私の意見 禰軍墓誌に「日本国号」はなかった 追記 1/6 序論
2018/05/12 追記 2021/09/22
〇序論
中国の古都・長安で見つかった、唐時代の高官祢軍(禰軍)の墓誌(故人の事跡を刻んで墓に叹めた石板)の拓本が1911年に公開されたが、「唐時代678年10月制作と思われる墓誌に「日本」と読める文字がある」と見て、従来、701年大宝律令公布に際して制定・公布されたとされていた「日本」国号が、先だって中国で知られていた証拠ではないかと、議論を呼んでいるものである。
本件は、当ブログの専攻範囲(倭人伝)外だが、本件報道に疑問があり、素人考えで口を挟むものである。
*日本列島回帰
今回記事では、「倭」「日本」が混在する微妙な記事で、思うところがあって、中国、三国(朝鮮)と対比される地域を「日本列島」と呼ぶことにした。実際は、列島西部だけが対比されるのだが、適当な表現がないので困っていた。
今回、上田正昭氏の提言に従い、とりあえず、当記事では「日本列島」と呼ぶことにしたのである。「地域限定」とご理解いただきたい。
従来、古代史論で「日本列島」を見たときは反発したが、そういう趣旨であれば同感である。不本意な反応が返ってくるのは、説明不足なのである。大事なのは、趣旨を正しく伝えることである。
*禰軍墓誌の「日本」
当プログでの検討の皮切りは、NHK BSの特別番組の付けたりであって、唐代墓跡の大規模盗掘事件に絡む取材として、現地西安博物館秘蔵の禰軍墓誌の撮影が許可され、手早くまとめたと思われる15分ほどの挿話が、番組告知の紹介も無く、まことの不意打ちで番組の中程に追加されていたのに触発されたのである。いや、これほど貴重な資料に通りががりにぶつかって、躓かせるというのは、どういう神経なのか、NHK古代番組の姿勢として、まことに理解に苦しむのである。
と言うのも、これまで、当史料に関する論考を見かけてはいたが、史料の出所、由緒が不確かで、興が乗らなかったので、真剣に見たのは初めてのことある。不勉強の言い訳はさておき、慌てて確認すると、例えば「古田史学」誌第16集で三氏が論考を重ねている。
但し、当初の朝日新聞記事で、多少謙虚な言い方、つまり、「拓本が本物であれば」と前提付きであるものの「定説が書き替えられる」との報道以来、『墓誌に「日本」と書かれている』との認識のようであった。今回、実物がNHK番組で紹介され、始めて「墓誌偽造」説は棄却されたようである。
*結論予告
と言うことで、墓誌誌文について、すでに定説めいたものが形成されているようであるが、当方は、史料解釈の見過ごされた第一歩が見て取れるので、ここに考察を加えたものである。
タイトルに示したように、当記事の結論は、墓誌誌文を読み取ると、そこに「日本国号」は書かれていない、と考えるものである。定説は、まず、「日本」を見て取って、それに合わせて、誌文を読み替えるものであり、「本末」転倒と思うものである。まあ、当世、定説は書き換えられるためにあるようで、何が「定」なのかと、苦笑するものである。
適切な扱いをしたものと思うが、失礼があれば、ご容赦頂きたい。
« 私の意見 禰軍墓誌に「日本国号」はなかった 追記 2/6 日本國王并妻 | トップページ | 新・私の本棚 番外 「古賀達也の洛中洛外日記」百済人祢軍墓誌の「日夲」について (1)-(3) »
「百済祢軍墓誌談義」カテゴリの記事
- 新・私の本棚 古賀達也の洛中洛外日記 3141話 百済禰軍墓誌の怪(2023.10.25)
- 新・私の本棚 「古賀達也の洛中洛外日記」第2762話 『古田史学会報』170号の紹介 再掲(2024.10.15)
- 新・私の本棚 番外 「古賀達也の洛中洛外日記」百済人祢軍墓誌の「日夲」について (1)-(3)(2021.09.23)
- 新・私の本棚 松尾 光 「現代語訳 魏志倭人伝」壹 祢軍墓誌「本余譙」談義 再掲(2023.04.30)
- 新・私の本棚 榎一雄著作集 第八巻 「邪馬台国」 御覧所収魏志 再増補 2/5(2024.12.28)
« 私の意見 禰軍墓誌に「日本国号」はなかった 追記 2/6 日本國王并妻 | トップページ | 新・私の本棚 番外 「古賀達也の洛中洛外日記」百済人祢軍墓誌の「日夲」について (1)-(3) »
コメント