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2021年9月21日 (火)

日本文化の誤解を歎く 将棋の「クイーン」談義に苦言 再々掲

                       2019/05/21 補充 2021/09/21 2022/09/21

 本稿は、毎日新聞デジタルサイトの連載コラムに関する意見です。時折参照されることがあるので、少し書き足してみました。

 日本文化をハザマで考える  第4回 変わりゆくチェスと将棋の「クイーン」
          2019年5月21日 11時52分 Texts by ダミアン・フラナガン

 当該コラムの位置付けについて考えましたが、いろいろ誤解されている点について、率直に異議を呈するのが誠意の最上の表れと考えて、以下のように、「苦言」を申し上げるのです。

□「日本」に国王なし
 まず、「日本」には、古来、国王はないので、「国王」の配偶者としての「女王」はなかったのです。ないものが、広く通じることは「絶対に」ないのです。一言で言うとしたら、それでおわりです。

 「日本」は、国名が成立した八世紀以降であり、それ以前、「日本」の無い、そして、文書記録の存在しなかった時代、三世紀の中国の歴史書によると、男性の国王(「男王」)を女性が継いだ時「女王」と呼ばれたようですが、中国にない「女王」を、どんなつもりで書き残したのか、知ることはできません。いずれにしても男性の国王の配偶者を「女王」と呼んだ形跡はありません。もちろん、「男王」と書かれるのは、例外中の例外です。

 因みに、「日本」が文字「文化」を学んだ中国では、女性が君主となることはなく、また、君主は、古代以来、歴代「皇帝」だったのであり、国王の配偶者を「女王」ということもなく、「女王」と言う漢字言葉の理解には、難点がつきまといます。唯一の例外は、唐代の「武則天」ですが、例外があるということは、通則を証明するものであって、通則の邪魔にはならないのです)

 ご承知のように、古代、「日本」の君主は「天皇」、配偶者は「皇后」であって「女王」ではなく、皇太子以外の男性王族を「王」と呼んだ際、女性王族を「女王」(じょうおう)と呼んだようです。これは、本来、「娘王」(じょうおう)だったのかも知れません。現代語でも、「女王」の発音は、「じょうおう」であって、「じょおう」ではありません。よく聞いてほしいものです。

 して見ると、「日本」には、「クイーン」に相当する君主は一切なかったようです。たまたま、漢字で「女王」と書かれても、その時、女性君主を想定した可能性は、まずないということです。

□将棋の素性
 以上、筋の通った説明を試みましたが、世間に通用している理解とは異なるとしても、世間の大勢の誤解、勘違いを放置していると、このようになるという見本にもなっているように思います。その点で、この記事が何かの警鐘になれば幸いです。

 将棋は、遅くとも、12世紀の鎌倉時代には到来していたようですから、その時点で、今回のコラムにあるように、元になる「チェス」類似の競技に、「クイーン」は成立していなかったということで、クイーン」は来日していなかったのです。

*中将棋にクイーンなし
 今回念を入れて調べたところでは、中将棋には、「クイーン」に相当する、日本語で、国王の配偶者なる意味を書いたコマはないのです。確かに、チェスのクイーンの動きに相当する「奔王」という駒はありますが、とても女王とは見えません。どうでしょうか。

*将棋に王将なし
 そもそも、先ほど上げたように、「日本」には、王を君主とする制度がなかったので、「キング」を「王将」とすることはないのです。

 大事なことは、王は君主であって将ではないので、「王将」は、文字通りに解釈すると君主の部下になります。「女王」なる駒を「王将」と共に並べたら、「王将」は「女王」の臣下、「女王」が盤上の君主となり理屈に合わないこととなります。

 少し丁寧に説明すると、俗に「王将」と言いならわしているものの、これは、普通に考えると誤解の産物であり、本来、中国で「金」(将)「銀」(将)と並べた財宝の中央に鎮座する至上の財宝を「玉」(将)と考える方が、筋が通るのです。
 かくして、将棋の駒の配置を見ると、一番手前に、香 桂 銀 金 玉 金 銀 桂 香と高貴な財宝を並べているのです。

 つまり、将棋は、チェスと異なり、財宝を取り合う知恵比べであって、戦争ゲームではなかったと見えます。皇室で将棋が愛好されていたことからも、そのように思うのです。

 と言うことで、将棋には、本来、「男王」も「女王」もないので、ないものが浮上することはないのです。いや、歴史上でも、恐らく「男王」はいなかったので、特に「女王」にこだわる意味がわからないのです

□生き続ける中将棋
 それにしても、1930年代、つまり、昭和初期に京都で中将棋の伝統が絶えたと決定的に断言するのも、関係者には気の毒な誤解で、実際は、大阪中心に連綿として継承されているのです。Wikipediaによれば、将棋界のレジェンド 故大山康晴氏(15世永世名人)が、「数少ない」(全人口に比べれば絶対的に数が少ないのは自明なので、何をわざわざ「少ない」と言うのか、意味/意図不明です。普通、「貴重な」という筈です)継承者だったとされています。

 いや、英文には、単にwasと書いているので、その時点で中将棋があったと言うだけで、伝統の終焉を意識させる「までは」は、軽率な誤訳かも知れないのです。「伝統が絶えた」のなら、had beenと書くものであり、多分、余り英語に通じていない人の仕業でしょうか。

□無形文化遺産の維持
 最後に、伝統的なゲームの勝手なルール変更について異議を申し述べます。

 「将棋」は、少なくとも、十七世紀初頭以来、連綿たる伝統を受け継いでいるものであり、今日も、多数の人々によって愛好されています。「将棋」は、「ゲーム」であり、かつ、それを愛好する人々の共通の財産なのです。

 それは、「ゲーム」のルール、駒の名称にも及んでいて、個人が勝手に変えることは許されない
のです。それは、「チェス」でも同様と思います。

□「不法」の意義
 書かれているように、「チェス」と違うルールのゲームを作って「チェス」だと言ったら、それは、「チェス」ではイリーガル(Illegal)、つまり、「違法」なのです。現代に到っても、「チェス」の「インターナショナルマッチ」は、国の威信をかけた争いであり、それこそ、細かい振る舞いまで厳重に規制されるものなのです。気ままなルール変更など、もってのほかです。

 当コラムの著者は、タイトル付けの無神経さに加えて、こうした大事な点が理解できていないようなので、きつく釘を打たせていただきます。
 それにしても、「変わりゆく」と決め付けられている「チェス」と「将棋」からは、当記事以外、反論はないのでしょうか。

 この世界には、個人の我が儘で壊してはならないものが、沢山あるのです。

 因みに、将棋が「本将棋」と呼ばれるのでわかるように、将棋の駒を使った挟み将棋や山崩しに始まり、衝立将棋などの変則ルールの将棋が多く知られていて、また、興味深い新種が生み出されていますが、「本将棋」は不変なのです。

 よろしくご理解の上、賛同いただけたら継承いただきたいのです。


 以上、特に参考文献は挙げませんが、それは、このような断定的な意見を公開する際に、ご当人がなすべき義務と思うからです。いい加減な思い付きを叱責するのに、労力を費やすだけでも十分なので、後は、ご当人が調べるべきものです。
 もっとも、以後、特にコメントも質問もないようなので、全国紙に載った記事は、そのまま定着するということなのでしょうか。全国紙の権威は、時代とともに、風化夢散しているのでしょうか。

以上

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