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2021年7月20日 (火)

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 3/9 最終改訂

 卑弥呼や「倭の五王」の海に漕ぎ出す PHP新書 2015/1/16
 私の見立て★★☆☆☆      2017/12/12 補充再掲 2020/07/08 2021/07/20

*トンビの批評
 と言うことで、末尾に飛んで批判を再開します。

*白日夢の展開
一.四 近畿纏向国から難波の海に下る
 言うまでも無いのですが、三世紀時点で「近畿」は無く、時代を問わず、「纏向国」は無いのです。無いものの議論は妄言で無意味です。
 以下、動機不明の引用紹介が受け売りで続いています。「なぜ古都・平城京が舟運の便が悪い内陸にあったのか?」と物ものしく切り出しています。
 無法な問いかけなのは、冒頭抱負から明らかです。ここまで、専ら、三世紀辺りの考察に耽ったのに、急遽、CE701に開闢した平城京談義ですが、時代が四世紀以上ずれて、有効な推定ができないのです。

*纏向幻想に加担
 纏向遺跡を「大規模集落」(どの程度を大規模というか不明)としても、三世紀中頃の仮定では、せいぜい千人規模で、自給自足を旨とすれば、細々とした供給手段でも、生存に要する食料補給はできるでしょう。
 いや、誰だって飢え死にしたくはないから、何とかして自分の食い扶持は稼ぎ出すでしょう。食っていけなければ逃げ出すだけです。

*時代錯誤
 ところが、平城京は、万を遙かに超えるであろう非生産人員が寄り集う「都市」(大きな街の意味)であり、持ち寄りでは物資の供給が不足するのです。戸籍があるから逃亡すると重罪となり、餓死しかねないことになります。時代の相違です。
 もっとも、遠国から物資貢納の仕組み、律令制度があったから、餓死はしなかったようですが、遠国はたまった物ではなかったろうと推察します。
 ここでは、平城京を考察するのですが、提示されるのは三世紀辺りの状勢です。言葉を連ね、河内平野開発も水運も、妄想に近い推定であり、著者が「イメージ」とする絵は、何の根拠も無い単なる画餅ですから、平城京について何も論じていないのです。
 冒頭で課題を提示して、一切、その解明に当たらないというのは詐欺です。

*イメージ談義
 因みに、現代において「イメージ」とは、食品の、調理仕上がり、盛り付け図であって、そのように出来上がる保証はなく、時に、購入者自身で調達する食材まで含まれています。ある意味、無責任な「絵」ですから、本書のような論考書めいた物には、まことに不似合い、それとも、お似合いです。
 因みに、このカタカナ語の由来とも見える「image」も漠然たる「姿形」を指すことが多く、概念図、模式図は、「ピクチャー」と呼び分けています。安直なカタカナ語乱用は、固く戒めたいものです。

 そうでなくても、「イメージ」は、見る人次第で印象が大きく異なるので、論衡の展開は、極力、文字で綴る言葉で進めるべきです。

 「これは、古代の現実の姿を推定したものでなく、著者の考える夢を描いたものである」と責任を持つべきです。無責任を明言するのも、責任の取り方の一つです。

                               未完

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