二度に亘る不出来な記事に対して、編集部で、誰もダメ出ししなかったのが、まことに不思議である。ここでは、挑戦者はタイトル戦の舞台に立つことが確定しているから、「リベンジ」は、「再挑戦」の意味でなく「怨念復讐」という血なまぐさい言葉のように読める。
 それにしても、「リベンジしたい」とは、血の海に沈めてやり「たい」という「願望」なのだろうか。滅多に見かけない凄まじい言い方である。

 リベンジの害悪は別にして、ここは「したい」ではなく「する」ではないのだろうか。なぜ、誰でもわかる言い方をしないのだろうか。こんな所で、創意を発揮しても仕方ないのではないか。

 持って回った言い方をしなくても、挑戦する以上は、「是非とも勝ちたい」というのではないだろうか。いや、挑戦者もタイトル保持者も、負けたいと思うはずはないから、「勝ちたい」という思いは言うまでもないことなのである。挑戦者は、「結果にこだわらずに打てたら良い」などと、主体性のない、不出来な発言を引用されているから、記者がけしかけたのかも知れないが、「リベンジ」などと、読者がどう解釈したらいいのかわからない「暴言」は不要であり、単に「結果にこだわらずに打ちたい」と明言すれば、何のとがめ立てもあり得ないのである。
 是非、ご自分の発言が、記者の手で歪められたり、捏造されたりしないように、談話には注意いただきたいものである。

 それにしても、タイトル保持者の九連覇目を実現させた前期の敗退を、(自身の力不足と言わず)不当な屈辱と捉えて、今期は、仕返しでぶちのめしてやると言うのはどんな志(こころざし)なのか、大変不審である。普通、このような場合には、「雪辱」とか「仕返し」とか、言わないはずである。

 しつこいとがめ立てであるが、ここまで汚い言葉をことさらに目立たせていると、一言言わざるを得ないのである。毎日新聞には、こうした不適当な言葉に対する基準などないのだろうか。

〇 毎日新聞の談話捏造疑惑
 天下の毎日新聞が、引用している談話から見出しを起こしているから、挑戦者の発言の忠実な報道と見たいところであるが、毎日新聞には、悪しき疑惑が投げかけられている。

 今年の選抜高校野球の事前の報道で、一回戦で対戦すべき東海大関係の二校について、地元記者が地方版サイトで報道している記事の談話に一切ない「リベンジ」を、スポーツ面担当記者が「創造」した事例がある。
 恐らく、関係者に取材しようとしても、毎日新聞の記者には、時間をかけて説明したので、何度も同じ事を言えないと言うことで、十分な取材ができていないと思われるのである。最初から、紙面に何を書くか決めていて、問い詰めたのかも知れない。いずれにしろ、お粗末である。

 この前歴があるので、当記事の発言引用も、記者の勝手な決め込みかも知れないと見ざるを得ないのである。

 つまり、挑戦者の人格を疑わせるようなとんでもない不穏当な汚い言葉の発言を、担当記者が「創造」したのではないかという疑惑は消えないのである。

 何にしろ、この記事で見られる表現の混乱は、目を覆わせるものがある。挑戦者は、文章を全国紙紙面に掲載する訓練を一切されていないし、新聞社の基準に従う用語、言い回しをできていないかも知れないから、専門家たる上級記者が、最後の護り人になるべきではないのか。
 当記事を読者が目にしたとき、見出しの言葉は、挑戦者の品格を疑わせると受け取っても、担当記者の文責とは思わないのである。

〇 頂上決戦には頂上報道を
 「囲碁界の頂上決戦」には、相応しい頂上報道が望まれるのではないだろうか。人ごとながら、大変気がかりである。

〇 蛇足
 いや、正直なところ、今回の記事を何とか読み通して、挑戦者の発言を辿った所で、氏一流の独特の物言いに精一杯歩み寄っても、「何とか勝てるようにしたい」、と言う意味しか出てこない。
 見出しで異様な言葉をぶつけても、記事で解説しないのでは、挑戦者の深意は、到底理解されないのである。新聞報道としては、随分無責任ではないだろうか。

 本因坊をさん付けしかしないのも、挑戦者の世界観が、正統的なものとずれているのを物語っている。本因坊と挑戦者は、対等ではないのである。本因坊を呼ぶのに敬称略では、たまるまい。挑戦者は、「本因坊」は、ただの飾りだと思っているのだろうか。毎日新聞社は、四百年の伝統の重みを託している本因坊の価値を落とされて、それで主催紙として満足なのだろうか。そして、それでは、熱心な読者に失礼ではないのだろうか。

