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2021年8月21日 (土)

新・私の本棚 西本 昌弘 邪馬台国論争 (日本歴史第700号) 補追 3/3

 日本歴史 2006年9月号 吉川弘文館       2019/02/20 補充 2021/08/21
 私の見立て ★★★☆☆ 多大な労力に敬意 孤高の徒労か

*魏志行程記事と古墳時代開始時期
 当ブログ記事の筆者たる小生は、元々、古代史に関しては「素人」ですが、素人の限界を多少なりとも緩和するために、それなりの勉学を重ねてきましたが、全般的な勉学に手が回らず、国内古代史学については、勉強不足になっていることを申し上げておきます。
 今回も、勉学の立場で読み進めたのですが、小生の乏しい知識でも、同意しがたいご意見が見られるので、素人なりに批判しています。

木津川水系重視の視点賞賛
 当論説で意外だったのは、魏使の河内到着以降の旅程が、淀川~木津川水系にとられていて、それは、流域に散在する初期古墳の時代比定と連動していることです。つまり、淀川~木津川の流域に展開した勢力が、なら山を越えて奈良平野に進出し、平野の中・東部、今日「中和」と呼ばれる纏向で周辺を睥睨したとの設定のようです。淀川~木津川水系 から、奈良平野北部、後の平城京領域に出る移動・輸送経路は、小生がかねてから、西の方から奈良平野への経路として最有力として着目していたので、ここに取り上げられたのを見て、我が意を得たとの感慨があります。(なぜか、無理難題山積の大和川遡行にこだわった先哲が多いのですが、その衣鉢を継ぐ諸氏は、同説に囚われて、自由な視点を取れずにいるようです)

 そのような進出と展開には、最低でも二世代六十年は必要と思われるので、淀川水系の古墳造成が三世紀中頃に一応整ったのであれば、纏向は、遅れて四世紀中期の古墳造成開始となるのではないでしょうか。
 まことに、無理の無い、筋の通った作業仮説ですが、これ以降、あまり見かけないのは、纏向学会で賛同を集められなかったのでしょうか。

*おわり方の問題
 「おわりに」と題して、少し長めの結語が書かれています。
 その一は、中国王朝の記録能力を正視して行程記事を正当に評価するという趣旨です。自戒、自責を込めた言葉として貴重で、同感です。
 その二は、考古学成果をもとに、三世紀当時日本列島を統轄する政治中心がどこにあったか明らかにするという趣旨で、賛成できません。

 古代史用語で「日本列島」は、概ね、今日の近畿以西の西日本ですが、そもそも、三世紀当時、この広大な地域を統轄する政治中心があったとは、作業仮説、要は、単なる思い付きに過ぎないと思量します。ないものの所在地を明らかにするのは、できない話です。氏は、素人ではないのですから、学者らしく、もっと手前から、丁寧に検証を一段一段重ねるべきです。
 
 また、『「古墳時代」のはじまり』が、「以前より早まった」とは、学説の表現方法としては、ちと稚拙の響きがあります。近年蔓延している若者言葉に染まっているのではないかと憂慮しています。
 そのため、提示された概念は、一段と不可解
です。
 当論説を見る限り、「以前」は、纏向地区の墳丘墓のはじまりが「古墳時代のはじまり」とされていたと思えるのです。不可解な動揺です。
 
 当論説に依れば、淀川水系の墳丘墓の副葬銅鏡が、中国由来で先行していたとの仮説を踏まえた考古学的見解のようですが、他分野に影響するので、「考古学学界内の台所事情による辻褄合わせの作業仮説」では済まないのです。纏向を中心とした奈良平野内の考古学的な研究活動、就中、長年にわたる広範囲の発掘活動は、多額の国費と地元協力者の労苦に支えられているので、厳密な論証と焦点を定めた有力仮説の検証に絞られるべきと考えるのです。
 巨大な計画は、それ自体、自己正当化の本能が発生するため、捏造や虚飾の危険性が高まるのですが、天に恥じない公明正大な活動を貫けているでしょうか。

 諸々のしがらみに連なっていない素人なりの危惧を提示しておきます。

*正当化困難な言い分
 「魏や遼東に発した数百枚の銅鏡が連綿と将来された」という仮説や「魏使が淀川水系を通過した」という仮説は、ベタベタの常套句で「今後の発掘に大いに期待」するとしても、論拠が明確でない以上、氏の思惟にとどまる、単なる作業仮説であり、そのように明記すべきものと理解します。要は、論考に遙かに及ばない、個人的な「思い付き」であり、この場に書き立てる意義が理解できません。氏の周囲には、率直に批判してくれる学友はいないのでしょうか。氏の不快を買うことを怖れず、苦言を吐く人が、真の学友と思うのです。
 
 行間を読むと、氏には、卑弥呼の墓を纏向に誘致するとの使命が課せられたようですが、大黒柱の三角縁神獣鏡魏鏡説が、実質的にほぼ崩壊した今、正当化手段に窮して、引くに引けず、強弁していると見えて、しぶといと云うより、痛々しいのです。

 と言うことで、畿内説に基づく本論説は、倭人伝錯誤説や魏鏡説など、根拠不明で正当化「困難」な作業仮説が、あまりに多く含まれています。因みに、当方が「困難」と言うのは、社交儀礼に従った古風な婉曲表現で、若者言葉で言うと「不可能」なのです。

 今日日の口喧嘩では、「不可能」には「成せばなる」の反論があって、「絶対不可能」と追い打ちする
のですが、普通の日本語では、「困難」と言えば十分強い否定表現なのです。
 真意を誤解されないように、念押しします。

                               完

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