新・私の本棚 番外 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」 サイト記事批判 1/3 追記
塚田敬章 古代史レポート 弥生の興亡 1,魏志倭人伝から見える日本
私の見立て ★★★★☆ 必読好著、但し書紀論は場違い 2020/03/05
*はじめに
塚田敬章氏のサイトで展開されている古代史論について、その広範さと深さに対して、そして、偏りの少ない論調に対して、かねがね敬服しているのですが、何とか、当方の絞り込んでいる「倭人伝」論に絞ることにより、ある程度意義のある批判ができそうです。いや、今回は二度目の試みで、多少は意義のある批判になっていることと思います。
塚田氏は、「魏志倭人伝の原文をたどって、当時の日本を検証していく」のに際して、造詣の深い国内史料に基づく上古史論から入ったようで、その名残が色濃く漂っています。そして、世上の諸論客と一線を画す、極力先入観を避ける丁寧な論議に向ける意気込みが見られますが、失礼ながら、やはり、育ちは争えないと思うのです。
揚げ足取りと言われそうですが、三世紀に「日本」は存在しないのです。
*現代風世界観の弊
些細なようで重大なのは、倭人伝に関する取り組みの基調となる世界観の整合であり、例えば、「陳寿の頭脳」から生まれたなどと言うのは、現代物質文明の齎した比喩表現であり古代史論では場違いです。つまり、陳寿に対して、「あなたの文章は、あなたの頭脳から生まれたものですか?」と聞いて、単語は翻訳できても意義が通じないので、陳寿の深意を解することができていないのではないかと懸念されます。
*心から発し心に至る
古代人にとって、頭脳の存在と役割はうっすら知っていたとしても、頭脳はあくまで体内器官、つまり、一種の物質であり、物質から文章は生まれないと見ていたはずです。
当世風のカタカナ語で言うと、メンタルなものは、フィジカルなものからは生まれないというものです。散々説明を聞いた後で、陳寿は言うはずです。「志は、心から発し、心に至らんことを」
現代で時代錯誤と言われかねない志操とか気骨とかの生きていた世界なのです。
*全史官虚言論~余談
現代風な即物的な価値観では、古代の史官、つまり、天下唯一の政権の歴史を記録するという天命、つまり、天に与えられた使命を全うするという使命感とそれを支える自己研鑽は、想像できないのでしょう。
現代の高名な史学者は、「古代の史官には、史実を正確に記録する動機などなかった」と放言するほどです。つまり、史学者は悉く嘘つきとの断定ですが、三国志分野で高名な史学者は、そのような暴言を吐くときの自分の顔を鏡などで見たことは無いのかと言いたいところです。
*余談から復帰
いや、話がわき道に逸れ、全く別人の批判になってしまいましたが、以上は、別に塚田氏の見解が間違っているとか、どうとか言うことではありません。氏の論議が、三世紀当時の「時代精神」にあっていないことを理解いただきたいということです。
例えば、塚田氏は、陳寿の「表現」がどうのこうのいっていますが、これもまた、現代ですら通じがたい時代錯誤の概念であり、時代人には、一切通じない、翻訳不可能な概念です。
未完
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コメント
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尾関郁さん
「コメントが少なくて読みごたえがありません。」と、いきなり苦言をいただきましたが、別に貴兄に歯ごたえのあるネタを提供するのが本題ではないので、ことさら文句を言われても迷惑なだけです。(ここまでは、しょうもない冗談です。念のため)
当ブログの一連の書評/ブログ評は、「定説」の前提になっている、現代語解釈の不具合を暴こうというものなので、貴兄の苦言は、まあ、お伺いしておくしかないのです。
因みに、当ブログでは「旧事紀」は圏外なので、ノーコメントです。「日本」国号は、舊唐書が上限で、701年が精々という理解です。おっしゃるとおり、いろいろ意見はあっても、三世紀は論外(塚田氏ほどの御仁が、そんなことを書くとは恥ずかしい)という受け止めで結構です。
以下、字数を費やして頂いた道里行程記事の読みは、ここで議論できるものではないので、ノーコメントです。
以上、貴兄コメントへの回答になりましたでしょうか。
投稿: ToYourDay | 2020年11月18日 (水) 17時36分
コメントが少なくて読みごたえがありません。確かに「日本」は先代旧事本紀で「代倭国」から「日本」に改めるとか「新唐書」で「倭国」に替わって登場していますので、三世紀には「日本」はないでしょう。塚田氏は細かい所の訳がなされていませんので、読者に正しく理解されないとの懸念があります。例えば三国志・倭人の節の初めの文で、「山島に依る」の「依る」とはどういうことか、「国邑」とは何かなど。また従群至倭の文はどこまでで一文なのか、が問題です。「七千余里」で句点で切っているということは倭は狗邪韓国で終わることを意味してしまいます。ですから行程の最終目的地の女王国まで読点で切って、「七万余戸」で句点で切って一文が終わるのです。これは初めの方の例に過ぎず、そのように細かい所をきちんと訳していかないと結局、倭が理解ではないのではないでしょうか。とりあえず以上。
投稿: 古代史研究の風雲じぃ・尾関郁 | 2020年11月17日 (火) 10時46分