以上

2021年4月11日 (日)

今日の躓き石 ラグビー界に「リベンジマッチ」を蔓延させる毎日新聞の報道

                                   2021/04/11

 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊14版のスポーツ面、ラグビートップリーグ戦評である。

 これまで、野球界にほぼ限定されていた怨念復讐語がラグビー界に蔓延を見せたとも見える「リベンジマッチ」であるが、選手などの談話でなく、記事の地の文であるから、これは、記者が感染爆発を期したもののように見える。

 それにしても、ラグビー界は、独特の言い回しを好むようで、「リベンジマッチ」は、「マッチ」と言うだけで、「タイトルマッチ」「リターンマッチ」とは別世界で、昨シーズンに惨敗を喫した、いわば、格下の弱者が、事を「復讐談義」にしているが、普通は、このようなことを「雪辱」とは言わないものである。

 いや、これは、見当違いの方向に詰問しているのだろう。書かれているのは、ラグビー界の声でなく、記者が勝手に作り上げた「創作」なのだろう。そうでなければ、ラグビー界に、このような罰当たりな汚い言葉の感染、蔓延が存在していることになり、とても、微力の及ぶところではないのであり、ただ、時の勢いに恐れ入るしかないのである。

 それが、毎日新聞記者によって、傲慢な復讐譚に書き換えられてしまったのなら、何とも、気の毒である。知る限り、昨年の大敗の痛みは、「ノーサイド」によって、恨み言の対象ではなくなっていると思うのだが、素人考えは、間違っているのだろうか。
 ラグビーの「マッチ」で、報復行為は固く禁じられていると思うのだが、間違っているだろうか。

 と言うことで、昨年の敗者は、力不足を恥じて、黙々と鍛錬に励み、今度こそは、何とか勝負にしたいと思っていたと信じたいのである。毎日新聞の報道が、虚報であると主張するのは無謀であるが、それならそれで、なおさら引っこんではいられないのである。

 毎日新聞のスポーツ記者は、書いて出すだけで、紙面を飾る特権を持っているのに、大事な「ものの理屈」を学ぶことはないのだろうか。勿体ないことである。

以上

2021年4月 5日 (月)

私の意見 倭人伝「循海岸水行」審議 補追     1/1

〇はじめに
 倭人伝道里行程記事の冒頭に置かれた「循海岸水行」の追加審議です。

〇「循海岸水行」用例審議
 古田氏は、第一書『「邪馬台国」はなかった』ミネルヴァ書房版 174ページで、倭人伝「循海岸水行」の「循」の典拠として左氏伝 昭 23から用例を求め、「山に循て南す」の注で「山に依りて南行す」と解しています。「循」は「依る」または「沿う」と解した上で、幾つかの用例を三国志に求めて暫し詮索の後、「海岸に沿う」と解しています。

 氏の解釈は、陳寿が、敢えて「循」と書いた真意を解明していないことから、同意できませんが、それは別としても、旗頭とした古典典拠は、陳寿が依拠していた「左氏伝」ですから、「左氏伝」用例が妥当であれば、その一例を本命として絞るべきと考えます。

〇諸用例の参照
 魏志用例は、数稼ぎでもないでしょうが、用例の趣旨が明瞭でないので、揚げ足取りされるなど審議の邪魔になるだけで、まことに感心しないのです。但し、読者に対して公正な態度を示す意義はあるのかも知れません。とは言え、「枯れ木も山の賑わい」とは行かないのです。

 なお、当方は、以下のように、古田氏の「左氏伝」読解は、ずいぶん甘いと感じます。

〇字義の確認
 まず、「依」の字義は、白川静氏の辞書「字統」などの示すように「人」が「衣」を身に纏い、背に「衣」を背負っている様子を言います。
 ここで、山に「依る」は、山を「背負う」比喩と解されます。一方、「山」は、山嶺、山並みではなく弧峰ですから、山に「沿う」経路行程は想定しがたく、山を「背負って」進む行程と察するのです。

 当用例により語義解釈すると、倭人伝の「循海岸水行」の深意は、「海岸を背負って海を渡ることを水行という」と解して無理はないと思います。何しろ、史官たるものが、わざわざ「循」を起用したのには、格別の意義があると考えたものです。
 別稿で、「循」は、海の崖を盾にして、つまり、前方に立てて、行くものと解釈しましたが、趣旨というか進路方向は同様なので、一票賛成票を得たものと心強くしています。

