私の本棚 41 笛木 亮三 「三国志の写本検索」 季刊邪馬台国 128号 1/2
2016/03/08 補足2021/07/14
季刊 邪馬台国 128号 2016年2月
⚪補足の弁
今晩、当記事筆写から、丁寧な補足説明があって、当記事を読み返したのだが、ブログ記事の通例で説明が急ぎ足になって、ご迷惑をかけたように燃える。読者諸氏は、何度でも、読み返すことができるので、落ち着いて再読いただきたいものである。
また、提供頂いた資料の所在情報等は、編集部が検証していると信じるので、不鮮明であれば、それは編集部の責任なのである。いや、同誌の編集部は、安本美典氏の薫陶を得て、論文誌の任にあたっていると信じるので、特に明記しない限り、批判されているのは、編集部である。
つまり、当分野の最高峰の専門誌で論文審査されたうえで掲載されているから、編集部、就中(なかんづく)、安本美典氏の指導があったと思って、少しきつい言い方をするが、筆者たる笛木氏を責める気は、さらにないのである。笛木氏に、ご不快の念を与えたとしたら、お詫びする。
⚪お断り
当記事は、論文と言うより、史料探索の体験談であり、批判するのは、著者の意図に反すると思うのだが、「季刊邪馬台国」と言う、一流媒体に掲載されているので、色々批判を加えても、了解いただけると思うのである。
著者は、本記事において、あたふたと諸般の説明を書き連ねているだけで、読者には、混乱した印象しか残らないのである。各資料に関する情報が再三書かれているが、出所によってばらついているようで、決定的な説明が読み取れないのである。いや、同誌編集部がこれで良しと判断したのだから、筆者に文句を言う筋合いはないのである。この点、著者にご不快の念を与えたとしたら、深くお詫びする。
本記事が、不完全なものに終わっていると感じる理由の一つが、本記事著者の抱負に反して、資料写真の転載が2点にとどまっていると言うことである。しかも、掲載されている写真が、紙面から文字を読み取ることすらできないと言うことである。
率直に言って、当記事を掲載するのは、かなり時期尚早だったと感じるのである。
堅苦しい法的な議論は、次回記事に譲るものとする。その部分に意見のある方は、そちらに反論して欲しい。
法的な議論が必要と思う背景として、行政府の一機関である宮内庁書陵部提供の三国志紹凞本写真画像に対して、(C) 宮内庁書陵部と著作権表示しているサイトがあって誤解がまき散らされている事例がある。同サイトだけ見ていると、宮内庁書陵部が(不法に)権利主張していると見えるのである。同組織は、国民全体に、研究成果や所蔵文化資産を提供する任務を課せられているのであり、同資料については、盗用、悪用を防止するのが肝要、本務であって、著作権を主張して国民の利用に制約を加えることは、本来許されないのである。
これは、地方公共団体が運営している組織についても同様であるし、各大学は、研究成果を、国民に還元することを主務としているから、こちらも、不必要に所蔵文化資産を秘匿してはならないのである。
現に、地方公共団体の外郭団体である台東区立書道博物館は、当然のこととして、所蔵資料の写真転載に同意しているのである。
公共機関が、所蔵品の写真について非公開を主張するのは不法であるから、妥当な判断なのである。
当該機関は、公的資金で運用され、成果を公共に供するのを最大の使命としている。ただし、区立「博物館」として、運営に要する資金に対して、利用者の応分の「寄附」を求めるのは当然であり、それは、営利事業として収益を求めているのではないのでご理解頂きたいものである。
以上、ことさら固い口調で述べたが、時に、そのような理念を無視する例があるので、再確認しただけである。もとより、同誌編集部は、そのような事項は知悉しているはずなので、笛木氏が孤立しないように支援していただきたかったものである。
それにしても、中世や古代の史料写真が、現代の著作物であるなどと言うのは、確認不足による誤解である。
以上
ここで提案されているのは、管理者が所蔵している歴史的な文化財を、公共に開示して、広く人類全体の知的財産(Public Domain)とするという考えであり、そのような説得に対して、頑として応じない管理者はいないと思うのである。
これは、中国国内の公共機関であっても、説得できる筋の通った話と思うのである。
結局、各団体が、以上のような考えは承知の上で、本誌の資料写真転載を拒むとすれば、本誌読者から偽造、改竄などと指摘されるのを嫌っているのではないかと懸念する。
むしろ。貴重な史料の詳細(と言うほど詳細でもないと思うのだが)を押し隠すのは、結局、管理者自身が資料に対して、そのような疑念を抱いていて、その結果として、所蔵物の価値の低下、果ては、管理者への信頼性の低下などを怖れているものと感じる。
何しろ、中国において、文書資料の偽造、捏造は、2000年を超える歴史を誇る、伝統的文化技能である。誇張と思うのであれば、秦時代の焚書坑儒で消滅したはずの古典書が、こつ然と復活した事例を見るべきである。
正史断片の捏造というのは、教養と技量をを共に持たないとできないので、偽作家にとって、随分やりがいのある芸なのである。いや、これは、冗談半分、真剣半分の意見である。
しかし、今回の事例は、そんな大層なものではないと思うのである。是非、各管理者は、安直な保身に陥らず、進んで広く資料公開して欲しいものである。
以上、文句ばかりになってしまって、筆者にはご不快であろうと思うが、次回の折には、十分ダメ出しの済んだ記事を寄稿されることを切望するものである。筆者の個人的な願望は、まだ、かなえられていないと思うからである。
