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2021年8月16日 (月)

新・私の本棚 高柴 昭「邪馬台国は福岡平野にあった」 4/12 里制論

 「通説に惑わされない21の鍵」(文藝春秋企画出版)2015年4月刊 
私の見立て ★★★★☆ 総論賛成、各論疑義  2021/08/14

〇見過ごされた課題
 本項は、ちと問題が大きいので、改ページしました。以下、……記号は[中略]とし、短縮を図りました。
    (「てにをは」書き替えあり)文責当記事筆者

 ⑶三国志里制論 惑わされない鍵 4
*明解な結論 無用の短里論
 議論を絞ると、秦以降、秦が提示した450㍍*程度の「普通里」以外の「里」制度史料は存在しません。(*計算の便に50㍍単位で丸めたものであり、当時の実施と無関係です。一尺25㌢㍍、一歩6尺150㌢㍍一里三百歩の体系です)

 「里」は、国家制度の基幹である土地制度に直結しているので、「里」を数倍ないしは数分の一に改変すると国家体制崩壊に繋がります。従って、「普通里」は、遙か後世まで維持され、激甚事項は、もしあれば、正史に記録されます。

 「晋書地理志」では、周代以来晋代の「里」制は、一貫して「普通里」です。周「普通里」に従った秦は、自国の「普通里」を全国里制としたのです。戦国諸国里制は、順当には周「普通里」と見えますが、秦始皇帝が各国制度を破壊したので、絶対確実というわけではありません。
 つまり、秦始皇帝は、全国度量衡を統一するに際して、日常生活に密着した「度量衡」は、物差、升、錘の原器を配布しましたが、里は含まなかったと見えます。「普通里」は、「尺度」や度量衡には属さないものです。

 各国土地制度は、検地が根幹と思われ、「普通里」が各国「里」と異なれば、検地、土地台帳新製が必要ですが、物理的、心理的に大事業です。秦が、各国の制度の破壊をためらわなかったとすると、いずれ、農民反乱を招くものですが、秦始皇帝は、皇帝の強権を持ってすれば、平定可能とみて強行した可能性が濃厚です。

*魏晋朝短里制はなかった
 史料を総合的に判断して、短里制施行仮説は、明確な短里制布令の証拠を欠き、里制変更に伴う、全国的な社会混乱が記録されていないので、本件は棄却されます。

*個別記事検証は不要
 また、三国志に「普通里」と異なる里長記事を見る提議は、当記事の検証にとどまり、国家制度を論証する効力は有しえないので、棄却すべきです。
 里制は国家制度であり、土地制度の根幹であるので、辺境といえども郡管内に徹底されたものと思われます。

 また、各拠点間の行程道里は、精度を期しがたいので、公式記事の字面から、制度を推定すべきではありません。つまり、いくら事例を数多く集めても、不確かな数字の収集に過ぎず、国家制度を証する効力は無いのです。

*限定的に有効な「地区里」宣言 (private, local)
 倭人伝道里行程記事の冒頭で、「郡から狗邪韓国まで七千里」と書かれているのがこの際の「里長原器」であり、同記事は、普通里と異なる「里」で書かれているという「地区里宣言」です。つまり、どんなに懸命に国家制度を検証しても、倭人伝は別世界なのです。それが、この際の史実です。言葉の綾ですが、地区里とは、全国制度や郡制度でなく、倭人伝が臨時に採用している「里」という意味です。魏志三十巻の末尾で適用されていても、それ以降の適用はありません。
 「従郡至倭」全区間万二千里は、そのような「地区里」とみるべきです。肝心なのは、倭人伝として首尾一貫していて、二千字資料だけで、読者が資料内の「道里」を検算できるということです。

*異次元排除
 因みに、「道里」は、文字通り「道のり」です。
 面積単位「方四千里」等の「方里」は、別次元単位なので流用は禁物です。「地区里宣言」以前の高句麗、韓記事で導入され、宣言後の對海国、一大国記事のみに表れる、さらに特異な「里」ですから、道里とは別義です。
 ちなみにも「道里」が、古典用語の流用として当時の流行概念として通用していて、それが、予告無しに倭人伝で採用されたというのは、意味不明の混乱に過ぎません。倭人伝は、史記、漢書を継ぐ「正史」として書かれたものであり、最終的には、皇帝の御覧を得て採用されるものですから、春秋を含めた古典書に前例のない流用など、許されるものではありません。

 そうそう、別次元というと、並行世界とか連想が湧きそうですが、「道里」は、尺、上、寸と同様、一次元単位であり、「方里」は、土地制度に由来する二次元単位(面積)ですから、足し算、引き算はできないという意味です。単に「里」でも前後関係で判断する必要があります。

*「歩」と言う面積単位
 古代史料の「歩」(ぶ)は、農地面積測量で多用される「方歩」であり、歩(ほ)幅と無縁ですが、「俗論」では、誤解している方が通例です。

                             この項完

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