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2021年7月20日 (火)

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 5/9 最終改訂

 卑弥呼や「倭の五王」の海に漕ぎ出す PHP新書 2015/1/16
 私の見立て★★☆☆☆      2017/12/12 補充再掲 2020/07/08 2021/07/20

*淀川実相~余談
 古来、河内湾からの物流の主流は、水甕琵琶湖を上流に持ち、調整池もあって、水量が安定して豊富で、概して緩やかな淀川水系経由と思われます。
 ただし、琵琶湖に向かう瀬田川は、水量は安定していても、渓谷の急流であり、また、当時、現在の京都市市域には河川交通に適した水流が無かったため、物資の主流は南に折れて、今日の木津付近まで運ばれ、そこから奈良山越えで、比較的大きな消費地、奈良盆地に運び込まれたものと思います。

 総じて見るに、素人考えでは、淀川水系は流域の農地開発も早くから進んでいたようなので、曳き船に動員できる農民に不足はなかったろうし、農民にしてみれば、本業以外の格好の副収入ですから、いそいそと参じたものと思います。いわば、持続可能な体制だったのです。

 著者の性癖に倣い、現代用語を持ち込むと、淀川が「ブロードバンド」、大和川は「ナローバンド」と思います。並行しても交通量に大差があったのです。古代史には定量的な評価がないので、一石を投じたつもりです。倭人伝に倣うと、大和川は「禽鹿径」であり、道ではなかったのです。

*木津談義~余談
 当時の淀川水系物流終着点だった木津には、往時の繁栄を示すように丘上に銅鏡王墳墓が築かれ、川畔に最古と思われる恵比寿神社があります。
 平城京では、物流の乏しさに呆れた聖武天皇が、河内平野の難波京と木津付近の恭仁京に遷都を企てたという挿話からも、平城京の貧しさが偲ばれ、平城京の豊かさを願って、故郷を捨てた旧都の貧しさも知れるのです。いや、以上は、素人の勝手な意見てあります。 

*ロマンの氾濫
 本書の批判に戻ると、この辺り、著者は、止めどないロマンの世界に溺れているようですが、それらの世界は、著者だけしかうかがい知ることのできない、著者の脳内に存在している幻宇宙であって、現実世界とのつながりが示されていないから、学術的な論考と主張するのは、断じて無理なのです。
 特に、史料引用などで、粗忽と言いたいぼろを頻発するのは、自身のロマンに溺れて現実世界が見えないためでしょう。もったいない話です。

*第一章総括 どんでん返しのカラクリ
 第一章の問題点を総括すると、一見、奈良平野に古代国家があって半島、大陸と交流があったと論じている論考と見えますが、著者の暴走に付いてきた読者を、最後に否定的判断に放りだして、どんでん返しです。

 いわゆる「近畿説」の読者は、ここまで自説の裏付けと思っていたとしたら、読者をだましていて、最後にペロリと舌を出した体です。財布から金を出した読者に非礼です。

 以下の論議も、うわべのもので、真意は逆なのではないかと思わせる、不吉な出だしです。文章作法のイロハに反しているように思います。雑誌募集の懸賞論文でも、ここまで論文として杜撰であると普通は許されないのです。

                               未完

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