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2021年7月24日 (土)

新・私の本棚 日本の古代 1 「倭人の登場」 4 『魏志』倭人伝を通読する 1/2 改訂

 中央公論社 1985年11月初版 中公文庫 1995年10月初版
 私の見立て ★★★★☆ 好著ながら、俗説追従の弊多々あり   2020/01/15 追記再掲2020/07/07 2021/07/24

〇初めに
 本章著者は、森博達氏と杉本憲司氏の並記ですが、恐らく主体は杉本氏でしょう。

*曹叡拝謁図の虚報
 口絵の倭使明帝拝謁図は、虚報、妄想と罵られても仕方ありません。
 原史料倭人伝に依れば、使節が帯方郡に於いて洛陽で皇帝に拝謁することを上申したのは、景初二年六月なので、そう書いたのでしょうが、倭人伝には、詔書引用だけで皇帝拝謁記録がない以上、拝謁してない可能性が、大変高いと見られます。
 皇帝に拝謁していれば、堂々と明記されるのです。

 なお、俗説は、一つ覚えの誤記説で「景初三年六月」を押し通していますが、この絵は俗説信奉者に対し異様に反抗的/挑戦的です。衆知ですが、明帝曹叡は、景初三年元旦に崩御して、即日新皇帝が即位しているので、俗説の通り、景初三年に洛陽に昇ったとしたら、皇帝は、明帝の筈はなく、既に、口絵は虚報であることが明らかです。編集の際、記事校正はしても、口絵の攻勢はしなかったのでしょうか。著者の権威に泥を塗っています。(文庫本は、単行本の文庫化ですが、校正はしなかったのでしょうか)

*誤読/誤解のしるし~余談
 因みに、書紀には「明帝景初三年」と「はっきり」書かれているようですが、中国史書では、皇帝没後、翌年改元されるまでの期間は、単に「景初三年」と書くのが、厳格な規定であり、書紀は、魏書/魏志を正しく引用していないのです。
 この場合、明帝曹叡は、元旦に逝去したので、景初三年が「明帝景初三年」と書かれることはないのです。

 書紀編者は、よほどの物知らずから聞かされた、ごみ情報を書いたのでしょう。書紀編者を、誤謬を「はっきり」書いた「浅学非才」の馬鹿者との非難、不面目から救うとしたら、元々「明帝景初二年」と正しく書かれた佚文を、見習いの実務担当者が書紀に採り入れる際に、達筆佚文を誤読して、「明帝景初二年」と書いたとでも言い訳するのでしょう。
 あるいは、継承経過不明の書紀のいつ、誰の手によったかわからない写本継承の際、その際の誰ともわからぬ写本者が、小賢しく追記したのでしょうか。中国では、正史の帝室保存の至高写本、時代原本を次代に継承するのは、その時点の王朝の国家事業として取り組み、その時点の良質写本とも照合して、当代「本」を確定した上で、最高の写本工が写本し、厳格な校訂を経て、初めて、写本を当代本と交代させる手順を踏んだはずですが、天皇家を至高の存在とする書紀は、武家政権にとっては、悪書の極みであり、いわば、禁書の類いともなりかねなかったので、書紀の写本継承は、古来、いずれかの寺社の秘めやかなものであり、時代の叡知を集めた国家事業ではなかったので、写本の正確さには限界があったと推定されるのです。
 古来、中国正史の伝承を見ても、厳格な校訂を維持しなければ、つまり、一度でも、ぞんざいな写本がなされたら、写本には、誤字、誤写、誤釈が繁茂するのです。

 まあ、精々弁護しても、書紀の「魏晋代」記事伝承は、中国文化に対して厳格な「修行」に欠けた、素人仕事の積み重ねなので、多分、無学無教養な東夷にありがちな間違いなのでしょう。当時の日本で、中国古典権威者は、一字一句の編集校正をしなかったのでしょう。いや、この部分は、両氏に責任の無い余談です。

 再確認すると、両氏が採用した原史料解読は、景初二年上洛なので、このようなつまらない余談は無関係なのですが、倭人伝解釈は、古典解釈の常識の通らない渡世なのです。

*「通読を終えて」
 両著者は、本章の最後に「通読を終えて」と感慨を述べていますが、「古典の解読では、先人の読み方に異をはさむのに急で、自分の先入観に惑わされた読み方をすることが多く見られる」とは、見事に見当外れです。自分に先入観があれば、先人にも先入観があり、先人の読み方に無批判に追従することは、大局を誤るものと考えます。起点とすべきは、史料原文であることを再確認すべきなのです。

*原著者最優先ということ
 「先人」の誤りの大半は、原史料たる倭人伝に縁も所縁(ゆかり)もない、「国内史料」と言う、つまりは、倭人伝にとっては異界の史料から生じた先入観に囚われて原史料を改竄、創作して読み進むことから生じている過誤に起因していると思われます。

 文献解釈で最優先すべきは、原著者の意図、真意を察することであり、いかに高名でも、「先人」は原史料解釈に於いては、一介の初心者に過ぎないことを説きたいのです。もちろん、「先人」の読み方は、国内史料に関する学識の厖大な蓄積に立脚しているのですが、原史料の起点を理解していないとみられる場合は、まず、「先人」の読み方を、虚心な坦懐に批判する必要があるのです。

 と言うことで、倭人伝解釈の原点を再確認すると、万事、原史料本位、原史料起点の解釈が必要なのです。倭人伝は、編者陳寿の著作物であり、何よりも、原著者の深意を察することが始点なのです。
 史実は、原著者の深意を解読した上で、次段階で追求すべきなのです。
 以上、「邪馬台国論争」で、滅多に語られない原点確認なので、ことさら、ここに書き立てたものです。

                     未完

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