 このように見ると、倭人伝では、「水行」は河川航行でなく、「渡海」を「水行」と明確に、但し厳密に限定的に「指定」(用語定義)しています。「倭人伝」の「指定」以下での限定です。つまり、倭人伝の道里行程記事で、「水行十日」は、狗邪韓国から末羅国までの渡海、計三千里なのです。水行一日三百里と、まことに明解です。

〇用語定義の必要性~私見
 誤解されると困るのですが、当ブログで辛抱強く説明しているように、古典的な用語定義に従うと、川であろうと海であろうと、渡し舟の行程は陸行の一部ですが、はしたなので所要日数も道里も書かないと決まっているので、狗邪韓国から末羅国までの渡し舟の行程道里、数千里、数日は、勘定しようがないのです。
 つまり、倭人伝を正史記事とするには、適確に注釈しないと成立しないのですが、陳寿が編み出したのは、倭人伝記事で必要のない、河川航行「水行」を「渡海」に当てる「用語定義」だったのです。これは、法律文書、契約文書、コンピュータープログラム文書、特許明細書に代表される技術文書など、論理性、整合性を必須とされる文書で、挙って継承され、採用されている文章作法であり、まことに合理的な書法と考える次第です。

 因みに、当ブログの理解では、投馬国への「水行二十日」は、全行程一万二千里、倭地周旋五千里の圏外なので、二十日全部が渡海なのか、一部が渡海で全体が二十日なのか、何とも判定できません。脇道なので、詳しくは不明である、と言うことでしょう。

〇諸用例の意義~少数精鋭最上
 古田氏が追加した魏志用例は、ここで言う「海岸」と「水行」のような方位付けが明解で無いので、「循」が「沿って」の意味に使われた用法と愚考します。「背にして」と「沿って」の両義を承知で書いたのではないようです。

 思うに、三国志の魏志(魏書、魏国志とも言う)は、陳寿が全てを記述したものではなく、大筋は参照した魏朝公文書、つまり、史官が日々整備していた公式記録文書に従っているので、魏朝官人の語法で描かれています。従って、左氏伝の典拠を意識していないことも想定されるのです。
 用例は、厳選したいものです。できれば一例が最上です。

〇「海岸に沿って」行かない理由~再掲
 当ブログの見解では、「従郡至倭」の道里行程は明確に書かれていて、官制の通り、官道を直線的に目的地まで進むが、狗邪韓国から末羅国までは、唯一無二の移動手段である渡し舟に乗る必要があり、これを限定的に「水行」と分類し、残りは、当然の「陸行」と分類した行程としているのです。末羅国からは、「陸行」と明記されていて、傍路の投馬国行程は、この際圏外として、一路、陸行なのです。整然たるものです。話すと長いのですが、全体構想があっての独断です。

 海岸に「沿って」行くとの解釈を棄却する理由として、海岸陸地に沿った移動は、浅瀬や岩礁に確実に行き当たることによります。そのような危険のため、船は、ほぼ例外なく、港を出ると直ちに陸地を離れて沖合に出て、海図などで安全と確認できない限りは、陸地に近づかないのです。以上は、別に訓練経験がなくても、少し関連情報を調べるだけで、容易に理解できる安全航海の策ですが、聞く耳を持たない人が多いのです。

 そのために、苦労して説得記事を重ねているのですが、まだ、納得された方はいないようです。その最大の障壁が、冒頭の「循海岸水行」の誤釈と思うので、一度、「自然に、滑らかに」丸呑みするのでなく、一字一字審議していただきたいと思ったものです。

                                以上

2021年4月 3日 (土)

今日の躓き石 「囲碁界に渦巻く怨念復讐の渦」を思わせる 毎日新聞の「リベンジ」蒸し返し

                             2021/04/03

 今回の題材は、珍しく毎日新聞大阪朝刊総合・社会面の囲碁関係の記事である。

 何しろ、看板の本因坊戦挑戦者決定記事の見出しであるから、全国紙としての面目躍如たる報道であろう。

 それにしては、二期連続「リベンジしたい」とは、何を言いたいのか、意味不明である。編集部で、誰もダメ出ししなかったのが、不思議である。ここでは、どうも、「リベンジ」は、再挑戦の意味でなく、怨念復讐という血なまぐさい言葉のようであるが、「リベンジしたい」とは、血の海に沈めてやり「たい」という「願望」なのだろうか。滅多に見かけない言い方である。「したい」ではなく、「するぞ」ではないのだろうか。なぜ、誰でもわかる言い方をしないのだろうか。
 持って回った言い方をしなくても、挑戦する以上は、「是非とも勝ちたい」というのではないだろうか。いや、挑戦者もタイトル保持者も、負けたいと思うはずはないから、「勝ちたい」という思いは、言うまでもないことなのである。

