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2021年7月

2021年7月27日 (火)

今日の躓き石 幻滅した卓球 金メダリストの暴言~悪疫「リベンジ」の蔓延防止を願う

                        2021/07/27

 本日の題材は、昨日、東京オリンピック卓球競技混合ダブルスで金メダルを獲得した直後のインタビューでの「リベンジ」発言である。何しろ、当人のナマの発言であるから、さすがのNHKもそのまま放送したのである。

 それにしても、オリンピックで最初の卓球混合ダブルスでの優勝談話であり、いわば、前人未到の偉業で、前回大会での敗戦などないのに、いきなり、『これで、「リベンジ」をやってのけた』、つまり、「過去の恨みの仕返しに血祭りに上げた。ざまあ見ろ」というのは、何重もの意味で、不謹慎であった。

 まずは、全国で応援していた視聴者の祝福に対して、今回の勝利は、金メダルより何より、個人的な復讐がすべてだと語っているのであり、不謹慎極まりない。パートナーも、これではたまったものではない。どうして、世界中に向けて、いきなりぶちまけないと、気が済まなかったのだろうか。

 もちろん、さらに不謹慎なのは、あからさまに、スポーツの場に、血なまぐさい「復讐」を持ち込んだことである。これではまるで、オリンピックが、血で血を洗う復讐の場だと言っているようなものである。今回「血祭り」に上げられ、晒し者にされた銀メダリストは、国の威信の回復と共に、血なまぐさい復讐戦を至上の使命として仕掛けられたようなものである。まるで報復の連鎖で血で血を洗うテロリストの世界である。
 いや大げさに言っているのではない。世界に蔓延している「テロ」は、「リベンジ」を合い言葉に延々と報復合戦しているのである。
 だから、心ある宗教人は、キリスト教などの教えに基づき、「リベンジ」を絶対的な禁句にしているのである。そんな中、異教徒であり、不謹慎な卓球選手が、国際的な報道も想定されるインタビューで、「リベンジ」を誇らしく口にしているのを聞くと、「なぜ、誰も野蛮な言葉遣いを直さなかったのか」と悲しいのである。

 遡って言うと、オリンピック精神を無視して、闘志、さらには、敵愾心を掻き立てて、敵を倒すことが、金メダルへの道だと勘違いしているようである。いや、これは、選手一人の問題では無い。国内スポーツ界全体の持病となっているように見えるのである。

 今回の暴言が、何事もなく聞き流されることを願う一方、本人には、これを機会に、金メダリストの言葉の重みを考え直して欲しいものである。何より、ヒーローの言葉は、世界のこどもたちが、真似するのである。世界一の金メダリストには、世界一の心と言葉を望みたいのである。

以上

2021年7月22日 (木)

新・私の本棚 安本美典 季刊邪馬台国 第12号 魏晋朝短里説批判 1/1 補充

  梓書院 昭和57年春号 (1982/5発行)
私の見立て ★★★★★ 必読       2019/07/18 補充 2021/07/22

*地域里論の嚆矢
 当方の倭人伝里制に関する行脚は、ようやく、原点回帰できたようです。当記事によれば、安本美典氏の「地域里論」に対して、古田武彦氏は、(後に)「魏晋朝短里説」に固執し、今日に到る不毛な論争が始まったようです。

 当方も、両氏の確執を含め、道里論の混沌を避けていたため理解が深まらず、十年余の停滞の果てに、ようやく短里説論争の原点を見極めたのです。
 倭人伝記事という原点から発して、安本氏は、史料のもとに足を留めたのに対して、古田氏は、こころの命ずるままに荒野に足を踏み出したのだなと、感慨ひとしおです。後年の熾烈な較差を思うと、別れ道は僅かな見解の相違だったのです。そして、この件に関して、当方は、安本氏の行き方を支持するものです。

*短里説内紛の経緯
 安本氏は、いち早く、倭人伝道里は、中国の四百五十㍍程度の普通里でなく、せいぜい百㍍程度の短里と検証しています。(先行者を認めた上で)
 古田氏は、「三国志一貫里制」を信奉した「三国志短里説 」から、魏朝が公布した「里」が、後継の西晋まで継承されたとの「魏晋朝短里説」に道を採ったのですが、今日に到るも、そのような公布施行を証する資料は見出されていないのです。
 安本氏は、一貫して、帯方郡から倭までの行程に限定した「地域里制説」を唱えたのですが、古田氏が拡張した「魏晋朝短里説」の論争が激化し、氏の正当な説は影を潜めたように見えます。

*一解法の提案
 当方は、本記事に先立ち、倭人伝に即した一解法を提示しました。
倭人伝記事は、帯方郡人士によって、帯方郡の地域事情を根拠として書かれたため、独特の「地域里制」によって書かれた可能性が否定しがたいこと
魏書編纂にあたり、倭人伝道里は、整合不可能であったため、冒頭で、独特の地域里制を用いたことを「地域里制」として明示していること
 具体的に言うと、「郡から狗邪韓国まで七千余里」と帯方郡拠点への里数を明記し、「地域里制」の校正を可能にしているのです。

 陳寿は、編纂に際し、「地域里制」の確証が得られなかったため、史官としての本分に順い、普通里制との整合は保留し、倭人伝自体の整合を第一義としたのです。

 それにしても、未だに、魏使は洛陽人士と誤解している論者が、頑迷に地域道里に反対し、「誇張説」、「虚構説」が跳梁跋扈し、議論が収束しないのです。論拠が砂上だと、いくら堅固な論考を立てても、空しいのです。

