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2021年7月30日 (金)

私の本棚 相見 英咲 「魏志倭人伝二〇〇〇字に謎はない」 最終 16/30

 講談社 二〇〇二年一〇月刊
 私の見立て☆☆☆☆☆   詐欺である                               2018/04/12 追記 2019/07/22 2021/07/30

*「普通」私論(p74)
 著者が抜粋した三品氏の榎説批判は、否定の論拠として、「漢文の普通の解釈」でないとしているのが、いろいろな疑問を巻き起こすのである。
 つまり、「普通」とは、中国語では、普(あまね)く、つまり広く通じるとの意味だが、この批判は、三国志の時代様相とそぐわない楽天的な言い方である。中原の中核となる帝国から発された文化、例えば漢文の書き方が、全土にもれなく、むらなく、普く通じているという前提で見るから、榎氏の解釈は「普通」でない、即ち、間違っているとの断定であるが、それは、事実誤認である。

*異常事態での普通

 ご存じのように、三国鼎立時代は、そうした「普通」の概念が、容易に適用できない異常な時代だった。

*三国それぞれの普通

 三国が独立して存在した以上、それぞれの首都を中心として、三者三様の文化が「発信」(当説の流行語をご笑覧いただきたい)されていたのであり、「普通」は、まずは、それぞれの国内に限っての普通であったと見て良いのではないか。

*朝鮮半島の普通
 さらに言うと、遼東に、公孫氏が、半ば自立して半島と中原の交信を遮っていたため、洛陽政権の「普通」は、帯方郡に届いていなかったとみるべきと思う。いや、公孫氏がいなくても、漢時代、中華文化は、発信源を離れるにつれて希薄となり、各地の文化は、程度の差はあっても、独自の地域性を帯びていたはずである。

*遼東青州圏の普通

 ついでに言うと、遼東郡や帯方郡の地域は、山東半島を含む青州との海上交通が盛んと思われるのだが、そのせいか、一時、公孫氏が青州に進出し支配下に置いたため、中華文化の帯方郡への伝搬は遮られていたと思う。

 三国文化が、それぞれ個性を持っていた一例として、三国はそれぞれ異なった元号、暦制を採用していたと思われる。

*現代の「普通」

 言うまでもないが、中国各地には、全国に通じる「普通話」が行き届いているというものの土地固有の話し言葉が「**話」として定着している。周代以来、儒教などの文字資料は、当然同一の文字を使用していて、その発音も、ある程度共通していたが、会話では、各地固有の言葉が飛び交っていたし、今日も、大勢としては変わっていないように思う。
 韓伝には、半島東南での秦韓(辰韓)では、西方の関中方言、つまり、秦の口語が通じていたとしている。秦代の地方官が、一族もろとも移住したとでも言うようである。
 いや、テレビもラジオも電話がない時代は、普通の文化は浸透せず、時に「普通」しなかったと見るのである。

                      未完

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