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2021年7月17日 (土)

私の本棚 51 水野 祐「評釈 魏志倭人伝」[新装版] 3/4 「倭人在」再掲

    雄山閣    新装版 2004年11月 (初版 1987年3月)
 私の見立て★★★★☆    『「倭人伝」は「古代日本に関する(唯一無二の)中国史料』      2016/06/18 追記 2020/06/07  2021/07/17

鵜呑み」論 - まくらに代えて
 本書は、何しろ大部の書籍であるから、手の届くところから、何とか咀嚼して、味わって、飲み込み、消化するものである。

 鵜は、鳥類であるから、歯も舌もなく、川魚を、囓りも味わいもせず丸呑みできるのだが、人は、人類であるので、歯で噛みしめ、噛み砕き、舌で味わい、匂いまで照顧して食するのである。その前に、ウロコや骨も内臓を取り除き、大抵の場合は、生食せずに、煮たり焼いたり調理、調味するのである。人間相手に、「鵜呑み」を言うのは、自身が「鵜呑み」の常習者だと物語っているのである。

 人は、決して、鵜の真似はしないのである。低級な比喩は、早く撲滅したいものである。 

-第二部 評釈篇 第一段 総序
*倭人伝事始め 「倭人在帶方東南」
 前置きに小見出し「倭人伝」の話をしたが、この小見出しが、陳寿の原本に、すでに書き込まれていたかどうかは、わからない。
 知る限り、「紹興本」に先行する旧版「紹興本」には、小見出しはないようである。
 おそらく、「紹熙本」が依拠した新規史料は、恐らく、同一の「紹興本」と共通した北宋刊本に依拠しているが、「紹熙本」より優れていると判断された写本に「倭人伝」と書かれていたということのようである。
 「紹凞本」とは、南宋紹凞年間に、審査、校正が完了した版であることから、「紹熙本」と命名されたものであり、印刷、製本、公開された時点が、どの年間であるかは関係無いのである。「紹熙本」は、現代日本語でないことに留意頂きたい。ついでながら、当時最高の人材を投入して編集し、多大な費用を投入して改訂版を起こしたと言うことは、当時の権威者が、その価値を認めたと言う事であり、現代出版物の絶版、改版とは、重みが違うのである。

 さて、小見出し論を終えて本文に入ると、記事の冒頭に「倭人」の二字が置かれている。

 著者である水野氏は、これは、中国唐代以前の「日本人」に対する呼称であるが、自称ではなく、中国人が「日本人」に対して与えたものと解している。因みに、三世紀論で、「日本」は、時代錯誤と批判されるものであるが、ここは、少し緩い見方で見過ごすことにする。

 氏の見解に対し、当方も、ほぼ同感である。古代に於いて、「日本人」の側には、漢字について十分な知識はないわけだから、いずれの時代なのか、どんな由来かは、知る由もないが、中国からの頂き物だという可能性が高いと思う。

◯傍道の倭人論など~私見
 別の段で、この呼称の由来について評釈されているが、当ブログ筆者は、異論と言うほどではないが、当評釈にない、別の意見である。

 つまり、「倭」という文字は、倭人の姿、おそらく、女王の姿を描いたものと思う。人偏は、「人」の意味であるから、残りの旁を見ると、「女」、つまり、女性の頭の上に、「禾」、つまり、稲穂のような髪飾りがかざされている姿である。「倭人」は、そのように稲穂を髪飾りにした女王が束ねる人々である、ということである。

 私見によれば、「倭奴」は、後漢朝が「倭人」を言い換えと見られる。北方の猛々しい異民族、「匈奴」と対比して名付けたものであろう。
 という事で、書評に便乗して、勝手な意見を付け足している。

 後年、「倭」という文字を嫌って「日本」と改称したらしいが、おそらく、国を継いだものたちが、あからさまに「女王国」を表す文字を嫌ったのではないかと思われる。「倭」は、周代史書にも残されている貴称の類いであるので、相当無理をして返上したようであるが、唐代となると、相手も、天子と言いながら、蕃人上がりの付け焼き刃なので、古典知識にこだわらず、自称を許したようである。

 さて、「倭人」に続いて、直ちに続いて「在帯方東南」と五字の付随句で、一応文の体を成している。つまり、私見によれば、東夷傳の走り読みで、ここまで来て「倭人伝」にぶつかった読者は、この七字で倭人の居住地を知るのである。

 もちろん、この後には、「大海之中依山島」等々が続いていて、詳しい知識を得られるのであるが、倭人の概容を知れば良い読者(例えば、皇帝陛下)は、最低限の七文字だけで、取り敢えず十分と満足する可能性がある。
 としてみると、この七文字は、独立して、必要な情報を過不足なく伝えているのであるが、それは偶然ではなく、史官の外夷傳編纂時の推敲のたまものである。

 朝鮮半島と西日本を包含した地図を見ていただけばわかるように、帯方郡治の想定されている朝鮮半島中部西岸地区から見て東南にあるのは九州島である。本州島は、その九州島のすぐ東にはじまり、東方から東北方向に延びていて、東南方向にまるで収まっていない。倭人不在域である。(住んでいるのは、倭種らしいが)

 世にはびこる「邪馬台国」論議をまとめる書籍は、優勢にあるとされている近畿説に「遠慮」してか、この点に触れないのである。
 いや、触れている例はあったが、「大意として、そのように読めるかも知れないが、現代人は、邪馬台国が、近畿中部にあって、遠く九州北部まで支配していたことを知っているから、倭人伝の誤記と理解できる」と割り切っている。
 わずか七文字の解釈で、原文無視・改訂派が鎌首をもたげてくる
のである。この手で行けば、「倭人伝」に何と書いてあっても、自説に沿って読み替えるのであるから、「倭人伝」など、あってなきがごとしということである。

 水野氏は、当ブログ筆者のまことに拙い指摘に、遙かに先駆けて、そのような原文無視・改訂の勝手読みを否定しているのである。

 かたや、いの一番に論議すべき事項をすっ飛ばして、頑迷な俗論が形成されているのは、かねてより感じていることであるが、ここにも、その端緒が表れているのである。

未完

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