*史実で無く、真意の究明~最初の一歩
 倭人伝解釈は、史実の究明と解している向きが多いのですが、当方は、まずなすべきは、陳寿の真意の究明との視点から、所論を公開しています。つまり、陳寿が、倭人伝を書いた際に構想した里制を、倭人伝記事から解明するのが、第一義なのです。

 それは、必ずしも、当時、現地で通用していた里制とは限らないし、まして、魏朝治世下の全土に施行されていた里制とも限らないのです。

 込み入った課題は、少しずつ解きほぐすのが最善策で、苛立って、一刀両断してしまう武断策は、この際、辛抱が足りないのです。

*論争終熄の提案
 八十年代冒頭の時点で、安本氏は、史料に即して倭人伝の「地域短里」制を提示しましたが、②「地域里制明示」指摘を備えなかったため、折角の正解が、古田氏の「魏書統一里制」なる、いらざる拡張に抗し得なかったとみえます。

 古田氏は、「物証より論証を信念とした」ため、正論とした短里説拡張に対する反論には一切歩み寄ることがなく、用例検証の泥沼にはまったようです。氏の急峻な論法は、支持者と共に反論者も硬化させ、全三国志の用例を総覧して、逐一、それぞれの「里」を考証するという聖戦のごとき泥沼は今も続いています。
 しかし、複数件の不確かな用例を緻密に検証しても、それは、それぞれ一個の用例における「里」長を証するに過ぎないのです。帯方郡に「地域短里」があったという主張に対して、別の地域で、別の「地域里制」が横行していたかも知れない、と言う「不確かな」主張に過ぎないから、何件集まっても、倭人伝の明記された記事を覆す効力は無く、論議は一向に進まないのです。いや、進展させる方法があれば、とうに進展していたはずで、進展しないのは、歴史の必然と言うべきです。

 古田氏の言うとおり、不確かな物証は、数多く集めても、不確かなままであり、確かな主張にはならないのです。

 国の土地制度の根本である「里」の六倍規模の伸縮は、国政を揺るがす大事なので、皇帝に上申されるまでに多大な審議がされるはずであり、例え皇帝が「里」の大幅変更を裁可しても、その実施に際しては、多数の制度変更と全土における大規模な「土地台帳」改定、それには、多大な計算が必要となるのですから、とても、ひっそり実施するわけにはいかないのです。

 そして、そのような魏朝の短里制布令・施行の裏付け史料も、晋朝の里制復元の布令・施行の裏付け資料も「皆無」です。何より、正史晋書地理志にも、何の記載も無いのです。


 古田氏の「魏晋朝短里説」評価で言うと、四十年近い歳月を消費した「魏晋朝短里説」の終熄ができないため、古田氏の諸論が、まるごと「頑迷な異説」の箍をはめられているのは、公的な損失です。いくら古田氏の提言の主眼であろうと、これを神聖不可侵とするのは、必ずしも、古田氏の遺徳を高めることにはならないのです。

 そして、安本氏の正論が、うやむやのうちに、諸説の玉石混淆の泥沼に埋もれているのは、残念の極みです。安本氏は、一刀両断で、魏晋朝短里説に引導を渡し、葬り去ったとお考えなのでしょうが、一向に、明解になっていないのです。

                                完

2021年7月19日 (月)

新・私の本棚 番外 NHK 英雄たちの選択 「古代人のこころを発掘せよ!!」 1/3

私の見立て ★★☆☆☆ 「フェイク」蔓延の予兆 2021/07/19

*NHK番組案内
[BSプレミアム] 2021年07月18日 午前11:58 ~ 午後1:57 (119分) (参考:NHKオンデマンドで配信中)
 私たちの遠い先祖たちは、何を考え、どう生きたのか?縄文・弥生・古墳、3つの時代をめぐり、最新の発掘や研究成果から“古代人のこころ”に迫る2時間スペシャル!
 出演者ほか 【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】松木武彦,荒俣宏,いとうせいこう,中野信子,【語り】松重豊

 詳細:個性的でミステリアスな姿が大人気の「土偶」。その顔の表現の変遷から縄文人のどんな心理が読み取れるのか?弥生時代の「テクノポリス」と驚きの「海洋経済ネットワーク」とは?カラフルな幾何学模様で埋め尽くされた「装飾古墳」には、人々のどんな心情が投影されているのか?縄文・弥生・古墳、3つの時代をディープに掘り下げ、現代の日本人にもつながる”古代のこころ”を探求。ロマンあふれる古代史の魅力をひもときます!


