私の本棚 相見 英咲 「魏志倭人伝二〇〇〇字に謎はない」 最終 18/30
講談社 二〇〇二年一〇月刊
私の見立て☆☆☆☆☆ 詐欺である 2018/04/12 2019/07/22 追記少々
*論敵併存
偶然ではないと思うが、古田氏は、榎氏の放射行程論と魏使不会見論に対して、強く反対論を展開したが、あくまでも公開「論争」であり、筋の見える論議の応酬であるから、当方のような後世の者が、自身の視点で確認できるので、こだわりなく両者の意見に賛成できる。
みな、「問題」に対する解答として完璧ではないから、我ら後世の凡人は、俗耳をそびらかせて、よりよい解答を求め、いいとこ取りするしかないのである。
著者に求めたいのは、史料から出発したまっすぐな、掘り下げた検討であり、そうすれば、自身の語彙の動揺と不備を、自然に、無理なく正せると思うのである。
*色眼鏡嫌い(p74)
第一章の一応の結論として、従来の凡俗論者に「不当の読み方や解釈」をする人がいなかったのかと歎いているが、読者に意味が通じない。
続いて、”日本人的関心で着色された、しかも度のきつい色メガネ”の比喩であるが意味不明である。
「日本人的関心」がどんな色と濃度なのか、読者は知るすべがない。
色メガネは、眩しくて正確な視認ができない状態を改善する手段であり、身近な例では、プロ野球選手が日中の試合中に常用するように視認改善に有効、と言うより、必須なのである。
「度付き」なのは、医学的に正確な視認を確保するためであり、「度がきつい」のは、裸眼では日常生活に支障が出るための医学的な矯正である。何も、非難すべきことではない。著者の判断は倒錯している。
以上、いずれも、史料批判に無関係で、低俗で見当違いの比喩は、著者の見識を疑わせるだけである。ご自愛いただきたいものである。
*日本人的関心の亡霊(p74)
「日本人的関心」が再登場するが、「日本」が、八世紀新登場の時代錯誤概念であるのは別として、それがどんなもので、なぜ悪いのか、まるで、読者にわかるように語られていない。
著者には自明なのだろうが、著者の内面に潜んでいる精神世界を見ていない読者には意味不明で明解とほど遠い。素直に読む限り、国内史料や後世の視点から倭人伝を解釈する愚を戒めたようだが、著書で維持されていない口先だけのきれい事のようである。
以下も、意味不明の比喩の山であるが、ここで突然、『「倭人伝」は推理文書(注:新語)でなく、”日本人的関心”を捨てないと、「論争」ができない』という。意味不明のかたまりである。別に、論争するのに、資格も、禁制もない。
その時初めて、意味不明の“不良債権”が処理できるとおっしゃるが、何の比喩かわからないので「処理」も、何のことかわからない。食ってしまうのだろうか、ドブに流すのだろうか、それとも、灼いてしまうのだろうか。
本格派の推理小説なら、適宜、適切な手掛かりが明示されるのだが、本書はそのような手配がされていないから、大抵の読者には解決の手掛かりは見えず、著者が大声と大仰な身振りで何を仰山に喚いているのか皆目わからない。
猿芝居というと、与えられた役を見事に演じているサルに対する侮辱だろう。
未完
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