私の意見 「卑弥呼王墓」に「径」を問う 前編 1/2
字書参照、用例検索 2021/08/19
〇倭人伝の道草~石橋を叩いて渡る
まず、倭人伝の「卑彌呼以死,大作冢,徑百餘步」の「徑」は、「径」と「步」は、「歩」と同じ文字です。ここで、「冢」は円墓、「径百余歩」の「径」は、直径、差し渡しとの解釈が当然としているようですが、古典解釈では、当然は、思い込みに繋がりやすくもっとも危険です。以下、概数表記は略します。
当方は、東夷の素人であるので、自身の先入観に裏付けを求めたのが、以下の「道草」のきっかけです。
〇用例検索の細径
*漢字字書の意見
まずは、権威のある漢字辞典で確認すると、「径」は、専ら「みち」、但し、「道」、「路」に示される街道や大通りでなく「こみち」です。時に、わざわざ「小径」と書きますが、「径」は、元から、寸足らず不定形の細道です。
ここで語義探索を終われば、「径百余歩」は、「冢」の「こみち」が百歩となります。女王の円墳への参道が、百歩、百五十㍍となります。
榊原英夫氏の著書「邪馬台国への径」の深意かと想ったものです。
それは、早計でした。漢字字書には限界があって、時に(大きく)取りこぼすのです。
*古典書総検索
と言うことで、念入りに「中国哲学書電子化計劃」の古典書籍検索で、以下の用例観を感じ取りました。単漢字検索で、多数の「ヒット」がありますが、それぞれ、段落全体が表示されるので、文脈、前後関係から意味を読み取れ、勘違い、早とちりは発生しにくいのです。
*「径」の二義
総括すると、径(徑)には、大別して二つの意味が見られます。
一に、「径」、つまり、半人前の小道です。間道、抜け道の意です。
二に、幾何学的な「径」(けい)です。
壱:身辺小物は、度量衡「尺度」「寸」で原則実測します。
弐:極端な大物は、日、月で、概念であって実測ではありません。
流し見する限りでは、円「径」を「歩」で書いた例は見られません。
「歩」は、土地制度「検地」単位で、「二」の壱、弐に非該当です。史官陳寿は、原則として先例無き用語は排します。「径百余歩」は確定できません。
*専門用語は専門書に訊く~九章算術
探索を「九章算術」なる古典書に広げます。算数教科書で検索から漏れたようです。「専門用語は専門辞書に訊く」鉄則が古代文献でも通用するようです。
手早く言うと、耕作地測量から面積を計算する「圓田」例題では、径、差し渡しから面積を計算します。当時、円周率は三です。農地測量で面積から課税穀物量計算の際、円周率は三で十分です。それだけでも、一仕事です。
それはさておき、古典書の用例で、「径」「歩」用例が見えないのは、「歩」で表す戸別農地面積は、古典書で議論されないと言うだけです。
個別耕作地は円形の可能性がありますが、行政区画に円形はないのです。
このあたりに、用例の偏りの由来が感じ取れます。
上級(土木)で墳丘の底部、頂部径で盛土量計算の例題が示されています。
以上で、「冢径百余歩」は、円形の冢の径を示したものと見て良いようです。
未完
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