⚪初めに
 「古代人のココロ」を探る番組の新版である。「縄文・弥生・古墳」と列記されているが、一括して論じられないし、並記比較できるものでない。「最新の発掘や研究成果」は、検証不明であり、NHKの勝手な報道とも見える。
 貴重な受信料を投入して大騒ぎしているのは、何とも勿体ないことである。
 再放送を通し見の批判で、練れていないので、先行番組の批判記事と食い違ったらご勘弁頂きたい。

⚪通し批判
1.「縄文時代」
 まずは、縄文人の心に迫った構成である。何しろ、一万二千年にわたるらしいが、文字記録が皆無なので、憶測、推測に頼るしかない。
 当世人のこころと縄文人のこころは、明らかに、大いに異なっているという見通しを立てたはずだが、文化の刷り込みの違う異邦人まで交えて、縄文遺物の見てくれに対する感想を求めて、科学的論議としているのは不審である。
 追いかけて、磯田氏が、縄文土器の造りは、求めているもの(コンセプト)が、現代人の求めるコンセプトに通じないと主張して毒消しのようである。

2.「弥生時代」
 続いて、弥生人であるが、特徴として木製遺物の出土を言うが、縄文時代の木製遺物の出土有無がわからないので、比較になっていないように思う。
 稲作が大陸から渡来したというが、水田稲作は、地域ぐるみの共同作業であり、稲作技術を備えた集団が、各戸で必要な農機具や物差などの補助具、稲作開始に必要な稲もみなど一財産を携えて大挙渡来したことになるのである。
 当然、原住の縄文人を押しのけたと見える。互いに言葉が異なるから、土地を譲り合うことは、困難と思われる。つまり、紛争が想定されるのである。
 番組では、水田稲作集団は、技術者集団を伴ったと言うが、それなら、中国の小国中核部が、父祖の墳墓を棄ての移住と見えるが、考えにくい。

*「奴国」~「テクノポリス」幻想
 それにしても、仮想された「奴国」は、時代を超絶する技術を持っていたことになる。それほど隔絶した大国が、なぜ。歴史の中に消えたか、よくわからない。後漢初期に認知されたなら、魏代にも、後継王朝かどうか確認したはずである。説明がないということは、倭人伝の「従郡至倭」の目的地かと思われる。
 番組では、原住の縄文人が、渡来技術を使いこなしたとしているが、言葉を知らず、数を数えられない縄文人が学ぶのに、うまく行ったとしても、数世代を要するはずである。
                                未完

新・私の本棚 番外 NHK 英雄たちの選択 「古代人のこころを発掘せよ!!」 2/3

私の見立て ★★☆☆☆ 「フェイク」蔓延の予兆 2021/07/19

*人工技術の幻妄
 磯田氏は、「不自然」な人工技術の新規性を賛美するが、先ほどまで縄文原住の者のココロを讃えていたのが急転直下で、人のココロは「豹変」と言いたいのか。

*カタカナ言葉の幻妄
 番組は、挙って生煮えのカタカナ語で新技術を褒め称えるが、当時、そのような言葉の価値観はなかったから、諸氏の内面の「幻想」に過ぎない。磯田氏は、しきりに、世界観、価値観の突出を語るが、もし、誰かがそのような意識変革をしても、伝わるのは至近距離に過ぎないのを忘れてはならない。
 当時は、この番組はないから、語られている世界観は、知りようがなかったのである。ここにあるのは、同時代に存在しない別世界の言葉である。

*墳丘墓談義の序奏
 歴博杉本氏は、弥生墳墓は、高い盛り土と決めているが、倭人伝記事では、封土に過ぎない。高塚は、堅固に石積みしないと、成立しないのである。氏の専門分野らしく滔々としているが、素人向きに言葉を改め誰でもわかるようにして欲しいのである。格闘技ではないのでキメ技名乗りは必要無い。

*硯新規発見
 そこに、文字利用の萌芽が、硯の出土によって裏付けられたという。しかし、従来発掘で、硯が出土していなかったとは、確信できないのではないか。
 先に描かれた技術者集団は、いかにして高度技術を伝承し、加工方法、加工手順を普及させたのだろうか。口伝だけだったというのだろうか。
 そのような高度な技術で、生産量を増やした稲作を、周辺に広げる際に、どのようにして、高度で握雑な新規が普及できたのだろうか。

*「ネットワーク」時代錯誤の怪
 中国銅銭出土を根拠に玄界灘を中核とする船舶「ネットワーク」なるカタカナ語を押しつけてくるが、浅はかな勘違いに過ぎない。海村は近隣海村と交流したまでで、乗り継いで遠隔の海村と連携したとは見えない。文書通信も高速大量輸送も無い時代に、カタカナ語を塗りつけた幻想戦術は畏るべきである。

*文書行政・貨幣経済の輸入
 磯田氏は、海村の民が、中国統治システムを帯方郡で学んだというが思い込みに過ぎない。郡からは通貨を学んだのではないか。等価物々交換に銅銭なる指標を取り込み、市場相場に応じた市糴、古代の市場経済というものである。
 そして、多数の留学生を派遣したり、先進国の高官を招請したりして、初めて、高度な文書行政国家が創設できたのは、歴史の示すところである。

3.「古墳時代」
 ここまで、九州北部、玄界灘の視野であったのが、突如、纏向箸墓を端緒とする百舌・古市古墳群に大きく飛躍するのが、当番組の離れわざであるが、今回は、なぜか関東が皮切りである。父祖の墓地を近郊に設けて命日に偲ぶのが日本人のこころのはずだが、関東古墳葬礼を描く。地域支配者の務めは、各集落への水分(みずわけ)であったと示している。整合しているのか不明。

*「馬」の導入~偉大な改革、謎の連発
 「関東」の支配者は、いち早く「馬」を採り入れて、地域の権力を支配し、ヤマトと交易したとの見解である。馬の繁殖と訓練には、先進地域から多くの技術者と成馬の導入が先決であるから、その由来は謎である。歴史上実現されたのは間違いないから、その歴史の証しが残されていないのを悼むだけである。
                                未完

