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2021年7月24日 (土)

新・私の本棚 古田武彦 九州王朝の歴史学~「国都方数千里」談義 再訂版 1/2

 第四章 新唐書日本伝の史料批判  ミネルヴァ書房 2013年3月刊
私の見立て ★★★☆☆ 当記事範囲 功罪相半ばの卓見 2020/11/09 改定2021/01/11 再訂 2021/01/12、01/31 2021/07/22

□はじめに
 本書は、章末に[注]、巻末に人名、事項索引を備え、専門書の体が整っています。学術書として十分な校訂を経ているという事です。なお、本稿は、1991年4月刊原著の復刊、確定稿の資料批判です。

○一字の解釈考
 新唐書「日本伝」は、改国号記事の後、次のように書きます。(句点一部解除)
 使者不以情故疑焉又妄夸 其国都方数千里
 「東アジア民族史 2」(平凡社 東洋文庫 小林秀雄他 訳注)は「国都は、数千里四方であると誇大に偽っている」としていて、定説めいています。
 対して古田氏の読みは、(其国)「都(すべて)方数千里なり」で画期的です。

*誤解の是正 [概数表記割愛御免]
 (後世人にとって)自然に読めてしまう「国都」「方数千里」解釈は、すぐわかるように、文としての意味が通らず、途方もないのです。

 何しろ、唐書「日本伝」で、「国都」の所在地も城名も書かずに「方数千里」と広大さを語るのは、史書として法外です。「新唐書」は、個人の思いつきの産物でなく、衆知の結集ですから、本来、そのような不体裁はあり得ないのです。つまり、後世中国史家の句読が錯誤に陥っているのです。古典書を、先入観に囚われて軽率に誤読するのは、東夷だけの特技ではないのです。

 是正は、「其国都」「方数千里」を止め、「其国」「都方数千里」とします。つまり、「其国都」が「方数千里」ではなく、「其国」が「都(すべて)方数千里」と読みなおすのが妥当で、以下、意味が通るのです。
 「国都」を、国内史料風に、国の「京都」(けいと)と解すると、例えば、平城京が、一辺数千里の正方形を満たしているという意味であり、中国側の鴻廬、つまり、異人受け入れ部門からすると、「おまえ、自分の言っている意味がわかっているのか」と言う事になりますが、来訪している行人、使節は、ただの子供の使いですから、返事のしようがないのです。いや、これは、「国土」の書き間違いDEATHなどと言い逃れはできないのです、何しろ、国書には、国王の印璽が押されているから、一切、訂正できないのです。
 先賢から、説明がないので、当否はともかく、素人考えでそのように解するしかないのです。

 本能のままに自然に読まず、丁寧に深意を読み解く、知性的な努力が必要なのです。

 ただし、古田氏の採用した「方里」が正方形一辺とする「方里」解釈には難があります。但し、話が長いので、別稿に譲ります。

○舊唐書記事参照
 「舊唐書倭国伝」の「日本国条」は、「又云其国界、東西南北各数千里」であり、「方里」も「国都」も書かず、順当な記述です。編纂者の古典教養が偲ばれます。いくら、蕃人の国書をそのまま取り次ぐべし、と言われても、物には限界があるのです。

 「舊唐書」を是正した「新唐書」の日本伝が、冒頭の「東西五月行、南北三月行」の記事で、矩形で囲まれた領域を描きながら、天皇系譜記事と「日本」国号起源報告の後、面積表現として「方里」を申告したとしたら意図不明です。因みに、隋書では、俀国は道里を知らないと書いているのです。

*古典史書用語の復旧
 ここまで確認した限りでは、新唐書は、漢魏晋の「方里」と「都」の規律を復旧したと見えますが、理解した上で適確に再現したかどうかは、不明です。何しろ、後世句読で、権威者が其の原則を失念しているのですから、あくまで、勝手とは言え、有力な仮説という事です。

*藩王に国都なし
 漢書以来の正統派正史は、漢蕃関係古制として、蕃王の居を都と称しません。
 国内の「王」の治所を「都」と呼ぶことすらないから、遥か格下の蕃王、藩王が、其の居処を「都」と称するのは、死に値する僭越です。

 但し、西晋滅亡中原喪失以降、つまり、漢蕃関係崩壊以後、中原を占有した北魏から隋の北朝系王朝は、四夷は、ことごとく蛮夷たる自身の輩(ともがら)、共に「客」であったもの同士という共感からか、蕃王の居を「都」と称していましたが、全土統一として隋、唐は、中華正統意識から、漢蕃関係を古制に復旧したようです。語義は著者の世界観に左右されるのです。従って、新唐書は、漢魏晋の「方里」と「都」で書かれているものと見えます。

*おことわり
 以上は、高度な審議なので、俄に信じがたいかも知れませんが、こじつけや飛躍のない、順当な論考と考えています。また、後述するように、倭人伝の道里行程記事の明解な解釈に繋がるものです。

 以上、九章算術及び関係論考、司馬遷「史記」大宛伝、班固「漢書」西域伝、袁宏「後漢紀」、魚豢「魏略」西戎伝、そして、范曄「後漢書」西域伝の関連記事を通読した上での素人考えの意見ですので、ご理解の上、反論があれば、具体的に指摘いただければ幸いです。
                                       未完

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