 それにしても、タイトル保持者の九連覇目を実現させた前期の敗退を、(自身の力不足と言わず)不当な屈辱と捉えて、今期は、仕返しでぶちのめしてやると言うのはどんな志なのか、大変不審である。普通、このような場合には、雪辱とか仕返しとか、言わないはずである。
 しつこいとがめ立てであるが、ここまで、汚い言葉をことさらに目立たせていると、一言言わざるを得ないのである。

 いや、天下の毎日新聞が、引用している談話から見出しを起こしているから、挑戦者の発言の忠実な報道と見たいところであるが、毎日新聞には、今年の選抜の報道で、東海大関係の二校の対戦に際して、地元記者が地方版サイトで報道している談話にない「リベンジ」を、スポーツ面担当記者が「創造」した事例があるので、この発言引用も、勝手な決め込みかも知れないのである。
 挑戦者の人格を疑わせるようなとんでもない不穏当な汚い言葉の発言を、担当記者が「創造」したのではないかという疑惑は消えないのである。

 何にしろ、この記事で見られる表現の混乱は、目を覆わせるものがある。

 「囲碁界の頂上決戦」には、相応しい頂上報道が望まれるのではないだろうか。人ごとながら、大変気がかりである。

以上

2021年4月 2日 (金)

新・私の本棚 番外・破格 西村 秀己 古田史学会報 127号「短里と景初」誰がいつ短里制度を布いたのか? 追記再掲

 古田史学会報 127号 (ネット公開)  2015/04/15

 私の見立て ★★★☆☆ 思い余って言葉足らず  2020/12/13  追記 2021/04/02, 2021/04/12

□はじめに
 当記事は、古賀達也氏ブログの最新記事で踏襲されているので、最新論考とみて、あえて、非礼を省みず率直な(部分)批判を試みたものである。

○論考のほころび~景初初頭短里施行の検証
 案ずるに、「景初短里」圏外の長「里」が、三国志編纂時に換算され、処理に窮した端(はした)を「数*里」表記したとの部分的仮説の検証であり、以下の引用で主旨は尽くされていると思う。

 そこで三国志の陳寿の本文から、[中略](検証に関係しない用例を除くすべての)「里」を年代別に並べてみた。(本紀はともかく、列伝は年号を明記していないものが比較的多い。特に対象の人物の若いころのエピソードははっきりどの年代なのか判別できないものも多いので、間違いがあるかも知れないが、大勢には影響がないと思われるのでご容赦願いたい)
 表をご覧戴ければお判りのように、「数〇里」の出現比率は、
 漢=二一・三%
 蜀=三三・三%
 呉=四〇・〇%
 魏の黄初?青龍=三七・五%
 ところが
 魏の景初以降=五・三%
 つまり、短里の施行は景初初頭という仮説にピタリと一致しているのである。

*過度の精密表記~速断の弊
 当記事は、「数*里」限定だから、中略部は空振りとしても、断片的データ計算結果に過度に精密な数字を提示し、「ピタリ」一致とは不合理である。
 穏当な漢数字表記でも、元々不確か、うろ覚えの原データの信頼性であるから、二、三、四割が妥当と思われる。一桁も覚束ない数字に0.1㌫表現は、児戯で非科学的である。

 最もしく漢数字でも、三世紀当時は、小数のない時代なので、氏の表示は、時代錯誤である。
 あるいは、五分の一、三分の一、五分の二とでも表現するのであろうか。
 数字表記の意義は後回しとし、景初以降五㌫と言ってもサンプル個別評価が不明なので、統計数値として意味があるだけの数なのかどうか、判定しようがない。つまり、「ピタリと一致」と言うのは、根拠の無い速断なのである。
 いずれにしろ、胡散臭い精密な数字の陳列は、古代史論には無用である。