新・私の本棚 番外 NHK 英雄たちの選択 「古代人のこころを発掘せよ!!」 3/3

私の見立て ★★☆☆☆ 「フェイク」蔓延の予兆 2021/07/19

*関東の独立性
 当時、ヤマトは、関東を権力支配していなかったとは。素直な考証である。
 ヤマトが、墳丘墓を構築する技術者を、関東に派遣したとしたら、精々、工事請負だったということのようである。関東は、例えば、鹿島神宮の影響力で、会津方面にまで進出していたから、その技術が伝播したかも知れない。
 往き来するのに一年以上かかるヤマトが、例えば、関東の北の会津に影響力を及ぼせるものではないのであるから、当然の推定である。

*神がかりの高上がり
 そこで、突然神がかりの発言があって、「突出して高いもの、大きなものは、人々の理性を麻痺させた」と称しているが、根拠も意義も不明である。古来、奈良桜井の三輪山は、親愛と尊敬を受けていたはずである。麓に小山を築いて尊崇の念を奪おうとしたと言うが、賛歌を献げる歌人は出たろうか。
 荒俣氏は、「遠近法」に基づく錯覚/妄想を提案しているが、現代人の妄想を当時の人たちは知らなかったから、趣旨が不明なのである。

*史実の取り違え
 因みに、磯田氏は、ニューヨークの自由の女神を、アメリカのモニュメントとしたが、実は、仇敵イングランド王国から果敢に独立する努力を支援したフランス共和国が、両国の盟約を記念した贈り物/モニュメントである。場違いである。

*虚空のモニュメント
 松木氏は、墳丘墓を媒体(medium)にヤマトのココロを全国に発信したように言うが、金輪際物理的に成立し得ない妄想であり、各地が同調し共感しなければ「送りっ放し」で何も伝わらない。せめて、武装伝道師を派遣して手足と汗で稼ぐものではないか。
 それにしても、莫大な労力と物資の投入を、口答で指示したとは、まるで呪術である。いや、ここだけの話ではないが。

*横穴式石室の革新性~中国史料に記載なし
 横穴式石室の工法革新を掘り下げていないが、墳丘墓造成方法変革は、技術確立に要する試行錯誤を思うと、いずれか、先進地で確立された技術を身につけた技術者集団が渡来したと見るべきである。番組では無視されたが、横穴工法は、平地に墓室構築して石詰み盛り土で埋設した合理的工法と見える。
 墳丘頂上まで機材を持ち上げて掘り下げ埋設する素朴な技術とは雲泥である。そもそも、頂上は風雨や地震被害を受けやすく耐久性に疑問がある。
 後世の石舞台を見ても、巨石墓室に盛り土したのは明らかで、何れかの時点で、設計思想が「進化」し旧弊は淘汰されたと思うのである。

*墓誌の無い貴人墓の怪
 墳丘墓は大陸由来と言うが、貴人の事績を墓誌に残していないのが不審である。曹魏では、薄葬により墳丘を廃したが墓誌は必須である。なぜ、「日本」は、葬礼の必須事項を学ばなかったのだろうか。
 他の番組では、文書考証に弱いことを露呈した松本氏であるが、先行と思える遺跡考古学で、学識を出し惜しみしているように見えるのである。

*先入観の無い解説を求む
 結論を言うと、古代人とココロが通じている気がするのは、現代人の先入観で遺物、遺跡をこね回しているからであり、出席者は、一連の古代史番組を通じて何も学んでいないし、何も視聴者にもたらしていない気がする。
 それにしても、ここにしばしば展開されたような、現代人視点に汚染された歴史観は、後進/若者達は元より、後世に伝えたくないものである。

                                以上

2021年7月17日 (土)

倭人伝随想 「道里条」(仮)による道里記事解読の試み 改 1/3

                    2019/09/20 改訂 2021/01/15 2021/07/17
□お断り
 当記事は「倭人伝」の道里記事(道里条)を理解するための手掛かりとして、国別記事を「対馬条」などと見なしたので、条が小分けの階層です。

□倭人伝「道里条」(仮称) 考察
 郡から「倭王之所」に至る行程道里の里数と所要日数を書いた記事は、条仕立てと見ました。国別記事は、位置、官名、戸数を旨としています。

 最初の三条は通過点、四条目「伊都条」は、倭の要地(扇の要(かなめ))伊都を発して傍路国への脇道を示す道標記事と当該国の官名、道里が列記され、さらに、目的地「倭王之所」に着いて、所要日数と全国戸数を確認し、小国列記の後、「自郡至女王國萬二千餘里」で完了です。

 なお、⑷伊都条の小分け記事である①奴国条、②不弥条、③投馬条の三項は、さらなる小分けのように書いてみました。

 因みに、「道里」は古来、地点間の道のりを「里」(道里)と明示したものです。辺境で道のりが計測できない場合、所要期間を示したものと見ます。まことに、合理的な、土地事情に応じた制度運用と思います。

 ということで、目下焦点を当てている「道里」条を、とかく誤解の生じる概念図(イメージ!?)でなく、純然たる文章形式で示したものです。倭人伝記事の編集過程では、こうした記事構成の推敲を重ねに重ねた苦心の構成と想定されます。

