私の本棚 相見 英咲 「魏志倭人伝二〇〇〇字に謎はない」 最終 8/30
講談社 二〇〇二年一〇月刊
私の見立て☆☆☆☆☆ 詐欺である 2018/04/12 追記 2019/07/22 2021/07/30
*考古学の隆盛(p17)
「隆盛」とは、「西郷南州」のことでなく、経済的な繁栄、社会的認知の向上のことと思うのだが、あるいは、公的資金を集め、地方公共団体の支持を受ける状態を言うものなのかと思うのである。著者の羨望が現れているのだろうか。
面倒なので、用例検索はしていないが、この「単語」は、時代錯誤ないのだろうか。著者、無頓着で、自己用語の点検を怠りっぱなしだから、信用できないのだが、ここはほっとくことにする。
*一考古学記者の暴言(p17)
そこに、一考古学者、寺沢薫氏の歴史的失言がでかでかと取り上げられているのは、感心しないのである。
「たかだか二千字ほどの」で始まる発言は、「リアルタイムの証拠」などと「ものの道理」を大きく踏み外していて、中高生の口喧嘩並みで、真剣な意味を汲み取れない。いや、これは、中高生に失礼で、成人男子の「飲んべえがくだを巻いている」と言うべきかも知れない。
そりゃそうである。古代の「事実」が「リアルタイム」で判明するなど、夢想・幻想以外ではあり得ないのである。
何とか素直に読むと、『一人の考古学者が、「大和説隆盛」を「至上命令」とし、反対論を叩き潰すと宣言している』だけで、学問の精神とは無縁の暴言と聞こえる。それにしても、どなたが、氏の夢に立って、命令を伝えたので労か。まことに面妖な神がかりであるが、反論しようがないのである。
と言うものの、発言の状況もわからなければ、発言者固有の言葉遣いもわからないので、当方が書かれていると感じた趣旨が、正確な理解かどうか不明だし、用語解釈がどうなのかもわからない。
少なくとも、本書著者が、自身の独特の言葉遣いを維持しながら、寺沢氏の別種の放言が寺沢氏の意図通りに的確に理解できたことが不思議である。言いっぱなし、意味不明の放言であるから、「一般人が理解可能な日本語」に翻訳して欲しかったと思う。
*大和の考古学批判(p18)
続いて、「大和の考古学」に始まる放言は、考古学者は「山師」の類いであって、一山当てることだけ考えているから、論説は、すべて信用できない、と言っているように聞こえるが、それは、飲み屋での駄弁ならともかく、論議の場で言うべき事ではない。
思いついたことを何でも言えばいいというものではない。動物園のゴリラが、投げつけるものがなくなったときに、来客に糞塊を投げ付けるようなものである。少なくとも、大の大人が口にすべきものではない。(といって、子供なら言ってもいいというものではない)
*考古学者の天敵
次項に示したように、著者は、考古学者全般に強い偏見を示しているので、考古学に関する発言は、一切、絶対に信用できないのである。
「証言」と称しても、証人が偏見に満ちていて、発言が不正確とわかっていたら、端から、証言は許されないのである。「証言」は、資格審査が証人の資格を確認した上で、証言台に立てるものである。通りがかりの野次馬の無責任な不規則発言は、無視されて当然なのである。
ここに不意打ちで登場する「天敵」は理屈抜きの「捕食者」であるから、論議の埒外である。現代文明に食人の風は無い。
そもそも、一人二人ではない考古学者全体の意見を、一人の、どこで出たかもわからない発言から読み取れるはずがないが、著者は、何故か、でかでかと取り上げて不思議である。ここまで書いたように、著者の日本語読解力は、ほぼゼロであるから書いたものも信用できないのである。その判定が、また裏付けられたと言うだけである。
未完
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