私の意見 禰軍墓誌に「日本国号」はなかった 追記 4/6 先行論考
2018/05/12 改訂 2021/09/22
*先賢の論考
この点、墓誌に関する考察として、すでに、次の論考に於いて深い考察が行われていたので、勉強させていただいた。
専修大学社会知性開発研究センター東アジア世界史研究センター年報6号掲載
本論文の史学論文として適切な構成にも敬服する。長い実証的論考の果てに、堅実な結論が明記されている。データを根拠にした考察と提言は、尊重すべきである。
「おわりに
以上のように、『祢軍墓誌』について、⑴祢軍墓誌の形態、⑵中国で出土した唐代百済人墓誌、⑶祢軍の出身と官品・勲位、⑷『祢軍墓誌』に見える地名と歴史典拠、という四節に分けて考察してみた。
⑴では、『祢軍墓誌』の史料性について、(中略)ほかの唐人墓誌や在唐百済人の墓誌との比較を行って、(中略)検討したうえで、祢軍墓誌の信憑性が高いと指摘した。 ⑵ 、⑶ 略
⑷ では、(中略)また、祢軍の才能を褒める語句として使われるもので、かなり文言を駆使するだけでなく、歴史典故をモチーフとして、彼の功績を顕せる銘文を作ったと述べてみた。」
*中間報告
遡ると、次のような貴重な見解が述べられている。太字、当ブログ筆者。
「そして、「於(于)時、日夲餘噍、據(拠)扶桑以逋誅。風谷遺甿、負盤桃而阻固。」という典故について、すでに指摘があるように、「扶桑」は日本国の旧称呼と思われることから、「日夲」の二字についても日本国号のことを指すと見なされている(王連龍、2011年)。けれども「日夲」と対応して使われる「風谷」は国の称呼ではない。「日夲」を国号と考えるのは、文章構成上は無理があろう。」
「無理があろう」は、端的に言うと「不可能」、「あり得ない」との断言だろう。
つまり、墓誌作家として当代随一と思われる文筆家が、故人を顕彰する墓誌に於いて、古典書籍に範を得て、典雅な文言で、歴史典故をモチーフとした極上の言葉を選びに選んだのに、百済亡国の際に介入した東夷の国名を上げたとしたら、それは、不躾でぶち壊しであるから、その意味でも、「日本」国号が書かれるのは、あり得ないのである。
これは、まことに論理的な意見であり、当方は、誰にも異論を挟むことはできないと考える。いや、謙虚な言い方に変えると、一考に値すると考えるのである。
未完
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