〇道里条 特製版 (紹熙本原文に無い条名、改行、箇条記号を追加)
 從郡至倭 循海岸水行
 歷韓國乍南乍東
 到其北岸狗邪韓國 七千餘里

⑴対馬条(對海国)
 始度一海千餘里 至對海國
 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離
 所居絕島 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑
 有千餘戶
 無良田 食海物自活 乖船南北巿糴

⑵壱岐条(一大国)
 又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國
 官亦曰卑狗副曰卑奴母離
 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家
 差有田地耕田猶不足食亦南北巿糴

⑶末羅条(末羅国
 又渡一海 千餘里 至末盧國
 有四千餘戶
 濵山海居 草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺皆沉沒取之

⑷伊都条(伊都国)
 東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚柄渠觚 有千餘戶
 世有王 皆統屬女王 國郡使往來常所駐
 以下三項目は、条の態を成さない、はしたの挿入句です。
  ①東南至奴國  百里 官曰兕馬觚副曰卑奴母離 有二萬餘戶 (奴小条)
  ②東行至不彌國 百里 官曰多模副曰卑奴母離 有千餘家  (不弥小条)
  ③南至投馬國 水行二十日 官曰彌彌副曰彌彌那利 可五萬餘戶(投馬小条)

⑸南至  (邪馬壹国とあると、ご不快の方もあるでしょうから、配慮しました)

 南至邪馬壹國女王之所   (「都」を次行に移動)
  邪馬壹国は、国邑、つまり、「王之所」、居所、居城を隔壁で囲む聚落です。国も邑も、古代中原用語です。
  (一千家程度にとどまる小振りの国邑です)
  中原で国邑は土や石の城壁で囲まれていますが、邪馬壹国は、中州の島、洲島ではないので海でないとしても、環濠や城柵で囲まれています。

 都水行十日陸行一月
  「都」は、ここでは、全て、と言う意味であって、「みやこ」と云う意味でもないし、「まち」と言う意味でもないのです。
  つまり、郡からの所要日数を明記しています。
  倭は、蛮夷の国であるので、都(みやこ)は存在しない。正史の書法です。

  官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮
  可七萬餘戶 (小国列記を省略)

⑹道里総括 
 自郡至女王國萬二千餘里
 「都水行十日陸行一月」、つまり、行程日数四十日に対応する、郡から倭に至る「全体道里」ですが、実際の道里に基づいたものでないのは、明らかでしょう。
 ともあれ、行程の千里単位で書かれた「主要道里」は、この総計道里に辻褄を合わせたものです。百里単位の端(はした)は、対象外です。

                              未完

倭人伝随想 「道里条」(仮)による道里記事解読の試み 改 2/3

                    2019/09/20 改訂 2021/01/15 2021/07/17
〇諸国銘々伝
⑴対馬条考~原文解釈の試み
 さて、対馬条「無良田」について軽重様々の誤解がはびこっています。
 良田を良い「水田」と解するのは可愛い方です。中国語の「田」、水田、畠を含んだ農地との意味は明白ですが、わざわざ「良田」無しと言う意味が捉えられていない気がします。
 現代感覚で言うと、痩せた農地で収穫不足、食べるに事欠いています、という声に聞こえますが、書かれた時代と場を考えないといけません。
 これは、対馬領主が、免税を願っているのです。農地はあっても、租税を納める収穫がないから、「良田」として報告できないと言い訳しているのです。
 一畝(ほ 百平米程度)を面積単位として基準収穫量を決め込まれ、その例えば半分を国が取り立てるとすると、収量が少ない耕作者の取り分がなくなって困窮するから、「無良田」と書いたのです。
 「禽鹿径 」を「けものみち」と「現代語訳」するのは、時代錯誤を招く安直な「誤訳」です。道でも路でもないのは、車の轍も、馬や牛の蹄鉄の後もなく、起伏をつづら折れで緩和していないことを言うのです。
 乗り換え、積み替えでしょう。「径」とは、「道」でも「路」でも無い「抜け道」のことなのですが、恐らく峠越えのごく短い乗り継ぎ径(みち)、峠越えの抜け道を「禽鹿の径」 と言うのでしょう。
 つまり、それ以外では、日常の市糴の荷運びがあるので、そこそこ整備されていましたが、当たり前のことは書く必要がないので、省略しているだけです。

*免税の里
 魏朝公文書である倭人伝対馬条に、特に「無良田」と書かれたということは、対馬は魏朝に(永代)免税を認められたということです。
 俗説のように、常々食うに事欠いていると解すると、対馬は、食糧難によって低迷していたことになりますが、そうでしょうか

*市糴考~壱岐、対馬の繁栄
 対馬条に、対馬の南北市糴が明記されたのは、対馬が自ら海船を造り、漕ぎ手を養い、壱岐、狗邪(韓国)との間にそれぞれ、定期便を往復させ、海港に倉庫を設け、定期的に市を開いていたのを、簡潔に記録したものです。
 こうした市糴から得られる食料は潤沢で饑餓はありません。中原制度にない商業活動による収入で、対馬はむしろ繁栄していたと見られるのです。
 倭の一員ではない狗邪韓国でも、港の倉庫と海市は、対馬官員が仕切ったはずで、これも、とても饑餓地獄の者のできることではありません。

⑵壱岐条考
 ここで、(土地)多竹木叢林と書いているのは、別に街道が叢林に埋もれていたというわけでは無く、宿から見ると、小高い丘に竹木叢林が繁茂していたと言うだけです。洛陽付近で見られない景観なので特筆しています。帯方郡からの道中も、半島の産地が多かったので、竹木叢林繁茂ではなく物珍しかったのです。

