私の意見 禰軍墓誌に「日本国号」はなかった 追記 2/6 日本國王并妻
2018/05/12 改訂 2021/09/22
*日本國王并妻還蕃(舊唐書綺譚)
当該部分の解釈で、参考となるのが、古田武彦氏が、中華書局本舊唐書(旧唐書)の表点本の句点違い事例として紹介している旧唐書順宗紀の「日本記事」である。太字は、当ブログ筆者のもの。
新・古代学 第三集 歴史ビッグバン 古田武彦 1998
昨秋、ある方(古賀達也氏)からの質疑が発端となった。旧唐書に「日本国王(桓武天皇)夫妻が唐に来た」旨の記事がある。どう思うか」との問いだった。かつて聞いたことのある話だったけれど、聞きすごしていた。今回は、取り組んでみた。
「(貞元二十一年、八〇五)甲寅、釋仗内厳懐志、呂温等一十六人。(中略)至是方釋之。日本國王并妻還蕃、賜物遣之。」《旧唐書、順宗紀。(中華書局、表点本)》
確かに「日本国王并(なら)びに妻、蕃に還る。」というのは、「八〇五」とあれば、桓武天皇の延暦二十四年だ。だが、桓武天皇夫妻の渡唐など、聞いたこともない。そこで旧唐書内の用語追跡に没頭した。判明した。何のことはない、表点本の「誤読」だった。「方(まさ)に釋(ゆる)す日、本国王(吐蕃国王)并(なら)びに妻(めと)り蕃(吐蕃)に還る。」が「正解」だった。吐蕃伝に頻出する「本国」の用例、「妻」は動詞、「妃」は名詞、の用法、吐蕃王の唐朝への女性要求(親戚関係の構築)等の史実を追う中で疑いようもなく明白となった。第一、実録性の高い続日本紀にその気配すらないのである。
つまり、権威ある中華書局、表点本も、「日本」なる二文字にとらわれて史料読解を誤ることがあるという事例である。」
*引用終わり
古田氏は、本件解釈に際して、舊唐書を広く検索し、吐蕃伝に頻出する「本国」の用例では「本国」が吐蕃をさしていると指摘されている。
データを根拠にした提言であるので尊重するものである。
未完
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