倭人伝随想 「道里条」(仮)による道里記事解読の試み 改 2/3
2019/09/20 改訂 2021/01/15 2021/07/17
〇諸国銘々伝
⑴対馬条考~原文解釈の試み
さて、対馬条「無良田」について軽重様々の誤解がはびこっています。
良田を良い「水田」と解するのは可愛い方です。中国語の「田」、水田、畠を含んだ農地との意味は明白ですが、わざわざ「良田」無しと言う意味が捉えられていない気がします。
現代感覚で言うと、痩せた農地で収穫不足、食べるに事欠いています、という声に聞こえますが、書かれた時代と場を考えないといけません。
これは、対馬領主が、免税を願っているのです。農地はあっても、租税を納める収穫がないから、「良田」として報告できないと言い訳しているのです。
一畝(ほ 百平米程度)を面積単位として基準収穫量を決め込まれ、その例えば半分を国が取り立てるとすると、収量が少ない耕作者の取り分がなくなって困窮するから、「無良田」と書いたのです。
「禽鹿径 」を「けものみち」と「現代語訳」するのは、時代錯誤を招く安直な「誤訳」です。道でも路でもないのは、車の轍も、馬や牛の蹄鉄の後もなく、起伏をつづら折れで緩和していないことを言うのです。
乗り換え、積み替えでしょう。「径」とは、「道」でも「路」でも無い「抜け道」のことなのですが、恐らく峠越えのごく短い乗り継ぎ径(みち)、峠越えの抜け道を「禽鹿の径」 と言うのでしょう。
つまり、それ以外では、日常の市糴の荷運びがあるので、そこそこ整備されていましたが、当たり前のことは書く必要がないので、省略しているだけです。
*免税の里
魏朝公文書である倭人伝対馬条に、特に「無良田」と書かれたということは、対馬は魏朝に(永代)免税を認められたということです。
俗説のように、常々食うに事欠いていると解すると、対馬は、食糧難によって低迷していたことになりますが、そうでしょうか
*市糴考~壱岐、対馬の繁栄
対馬条に、対馬の南北市糴が明記されたのは、対馬が自ら海船を造り、漕ぎ手を養い、壱岐、狗邪(韓国)との間にそれぞれ、定期便を往復させ、海港に倉庫を設け、定期的に市を開いていたのを、簡潔に記録したものです。
こうした市糴から得られる食料は潤沢で饑餓はありません。中原制度にない商業活動による収入で、対馬はむしろ繁栄していたと見られるのです。
倭の一員ではない狗邪韓国でも、港の倉庫と海市は、対馬官員が仕切ったはずで、これも、とても饑餓地獄の者のできることではありません。
⑵壱岐条考
ここで、(土地)多竹木叢林と書いているのは、別に街道が叢林に埋もれていたというわけでは無く、宿から見ると、小高い丘に竹木叢林が繁茂していたと言うだけです。洛陽付近で見られない景観なので特筆しています。帯方郡からの道中も、半島の産地が多かったので、竹木叢林繁茂ではなく物珍しかったのです。
街道が、対馬条にあるような峠越えの抜け道「禽鹿の径」かどうか明記していませんが、一大国内は、さほど、険阻な道でなく、日常の市糴の荷運びがあるので、そこそこ整備されていましたが、当たり前のことは書く必要がないので、省略しているだけです。いや、荷物搬送にわざわざ、山道を行くはずはないのです。
*南北市糴送り継ぎ
末羅国以降、市糴を書かないのは、当然だから、特記していないだけです。言うまでもなく、対馬だけで南北市糴できるわけはなく、港ごとに送り継いで海峡を越える市糴を各国一丸となって維持していたのです。
また、一大国は、南北以外にも、東西に市糴していたはずです。よく言う日本海岸交易は、一大国(実名は、「天国」(あまくに)か)に発していたでしょうが、漕ぎ船では、一貫運用は不可能、無茶であり、あくまで、港々の送り継ぎだったのです。
*一大国方里の意義(對海国も同様)
この場での論証は略しますが、一大国「方三百里」は、農地面積であり、三百「平方里」程度、ほぼ十七里角であり、住民が三千許家でも、農地閑散で貧困なのは記事の基調と符合しています。 (「九章算術」準拠)
東夷伝高句麗、韓の「方数千里」は、両国の国土全面積(測量不可能)を表示したものではなく、農地面積の申告であるように、両島の「方数百里」は、両島の面積(測量不可能)を表示したものではなく、農地面積の申告なのです。
いや、ご不満の方もあるでしょうが、道里なら、道里で表示したはずであり、表記が違うのは、単位系、次元が異なるためと考えます。
未完
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