 街道が、対馬条にあるような峠越えの抜け道「禽鹿の径」かどうか明記していませんが、一大国内は、さほど、険阻な道でなく、日常の市糴の荷運びがあるので、そこそこ整備されていましたが、当たり前のことは書く必要がないので、省略しているだけです。いや、荷物搬送にわざわざ、山道を行くはずはないのです。 

*南北市糴送り継ぎ
 末羅国以降、市糴を書かないのは、当然だから、特記していないだけです。言うまでもなく、対馬だけで南北市糴できるわけはなく、港ごとに送り継いで海峡を越える市糴を各国一丸となって維持していたのです。

 また、一大国は、南北以外にも、東西に市糴していたはずです。よく言う日本海岸交易は、一大国(実名は、「天国」(あまくに)か)に発していたでしょうが、漕ぎ船では、一貫運用は不可能、無茶であり、あくまで、港々の送り継ぎだったのです。

*一大国方里の意義(對海国も同様)
 この場での論証は略しますが、一大国「方三百里」は、農地面積であり、三百「平方里」程度、ほぼ十七里角であり、住民が三千許家でも、農地閑散で貧困なのは記事の基調と符合しています。 (「九章算術」準拠)

 東夷伝高句麗、韓の「方数千里」は、両国の国土全面積(測量不可能)を表示したものではなく、農地面積の申告であるように、両島の「方数百里」は、両島の面積(測量不可能)を表示したものではなく、農地面積の申告なのです。

 いや、ご不満の方もあるでしょうが、道里なら、道里で表示したはずであり、表記が違うのは、単位系、次元が異なるためと考えます。

                              未完

倭人伝随想 「道里条」(仮)による道里記事解読の試み  改 3/3

                    2019/09/20 改訂 2021/01/15 2021/07/17
⑶末羅条考
 「濵山海居 草木茂盛 行不見前人」と字数を費やしているのは、海岸近くと内陸の様子が異なっていたということでしょう。

 まずは、海に近いところまで小屋があって驚いたのでしょう。玄界灘は、干満が激しく、また、風濤が押し寄せるので、海から遠いところに住まいそうですが、漁民は、結構海辺に舟小屋を建てたようです。中原はもとより、郡管内でも、このような光景は見かけなかったのでしょう。
 といって、末羅国は四千戸あり、耕作地を与えられた「戸」は、収穫物貢納の義務があったので、本拠は内陸にあって、半農半漁だったようです。
 ここでも、草木繁茂が見て取れます、労役動員の街道整備で切っても切っても生えるので、冬季以外は、草に埋もれかけていたのでしょう。

*沈没談義
 「沉沒取之」は、魏使にそう見えただけで、別に、素潜りで海底まで潜っていたわけでは無いはずです。中原で「沈」は、胸あたりまで「みず」にはいって、恐らく、脚をかいて進むか、バタ足で泳ぐだけで、潜水したとは限らないのです。誤訳、誤解の可能性濃厚です。

 中原に河川はあっても、さほど漁業は行われず、潜水漁業は皆無と見えるのです。少なくとも、魏使のような士人は、農林水産業のような一次産業に汗かきして手を汚すことはないので、正確な観察かどうか怪しいのです。
 多分、「金槌」だったでしょうから、水(みず)には、一切近づかないようにしていて、行程の渡海では、船酔いでのびていなければ、船の揺れの止まらない旅に震え上がっていたものと思われます。

 いや、いくら、地元の漁民でも、ゴーグルも何も無しに、潜水して、海底のアワビの採取などできなかったのではないでしょうか。恐らく、浅瀬で漁業に勤しんでいたのでしょう。
 産物の干し魚を広く売るには、煮干しが必要で、家族総出で、はらわたを取って、湯で加熱した後、天日乾燥で干物造りに励んだことでしょう。

⑷伊都条考
 伊都国には、以上のような風俗記事はありません。倭を代表する権威を持ち、街道、宿駅は、ちゃんと整備されていて苦言は無かったのです。

 戸数一千戸ですが、これは、さほど農地はなく、従って、「人口」は多くても、耕作している農民は少なかったということです。国の運用を担う官人が多くても、一種公務員待遇であり、課税されず、兵役、労役も免除されけていたものと見えます。それが戸数の意義です。
 何しろ、中国風の環濠などで囲まれた国邑であれば、一千戸単位の国しか考えられないのです。

 伊都は、韓国と文書交信していましたが、伊都に届けば倭に届いたと見ていたことがわかります。以後、伊都から女王之所までの送達に時日がかかっても所要日程に数えないし、その間の道里はあげないのです。
 いや、千里単位の概算計算に、百里や二百里は、はしたに過ぎないし、四十日の日程で、一日やそこらは、想定済みなのです。洛陽の皇帝にも、下読みする鴻臚にも、東夷の細々した辻褄合わせなどに関心はないのです。

〇各国条の意義
 以上の考察から道里条の主旨が一貫していると見るのです。それとも、特に主旨無しに書かれたのでしょうか。一度考えてみてください。

▢余談ー暴言の人弾劾
 古代史学界には、頭のネジが外れた大家がいるようで、『対馬は「人身売買」で食料を手に入れていた』と暴言を吐いたようです。「人身売買」は、浅慮の言い間違いで「人売り米買い」でしょうか。人を買ったら口が増えます。