 さらに言えば、各数字は、各サンプルの意義次第であり、数字の字面論議で済む議論ではない。言い募るほどに論者の見識を疑わせるだけである。

 以上は、偶々、当史論の批判の機会に書き立てただけで、言うまでもないことながら、西村氏個人に独特のものではなく、まして、古田史学会にだけ存在している風潮でもなく、むしろ、広く古代史論全般を見る限り大半の論者と同列の書法なので、「史学論に科学はない」と言いたくなるほどである。心ある方は、是非、古代史論は、原資料と同等の漢数字書法にしていただきたいものである。

⚪場違いな用例の山積
 正史の道里表記の検証には、記録の正統性検証が必要であり、それには、相当の立証努力、試錬を要する。(鍛冶が刀剣を鍛えるように、叩いて焼き入れして、真っ直ぐで強靱なものにするという意味である)
 つまり、偶々、何れかの記事に書かれている「道里」が、「短里」で書かれているように見えたとしても、それは、国家の制度として実施されていたことを証する効力はないので、史学論議として、無意味な徒労なのである。それは、記録の数をいたずらに増やしても、意味がないのである。これは、夙に古田武彦氏が高らかに指摘しているものであることを、書き付けるものである。

*三国志の個性再確認
 通常、三国志の構成史書は、「魏志」、「蜀志」、「呉志」と言い慣わされているが、三国志の諸志というと、紛らわしいことがあるので、本編では、「魏国志」、「蜀国志」、「呉国志」と呼ぶことにしているが、これら三篇の「国志」は、それぞれの別の書き手によって整えられた史書であるから、当然、別の方針で編纂されているので、必ずしも、三国志としての統一語法、思想で編纂されているわけではないことは、公に意見を述べる程の品格の諸兄には、周知と思う。(『「周知」と勝手に言うが、俺は知らん』などと反論しないでほしいものである)

 各国志は、それぞれの「天子」の諸制度をもとに書かれているが、仮に、魏朝で里制変更があっても、何よりも、魏を後漢帝制の簒奪者と見ている蜀漢では、絶対に施行されないのである。

 つまり、蜀国志は、漢史であり、採用されているのは漢制であり、陳寿は、これを魏制に書き替えたりしていない。いや、蜀漢皇帝を先主、後主とし、両主に本紀を立てないが、国志の細目に(無法な変改の)手を入れていない。

 東呉は、本来、後漢に服属していたが、曹魏による簒奪は認めていない。従って、呉国志も、東呉編纂「呉書」が土台であり、その主旨は同様である。東呉は、時に魏に臣従表明したが、魏短里制を踏襲していないと思うのである。
 よって、蜀国志、呉国志の三国志統一史観のもとでの史料分析は、ほぼ無意味である。

○まとめ
 当論考は、元々不確実な魏晋朝短里説論証の過程として、全く不十分と見える。残念ながら、魏明帝「景初初頭短里施行」仮説は、却下判定である。もちろん、ここで指摘しているのは、仮説論証過程の不備であって、仮説自体を論じたのではない。

 ただし、視点を変えて、論証批判という見地から云うと、「景初初頭短里施行」仮説は、論証以前に随分無理がある。
 国家制度としての里制変革は、具体的な実施条件まで含めた、大部の要項が必要であり、また、各地で実施したときの多大な紛糾の記録が残るものであるので、実施されたのであれば、明確な記録が残されているはずなのである。
 また、後続の晋書地理志に、そのような制度変更の形跡を一切とどめていないのも、実施されていない変革と思わされるのである。

 正史「晋書」は、唐代に完稿と言っても、晋代から続く各家晋書稿を集積しているので、晋代の「重大な史実」を書き漏らしてはいない
のである。また、魏志が備えていない「志」(范曄「後漢書」も、補追された「志」しかない)を完備しているので、魏晋代の記録を補完しているものと見える。

 そのように、安定した資料に基づいて、確実な史観を確定すれば、陳寿の里制換算想定などの妄想は、「なかった」の一言で蛇足となり、明解である。

 古代史論で、「何かの制度変革がなかったと言うには、そのような史料がないと言うだけでは不十分だ」とする(どこか別の論議で聞いたような)抗弁が聞こえてくるが、国家制度を揺るがす制度変革が「一級史料に全く記録されていない」(明記されていない)というのは、史料批判どころか、史料の本質に反するとんでもない言いがかりであり、そのような提案には重大な立証義務が伴うと思うのである。

                               以上

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