そうそう、言うまでもないが、当ブログ筆者は、別に弁護士でもなんでもないので、以上の議論の当否は、最寄りの司法関係者の確認を取っていただきたいものである。
当ブログ筆者にとって残念(期待が満たされなかった)のは、写本が、真書か草書かと検討できる画像が読み取れないという点である。
本誌の読者には、「書の専門家」が、三国志写本は、(全て)草書であった、と断定した論考が想起されるからである。是非とも、再掲載の際には、その点もご確認いただきたいものである。
以上
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笛木亮三さん
ご多忙な中、ご回答頂き感謝します。
「草書」と言及したのは、「書道家」と称する物知らずの野次馬が、古来、正史写本は、すべて草書だったと「断言」する例があったので、反証を求めていたものです。(季刊「邪馬台国」誌上のことです)
古代史分野では、根拠の無いホラ話が幅を利かせているので、一言愚痴ったのですが、そのせいで貴兄につまらない手間をかけてしまって、恐縮です。
陽気まで苛酷な日々ですが、よろしくご自愛ください。
以上
投稿: ToYourDay | 2021年7月23日 (金) 01時20分
「写本が、真書か草書かと検討」とあったので、図録の解説をおしらせします。
写本1:隷意を含んだ力強いもので、5世紀の写本と見て間違いなかろう。
写本2:隷意を含んだ雄渾な字すがた、5世紀の写本と見られる。
写本3: 同上 (写本2と続く写本)
写本4:字体は隷書で、書風は古朴で、漢代の漢牘の余韻がある。写本は東晋。
写本5:隷書に特有の直線的な硬さがうすれ、筆勢に柔らかさがある・西晋時代の写本
写本6:隷書の余韻を残した書風から4世紀後半から5世紀頃の筆写と考えられる。
パソコンで「筆墨精神」を検索して、画像を見ると写本2,3の画像が見られます。
ウィキペディアの歩騭を見ると写本4の図があります。画像の拡大ができます。
『呉志』「孫権伝」殘簡(晋代)で検索すると写本5が見られます。
同じように探すとほかの写本もあるかもしれません。
写本の偽物。
1986.1.22の朝日新聞:京都国立博物館所蔵の敦煌写本「大半が偽物」
この後1997年、大英図書館で20世紀初期における敦煌写本の偽物について」が開かれた。
1996.9.19の読売新聞「孫子の兵法」全篇発見。
1996.10.26の読売 新発見の孫子兵法は偽書?。
近年では円仁の石板、吉備真備の書中国で確認、井真成の墓誌など本物?眉唾物?が中国から続出しています。
中国で一面も出土していない三角縁神獣鏡が、中国の骨董市で続々出ています。
今では日本の考古学者が騙されるほどうまく作っています。
投稿: 笛木亮三 | 2021年7月22日 (木) 22時09分
笛木亮三さん
まずは、ブログで、実名を表示しない無礼をご容赦ください。
丁寧に説明戴いたのですが、コメントで回答するのは、無理があるので、公開返信記事を作成することにしました。時間を下さい。
取り敢えずの回答としては、端的に言うと、貴兄の孤軍奮闘には感謝しますが、これら写本が、同時代に例えば、晋朝皇帝の蔵書となっていた三国志の「同時代原本」の忠実な写本かどうかは、随分、議論の余地があるものと感じます。世上、「写本は直前の原本と一致しないが必然」と言いながら、一方では、これら断片が「同時代原本」に忠実と決め込んだ議論には、疑問を感じている次第です。
もちろん、中国では、骨董市場に、史書の偽造品が出回っているとの風評は聞きますが、史書断片の偽造品といっても、実際は、模造品(レプリカ)と推定しているのです。特に、これら断片の原本の善本は、一切残存していないので、検証しようがないものと思います。
結局、丁寧に調べるしかないのです。
以上
投稿: ToYourDay | 2021年7月13日 (火) 23時55分
小生の拙文章をお読みいただきありがとうございます。私の趣旨としては、世の中に『三国志』の写本と言われるものがいくつあり、どんなものかを探すことでした。6点の写本を見つけ、其の図版も見つけました。その写本探しを文章にして、『季刊邪馬台国』に投稿したら、運よく掲載されたという事です。出版社には全部の写本のプリントを同封して掲載をお願いしたのですが、展示会の図録の写真はほとんど許可がおりませんでした。一件 『台東区立書道博物館』の所蔵分だけ使用料を払い、その掲載誌を寄贈で掲載出来ました。私は著作権についてはほとんど無知です。出版社の話では図録掲載の写真はその制作者の許可が下りないとダメとと言う事でした。
私が掲載した図録や本を見れば写本の全てが見られます。写本のほとんどが日本で展示されていたとは驚きでした。なお、写本の全てが本物とは思っていません。出土遺跡がはっきりしていて、学術調査であることが本物の条件と思っています。農民が作業中に発見などは信用できません。
念のため写本掲載の図録等を記載します。少しでもお役に立てれば幸いです。
写本1 『三国志』「呉書」韋曜、華覈伝残巻
『台東区立書道博物館』(2015・台東区芸術文化財団)
写本2 『三国志』「呉書」虞翻伝残巻
『筆墨精神』(2011・朝日新聞社)
写本3 『三国志』「呉書」虞翻、陸績、張温伝残巻
『筆墨精神』(2011・朝日新聞社)
一部分『季刊邪馬台国 18号』掲載の石刷り版を挿入
写本4 『三国志』「呉書」歩隲伝残巻
『砂漠の美術館』(1996・朝日新聞社)
写本5 『三国志』「呉書」孫権伝残巻
阿辻哲次『図説 漢字の歴史』(大型版)(1989・大修館書店)
写本6 『三国志』「呉書」臧洪伝残巻
『新シルクロード展』(2005・NHK、NHKプロモーション産経新聞社)
投稿: 笛木亮三 | 2021年7月13日 (火) 22時12分