 それにしても、不合理極まる暴言です。全島飢餓の時、口減らしするのでしょうか。手が減ると、農林水産全てが衰弱し、遠からず若者はいなくなります。「ファクトチェック」などと言わなくても、自分が言うことは、念には念をいれて、とことん裏付け取りすべきです。特に、罵倒どころでなく、刑事告発に近い発言は、絶対に、絶対を重ねてから発言すべきだし、そもそも、そのような「告発」実は「誣告」を公(おおやけ)にしてどうしようというのでしょうか。名誉毀損で告発されたらどうするのでしょうか。

 実際は、豊富な海産物もあり、さらに、交易で食っていけたのです。両島は無良田免税で穀物を備蓄し、異常気象の不作にも強かったはずです。

 頭のネジが不安な人は、弾劾される前に講演を辞退すべきでしょう。まさか、無償で講演したのではないでしょうから、「倍返し」、「三倍返し」と言われても反論できないでしょう。

                               以上

2021年7月14日 (水)

今日の躓き石 NHK BSで蔓延する用語の乱れ 「将棋倒し」「コロナ」

                         2021/07/14

*ささやかな、軽率な、言い間違い
 今日の題材は、NHK BSの「ワールドニュース」であるが、海外ニュースの語りで「将棋倒し」には恐れ入った。

 国内ニュースの報道ですら、将棋連盟の懇望で、「将棋倒し」は廃語になったはずである。もちろん、現に将棋駒を立てて、「将棋倒し」して遊んでいるのは、その通り報道するしかないのだが、(人出で大勢が倒れて死傷者が出たような場合)災害報道で、「将棋倒し」は、是非とも勘弁して欲しいとの公式要請があって、各報道機関は納得したはずである。

 今回は、海外ニュースの枠なので、現地に「将棋倒し」遊びはないから、無神経な場違いである。このような無頓着な問題発言が、BS番組の語りに出てしまうと言うことは、NHKもたるんでいるとしか思えない。

*悪用放置の事例
 それはそれとして、とてつもなく大きな問題に素人が口を挟むのは「越権」として控えていたのだが、長らく、誰も表立って発言していないようなので、素朴な意見を述べておく。
 言うまでもないと思うが、「コロナ」は、トヨタ自動車の主力車種の愛称であり、つまり「商標」なのである。不都合であることの説明は、不要である。
 NHKは「商標」を放送で使わない禁制があった(今でもあるはず)と思うのだが、トヨタ自動車は、爾来、主力車種名をCOVIT-19の「愛称」に転用されているのである。いや、もちろん、NHKだけの手違い、間違いではない。今や、この国では、「コロナ」は邪悪なものとなっているのである。これは、迷惑などで片付くものではない。

 比較的早い段階で、WHOがCOVIT-19と「命名」したので、世界的には、商標権抵触が懸念される俗称「コロナ」は終熄したのだが、日本は別の動きに固執しているのは、奇異である。

 このような基本的な不都合に対して、何の説明もないから、今後とも不都合な事態の是正はされてないのだろうが、当事者たるトヨタ自動車は、自社商標を踏みにじられて、なぜ厳重に抗議せずに済ましているのだろうか。誠に不可解である。既に、「コロナ」は、商標として無効になっているように思うのである。
 いや、被害は発生して取り返しがつかないから、何を言っても手遅れであり、この先は、被害は発生しないという意味である。
 素人目には、重大な事件だと思うのだが、どうなっているのだろうか。

以上

2021年7月11日 (日)

今日の躓き石 NHKBSにはびこる低級失言 国際「同級生」と明日のない「フューチャー」

                             2021/07/11

 今回の題材は、大谷選手をはじめ「大リーグ」に挑んでいる名選手達の活躍を伝えてくれているNHK BSのMLB中継であるが、言うならば、スポーツ中継の最高峰に似合わぬ失言があったので、以後の戒めにしていただきたいと思い、ここに苦言を述べていくことにした。

*大洋を越え、月日を超えた「同級生」
 今日は、登板日でも無いので、打席の巡ってくる合間の時間塞ぎのネタ切れで注意が散漫になったか、”大谷選手とチームメイトが、誕生日の近い「同級生」”だと、とんでもない失言があったのである。

 この際だから、丁寧に確認しておくと、合衆国では、学校の新学年は、9月に始まる。一方、日本では、4月が新学年である。ずれているなどと言うものではない。
 つまり、完全に外れているので、両者は、端から、「同級生」どころか、「同学年」にもならないのである。変に言葉をこね回さなくても、「同年」とか「同期」と言えば、それで済むのではないか。こうした国際的な話題で、知ったかぶりするには、学年開始時期が、各国で一致しないことは、忘れてはならないことだと思うのだが、どうも認識が行き渡っていないようである。
 と言っても、ことは、NHKの独占でなく、全国紙の文化面の各国囲碁界の話題で、でかでか、ぞろぞろ紙面に出たりするので、ことさらに警鐘を鳴らすのである。

 元に戻って、高校で同窓でも、学年が違えばクラスが違うし、同学年でも学級、クラスが同じとは限らない。よほど調べない限り、あるいは、当人に確認しない限り、「同級生」とは言えないのである。
 このあたりは、半人前の芸人の低級の失言が世にはびこって、ほとんど社会問題になったが、まだ、この地上から撲滅されていないので騒ぎ立てるのである。

