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2021年7月17日 (土)

私の本棚 51 水野 祐「評釈 魏志倭人伝」[新装版] 4/4 「倭人在」再掲

    雄山閣    新装版 2004年11月 (初版 1987年3月)
 私の見立て★★★★☆    『「倭人伝」は「古代日本に関する(唯一無二の)中国史料』      2016/06/18 追記 2020/06/07  2021/07/17

*倭人伝事始め 「倭人在帶方東南」

最初の躓き石
(追記)
 本書の最初のそして多分最大の躓き石は、「従郡至倭」に始まる行程記事の冒頭の「郡から狗邪韓国まで」(郡狗)行路の解釈の難点にある、と言うか、見落としにあるように思う。

 氏の堅実な解釈手順にも拘わらず、「循海岸水行」が「従海岸水行」と字義の異なる別字と読み替えられ、そのために、郡狗行程は、半島「海岸」に沿った「沿海航行」とみなされ、氏は、史官がこれを「水行」と称したと、早計にも断じている。ついでに言うと、史書行程記事における「従」は、必ずしも、何かに「沿って」の意味でないことが多いのを見過ごしているのは、やはり、氏の限界かと思うのである。

 古くは周に発し、承継した秦漢代以来の官道制度に、「海岸」沿いの「沿海航行」は存在せず、敢えて、正史の一条として構想された魏志「倭人伝」が、法外の行路を官道と制定したすれば、先だって諄諄と明記して裁可を仰ぐべきであるが、そのような手順がない以上、法外の行程は書かれていないと見るべきである。

 この解釈は、日本古代史視点では順当に見えたのだろうが、中国史料解釈としては古典用例を取り違えた曲解の誹りを免れない。

 当記事は魏志に書かれている以上、帯方郡に至る官道は、遼東郡からの陸上官道が順路、官制の正道であり、「海岸」は、陸上の土地であるから、もし、帯方郡から海上に出て船で南下するのであれば「乗船」の二字を要するのである。

*良港幻想
 氏は、何らかの史料を根拠として、「半島西岸は、多くの大河が流入して良港が多く、沿岸航行が容易であったと見ている」が、同時代、現地の地理、交通事情を考察すると憶測と言わざるを得ない。そもそも、小白山地が後背に聳える地域に、大河が存在するはずはない。大河と呼べそうなのは、山地の東、嶺東と呼ばれる地域を南北に流れる洛東江しかないのである。そして。洛東江は、対馬に向かうように河口を開いているのである。
 半島西岸の地理事情を言うとすれば、漢江河口部を過ぎた南部は、山地が海に張り出して、島嶼、浅瀬が多く、有力な港湾があったとしても、後背地が狭隘で、耕作地が乏しいため、少なくとも、三世紀時点では、沿岸航行による交易、市糴は希だったと見える。

 後世、百済の王城漢城が、南下した高句麗の大軍に包囲壊滅され、国王以下王族、高官が全滅する大難があり、辛うじて南方に退避した王族が、百済を再興したのだが、その結果、漢江付近から山東半島に至る海上輸送を高句麗に奪われたため、百済は、南部諸港を開発して、細々と沿岸航行していたようであるが、それでは国が成り立たないため、漢江付近の海港の奪還に挑んで、高句麗と激しく抗争したのは知られているから、半島南部の海港繁栄は、幻想と見えるのである。つまり、細々とした営みでしかなかったのである。

 後年、隋唐代に至って国使派遣のため、青州から半島沖合を通過して、九州北部に乗り入れる帆船航行が行われたようであるが、安全な行路を新規開拓した上での竹斯への来貢と書かれているところを見ると、先立つ、三世紀魏代には、当該部分に航行路は形成されていなかったと見られるのである。倭人伝に、当時の沿岸航行を官営の交通路としていたと書かれているのであれば、隋唐代に航路開拓する必要などなかったのである。

 以上の議論は、「正道」の議論であり、「邪道」、つまり、斜めの、遠回りの曲がった道として存在していたことまで否定するものではないのは、言うまでもないと思う。

 氏ほどの見識であれば、以上の難点に気づいてさえいれば、「循海岸水行」が、郡狗区間を「水行」と規定するものか、官道経路に関する注記に過ぎないものか、比較、考察を加えたはずであるが、残念ながら、ここでは、氏もまた、倭人伝の記事解釈でありがちな、無意識の改竄を施したと見られるのである。

 いや、いかなる史学者も、思い過ごしや勘違いは避けられないのである。大部の労作が、この一点で全面否定されるべきではないのは、言うまでもないことである。全長一万二千里、四十日行程の、ほんの一点に、瑕瑾があるという指摘だけである。

*中断の弁(追記)
 と言うところで、実は、一休みしたままになっていて、今回は、一項目を追記したにとどまっている。

 正直なところ、本書で滔々と展開された「史料批判」が、世上顧みられることなく、野に埋もれたままになっているのに呆れたこともある。

 凡そ、学術上の論議は、先行所説の批判と克服を経て、提言することで前進するものと思うのだが、「黙殺」路線が大勢を占めていて、困惑しているのである。

 どうも、個人的な書評は、成立しがたいものになっているようである。日暮れて、道遠し、か。

以上

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