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2021年7月30日 (金)

私の本棚 相見 英咲 「魏志倭人伝二〇〇〇字に謎はない」 最終  26/30

 講談社 二〇〇二年一〇月刊
 私の見立て☆☆☆☆☆   詐欺である                               2018/04/12 追記 2019/07/22 2021/07/30

*遠大論の終焉
 議論が煮詰まってしまった里数詮議をあえて別において、文献解釈に戻ると、古田氏は、漢文には複数の解釈が成立することがあると認めていて、「倭人伝の行程記事の最終行程が、水行十日陸行一ヵ月を要するとの読み方も可能である」としている。
 だが、同時代の事情を想定すると、女王が、使節が到達をはなから諦めるほど遠方(東方)にいたとするのは、不合理な想定と思う。
 素直に見ても、当時は文字が通用していなくて、従って、文書行政がなく、文書便による短期間の意思伝達ができない体制で、どのようにして、伊都国等九州諸国の報告を受けて指示を出し、君主として実効支配できたかという「巨大な」疑問が残る。余りに巨大なので、直面しないようにしているようだが、それでは、克服できることはない。ごまかし続けたという記録が、後世に伝わるだけである。

 畿内説の最大の課題は、古代国家の実現、維持可能な構成を一切示せないことである。畿内に「邪馬臺国」があって、北九州と音信不通では、単なる、国名詐称に過ぎない。結果論で、所在地を引っ張ってきても、合理的な国家像が描けないなら、意味がないのである。なお、「国家像」でもって勝手気ままなイメージ、画餅、構想図などを言っているのではない。実質のある「図」(Picture)が求められているのである。

*遠隔支配古代帝国の幻想
 遠方から各国を実効支配していたのであれば、各地の地方領主(国主)は、主権国家として不可欠な外交、軍事、税務の全てに渡り、独自に決定、執行する権限を持たず、逐一、遠方の君主の指示、裁可、承認を得なければならないことになる。
 文書行政では、地方と中央の間を、膨大な文書が往来するが、文書がない、つまり、書き言葉を記した簡牘。いや、絹布を使った帛画でも良いのだが、とにかく何か、書いたものをやりとりしなければ、仕方なく、伝言を暗記した伝令を往来させるのであるが、それでは、報告も指示もできず、国政を執行できないのである。纏向説は、この大事な点を無視し続けているが、ど真ん中に、巨大な大穴のあいた国家像をいつまで維持するのだろうか。
 なお、各地に君主の許可をうけた刺史のごときものを置くと想定しても、刺史と君主の間に、頻繁な交信が不可欠であり、伝言でこれを行うには、数日内の往き来が可能でなければ、持続できないのである。そうでなければ、刺史が、筑紫に強力な幕府を開いて、小皇帝となって自立してしまうのである。
 結局、畿内にある女王国が遙か東方から九州北部の諸国を支配していたとする筋の通った政権構造を描くことは、困難、すなわち、事実上不可能としか言いようがない。
 いや、一部には、当然のごとく、三世紀時点ですでに、今日言う奈良盆地に「古代国家」が成立していて、西は、今日言う九州北部から、東は今日言う関東に至る、堂々たる大帝国を支配していたと夢想している向きもあるのである。ロマンに自己陶酔されている方々に冷水を浴びせると命に関わりそうだが、柄杓で水を振りまくくらいの「ドッキリ」、「サプライズ」は、笑って済ませていただけないものだろうか。

 空想は自由であるが、学問として主張するには、神がかりや願望に頼るのでなく、批判に耐える堅固な論証が必要である。

 細(ささ)やかな一疑問であるが、これに筋の通った解を見いだせないのでは、説の存続に拘わるのではないか。それこそ、王都遠隔説は、鼎の軽重を問われているのである。大勢がそのように論述されているだけに、突如登場する先入見が、とてつもなく不都合に見えるのである。

*隠蔽された短里論

 それにしても、本書の地理・行程論で、倭人伝の「里」が七十五㍍程度であるという仮の定義が見過ごされているように見えるのが、不思議である。いや、短里と書くと岡田英弘氏に「叱られる」、いや叱責を受けるから隠したのであろうか。人は、叱られるのを怖れて口をつぐんでいて、それでいいのだろうか。
 因みに、本書の行き方は、倭人伝の里数値を図示していて、それが、何㍍に相当するかの言及は回避している。これが倭人伝記事だけの議論であれば、賢明なのかも知れない。

 ところが、著者は、ここになって「唐六典」の唐里、つまり、基本的に「普通里」は、倭人伝の「里」に関係無いとにべもない。
 第一章(p14)で初登場の榎一雄氏の説を紹介したときは、「唐六典」を引いた一日歩行五十里の記述に一切批判を加えず、井上光貞氏の賛辞を添えている。つまり、一旦読者に、著者は、「唐六典」を強く支持していると思わせておいて、ここにきて「仁義なき」どんでん返しを加えるのである。まことに理不尽である。まるで「極道」世界である。
 講談社の編集子は、このようなあからさまの内部矛盾に気づかなかったのだろうか。気づいたが、読者にはわかるまいと放置したのだろうか。冒頭に「詐欺」と書いた由縁のごく一例である。

                      未完

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