 それにしても、NHKのアナウンサーが、このような馬鹿馬鹿しい、札付きの「バチネタ」(罰当たりなボロネタ)を温めていて、最高の舞台でボロっと口にするというのは、信じられないものである。

*「フューチャー」の怪 
 それにしても。今回の中継は、大谷疲れの谷間なのか、大谷を「フューチャー」するMLB制作動画などと「迷言」もあって、何か、長時間出ずっぱりで、寝ぼけたかという感じである。NHKは、イニング間の息抜きがないので、お疲れなのだろうが、ご自愛頂きたいものである。30分に一回、番宣を挟むとか、配慮して頂きたいのである。視聴者も、かじりついているわけではないのである。

 それにしても、このように日本語の発音/表記と縁遠い言葉をすらりと口にするのは。日頃の鍛錬の賜物かと思うのである。きっと、「若隆景」(わかたかかげ)も、力まずにさらっと発音できるのだろう。

 もちろん、NHKのアナウンサーの手元には、沢山のネタの収まった玉手箱があると思うが、勘違いだけでなく、ネタの賞味期限切れもあると思うので、時に、冷静に点検いただくのも一案である。

*NHKは、最後の砦
 民放の中継アナウンサーは、その場の思い付き、勝手な造語で、無邪気な視聴者の注意を引くのが定職なのか、言うのも馬鹿馬鹿しいほど放言が多いのだが、NHKのアナウンサーは、十分な訓練を受けた名人揃いと思うので、ここに、一言苦言を述べるのである。
 未来を担う子供達に、たわけた言葉を遺さないで欲しいのである。

以上

2021年7月 8日 (木)

今日の躓き石 囲碁界に怨念復讐の渦~毎日新聞の「リベンジ」蔓延拡大 再説!!

                           2021/07/08

〇再三の蒸し返し御免
 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊14版総合・社会面記事であり、トップ記事である。「カド番から偉業」と大見出しにあるように、最終局の結果報道であって、全手合いの総括であり、本因坊の普及を頌えていることに何の文句もない。

 ここで取り上げたのは、文中の転換点で、「リベンジマッチ」なる異様な造語が飛びだして、以下、挑戦者視点で語られる回顧である。つまり、伝統の挑戦手合いが、挑戦者にとっては、個人的な復讐戦に過ぎなかったという決めつけであるから、穏やかでないのである。

 何しろ、全国紙毎日新聞の看板の本因坊戦七番勝負の総括であるから、毎日新聞の沽券に関わる、あるいは、主催紙の面目躍如たる報道であろう。長年の読者としては、いくら、署名記事であろうと、個人の責任と逃げて貰っては困るのである。それとも、毎日新聞では、個別の騎射のあげた記事は、無編集、無校閲で紙面を飾るのだろうか。

〇意味不明な「リベンジマッチ」
 それにしても「リベンジマッチ」とは、一介の購読者には何を言いたいのか意味不明である。囲碁界の発明した「業界用語」であるが、無審査、無批判で取り込んでは、全国紙の見識が疑われるのである。それだけでも、紙面掲載を憚られる失態である。

 主旨を念押しすると、「リベンジ」なるカタカナ言葉は、意味が揺らいでいて、原語の「revenge」を辞書で引いて「血の復讐」と理解する人もいるだろうし、現代風に「再挑戦」と読み飛ばす人もいるだろう。こうした訳のわからない、生煮えのカタカナ言葉で世間を汚染するのが、毎日新聞のポリシーなのだろうか。

 不出来な言葉に対して、編集部で誰もダメ出ししなかったのが、まことに不思議である。ここでは、挑戦者は、全年の敗退を個人的に恨んでいて、今回は、「怨念復讐」の場であったという血なまぐさい言葉のように読める。何しろ、今回の挑戦手合いの記事では、初めてではないのである。この調子でいくと、挑戦者は、またぞろ復習の怨念を書き立てて生きていくように、不吉な影を投げかけられているように見える。

 「リベンジ」は、無差別テロを称揚する言葉であり、当ブログの最大の敵なので、しつこくとがめ立てをしているが、ここまで汚い言葉をことさらに目立たせていると、一言言わざるを得ないのである。毎日新聞には、こうした不適当な言葉に対する基準などないのだろうか。
 談話の引用以外であれば、簡単に言い換えられる気がするのである。談話の引用だって、律儀に不適当な言葉を引用・報道しなくても良いように思うのである。

〇 毎日新聞にはびこる悪弊
 今回の記事では、このようなとんでもない不穏当な汚い言葉を担当記者が「創造」した責任は明確であるが、何にしろ、一連の記事で見られる表現の混乱は、目を覆わせるものがある。担当記者は、未熟で、新聞社の基準に従う用語、言い回しをできていないかも知れないから、専門家たる上級記者が、最後の護り人になるべきではないのか。

〇 頂上決戦には頂上報道を
 個人的には、本因坊挑戦手合いは、挑戦者として、その場に立つこと自体が大きな業績と思うのである。挑戦者は、多くの競争相手を退け、全員の思いを背負って登場していると思うのである。決して、個人的な復讐心を表現する場を与えられているのではないのである。いや、これは、一介の素人の意見だから、別に強制したいものではないのだが、一度、考えていただきたい言い分である。

以上

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