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2021年7月15日 (木)

新・私の本棚 番外 伊藤雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 4/5

 「倭人伝をざっくり読んでもやっぱり邪馬台国は熊本!?」 2021/06/25
私の見立て ★☆☆☆☆ 論旨瞑々、覚醒期待  初回2021/07/15

*畿内説俗説の泥沼戦術
 つまり、「倭人伝」方位が間違いと主張「しなければならない」と崇高な使命感の命じるままに論議しているのであり、氏の理解は本末転倒です。他にも、誤記、誤解の類いが山なし、順当な史料解釈が成立しない泥沼の惨状です。
 太古以来、中国文明が至上の課題として守ってきた、歴史記録の厳正さを、真っ向から踏みにじりますが、倭人伝と「俗説」の比較なのでしょうか。
 古来、「自大」観と言われる「思い込み」が、徘徊しているのです。亡霊でなく、「生き霊」なる「妖怪」に、氏も取り憑かれているのでしょうか。

*俗説支援の徒労
 しかし、これもありえない話だと思います。
 梯儁たちは[中略]、邪馬台国まで足を運んだのは明らかです。[中略]梯儁たちが本当に東へ向かって水行陸行したのであれば、報告書に「東」と書くはずです。[中略]九州北岸から南へ水行陸行したのだと思います。

 この思い付きは、思い込みと決め込みの連鎖で、論証できていないのです。

*戸数の幻影
〈前提2〉虚偽の戸数は記さない
 魏志倭人伝は、行程記事とともに経由国の戸数を記しています。対馬国から邪馬台国まで、合計で15万余戸となっています。

1.氏の道里行程記事の解釈には、思い込みから来る誤解が散在しています。
 對海~倭の諸国で、奴国、不弥国、投馬国を経由国と決め込み、それ故それら戸数が記録されているとするのは、改竄前「記事」が迷走しているのでしょうか。それなら、奴国、投馬国の国情が書かれているはずだし、里数も必要です。主行路の経由国でなく、ついでに書いた傍路ということです。

2.最終目的地である女王居所、居城の戸数が八万戸と書かれているというのは、「倭人伝」の本旨に沿わない思い付きに過ぎないのです。
 要するに、倭人伝に必須である倭の全戸数は「十五万戸とは書いていない」のです。それとも、皇帝は、足し算計算を迫られたのでしょうか。

*無意味な外部資料導入~俗説派の悪足掻きに追随
[中略]弥生時代の日本[ママ]の人口[ママ]についてはまだ流動的[ママ]なようですが、歴史人口学[ママ]の鬼頭宏氏の研究では59万人という数字[ママ]が示されています。その半数が30国の連合体である女王国[ママ]にいて、さらにその半数が対馬国から邪馬台国までの9か国にいた[ママ]としても、約15万人[ママ]にしかなりません。しかし、一方で倭人伝の原史料が梯儁らの報告書だとすると、彼らが虚偽の報告をしたとは考えられないのです。

 勝手に、氏の内面世界の表明ですが、時代、地域の隔たった別世界の言葉と概念が、三世紀史料の解析にドンと投入されて、眩暈しそうです。その果てに、「流動的」「人口」なる異世界の概念を読者押しつけて、さらに、誰も見たことのない魏使の「報告」を想定し、その果てに、魏使が、戸数を捏造したとか云々するのは、「捏造」を越えて「冤罪」としか言いようがありません。
 因みに、「考えられない」のは、氏が、三世紀人でなく魏使でもないことを考えれば、理屈になりません。また、報告を「虚偽」と言うのは、正確な戸数統計が存在したとの仮定に基づいているので、これも思い付きに過ぎません。
 なぜ、このように書いたか、もう少し、三世紀人の視点に歩み寄って、倭人伝の真意を詮索すべきでしょう。いや、「日本」古代国家観に芯まで染まった俗説派の方は、聞く耳を持たないでしょうが。
 氏の責任では無いとは言え、何も論証できない、思い付きの羅列は、無批判に追随していく氏の非論理性を示すに過ぎません。

 と言って、次のような独創的な「国見」談義は、根拠の無い、場違いな時代錯誤の空想に過ぎません。「戸数」論議の出だしを誤ったツケが、とんでもない辻褄合わせに繋がっているのは、残念です

[中略]おそらく調査隊は山上の見晴らし台のようなところから目視で戸数を調べたと思います。そして、彼らが虚偽の報告をするとは考えられません。正しい数字を報告するのが彼らの使命だからです。[中略]

*講釈師ばりの名調子
 引用漏れになった「攻撃」云々は「古田武彦調」ですが、帯方郡が、服属した倭に対して郡に出兵を命じても、まずは、狗邪韓国までが十日かかりそうな三度の乗り換え渡海であり、十六人程度の手漕ぎ船で載せることができるのは、精々一船数名程度(荷物持参)であり、大軍派兵は、無理で、ほぼ問題外です。
 なにしろ、当ブログの解釈に従っても、出兵命令が倭に着くのに水陸行で四十日、郡に着くのは折り返し四十日ですから、それだけで八十日かかり、海峡渡海の順番待ちの厖大な日数に加えて、倭が派兵に要する軍兵呼集、全軍整列、装備糧食支給を考えると、全軍が、帯方郡太守に伺候するのに半年かかっても無理はありません。何しろ、倭に、即応可能な常備軍があったとの記事はないのです。
 各国の戸数申告は、郡の威光を示す名目に過ぎないと思われます。
                                未完


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