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2021年7月30日 (金)

私の本棚 相見 英咲 「魏志倭人伝二〇〇〇字に謎はない」 最終 10/30

 講談社 二〇〇二年一〇月刊
 私の見立て☆☆☆☆☆   詐欺である                               2018/04/12 追記 2019/07/22 2021/07/30

*「倭人伝」の正しい読み方(p19)
 著者は、論拠無しに、「倭人伝」は、「三・四世紀の中国人を読者として想定している」とまたもや神がかりのご託宣であるが、三世紀後期の「倭人伝」編纂者が、後世四世紀の読者を、特定して想定しているはずがない。時代錯誤である。「世紀」も時代錯誤、地理錯誤の妄言である。中国古代にキリスト教紀元の概念は無い。要は、「同時代の中国人」と言えばいいのに、無用の錯誤を犯しているのである。
 重ねて、同時代の中国人に「アトランティス」もアテナイもスパルタも「全く未知」であり、時代錯誤、空間錯誤の概念を持ち込む理由が理解できない。

 せいぜい、魏使到来時の魏帝曹芳から陳寿存命中の晋恵帝までの各皇帝に、司馬懿に匹敵する政府高官を想定して書かれたろうが、少帝や暗愚の景帝に合わせたとも思えない。

 具体的に言うなら、倭人伝の「稿」は、魏使を勤めた帯方郡使の書記役が、郡太守に書いたと考える。

 ということで、「倭人伝」の本質を表現しているはずが、端的な文を棄てて、稚拙な文を連ねて。読者に受け入れられる機会を逸しているのである。

*突如転進(p19)
 そこで、著者は、本書読者の襟首を掴んで、身近に据えるが、「われわれ日本人読者」などと抱き込まれても、ここまでの著者の書きぶりから同調しかねる。仮想被告席に同列に連なるのは、ご勘弁いただきたい。
 それにしても、「日本の現地」とは意味不明である。「日本」自体七世紀以降であり、倭人伝理解に無用である。「現地」は、重大な概念であるが、これでは、筆者共々ドブに落ちている。

*憑依する人格
 そこへ、「倭人伝が想定する読者」は別と言うが、「倭人伝」には人格はないから、自分の読者を想定することは不可能である。と言うことで、何が正しい読み方かわからないが、著者の言い分がわからないから同意もできない。

*独創的な狂詩曲
 と言うように、議論の導入部に綿々と書かれているのは、読者に理解不能な妄言ばかりである。大体、泳いでいるサカナの心境は知る由もないし、不可解の極みであるが、「三・四世紀の中国人の心境」など、根っから不可解である。

 繰り返しだが、倭人伝の現地風俗を述べた部分は、「魏使」随員として倭を訪れた帯方郡書記官の筆になるものであり、おそらく、魏使正使、副使として倭国を訪れた郡高官に提出し、郡太守に承認されるべきものであったろうから、著者の決めつけは、外しているのである。

*うたた寝の妄想(p19)
 続いて、まことに唐突に、詳しい説明無しに、「アトランティスの都市国家」と書いて、それに関する情報が、古代ギリシャの哲学者プラトンの書いたものだけであったと書いているが、本書読者に、場違い、見当違いの片言が何のことかわかるとも思えない。うたた寝の夢か、妄想か。プラトンが語った内容が、「現地」を塗膜ていできない、実在したかどうか不明という事は、よくよく噛みしめるべきである。

*危険な言葉遊び
 著者は、「邪馬台国」と「アトランティス」が、同類、同等と主張しているのだろうか。
 「アトランティス」は、後継者を持っていないが、「邪馬台国」は、後継者だけでなく、神格化して信奉する人々がいるのである。著者は、命が惜しくないのだろうか。そのような棄権に、無辜の読者を巻き込んでいいのだろうか。

*「都市牛利」賛歌
 「都市国家」も、未定義、初出の意味不明語である。(中国史の先哲が創出した「学術用語」らしいが、ここに説明がないので、理解しようがない)少なくとも、倭大夫「都市牛利」の国や「家」ではないだろう。因みに、中国古代史の用語は、後世の東夷無教養人の理解をしばしば裏切るので、よほど調べた上でなければ、適用できないのである。

*危険な地図幻想
 意味不明の前振りの後、現代人は、現在の関係地域の地理を知っているから、理解の助けになると言いかけて、いや、それは、余計な先入観となり、曲解の元だから否定せよとも取れる言い方で、「理解の助け」の意図も意味も不明である。

 因みに、現代人が、九州北部の地理を知っているというのも、とんでもない妄想である。普通、東日本の人々は、福岡と熊本の位置関係を把握していない程度の地理認識のはずである。いや、近畿人だってあやしいものである。小学校で習ったはずでも、日常の言語/地理感覚はあやしいものである。何が何の理解の助けや曲解の原因となるのかも、不明である。要は、全て寝言である。

 そして、言うまでもないが、現在の地理から三世紀時点の地理を正確に推定するのは、不可能事である。特に、市町村レベルの詳細な地理は、至難である。「国土地理院」のデータのお世話になっても、それは、現代の地理であり、三世紀に関しては、一切保証されないはずである。(データ利用規定では、保証外の時代に適用することは、禁止されているはずである)
 著者は、何か神がかりで、三世紀の地形を見知っているのだろうか。

                      未完

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